犯罪被害と冤罪という人権の衝突

幼児の証言だからという理由で信憑性が損なわれるべきではないが、どのように引き出された証言かによっては信憑性が損なわれることもある」に関連した補足。

幼児に対する性的虐待はもちろん見逃してはならない犯罪・反社会的行為ですが、だからこそ、もし冤罪が生じた場合、容疑をかけられた者は深刻な人権侵害を受けることにもなります。
性的虐待は客観的な物証をとりにくいことが多く、事実性については慎重な検討を要します。
冤罪の可能性を検討すること自体が被害者に心理的苦痛を与えることも当然考慮されるべきですが、被害者の心理的負担と容疑者に生じうる人権侵害のリスクという2つの人権の衝突は事実認定にあたっては避けられないところでもあります。
しかしながら避けられないながらも、それらの負担・リスクを最小限に留める手立ては必要でしょう。

その点で重要なのは、報道のあり方だと思います。
視聴者はその個々の属性によって予断を持つ者であるという前提*1で、確定していない事実関係についてはそのような予断を強化させないような配慮が報道に必要でしょうね。
報道のソース自体も、警察や検察からのリークである場合は、有罪だと予断を抱かせるような情報に偏ることが懸念されますが、それらを踏まえて視聴者が判断することは一般的に考えて困難です。
はっきり言って、裁判を通じて事実関係が明らかになるか、報道機関が独自調査して自社の責任で事実判断しない限り、視聴者に予断を与えるような報道をそもそも行うべきではないと思います。
せいぜい最低限の事実として、容疑の内容や容疑者が認めているか否か、そしてそのソースの明示(警察からのリークの場合は誘導の可能性があることも含めて)を伝えるに留めるべきでしょう。


*1:性的虐待被害を重視する者は被害が事実だとみなしがちであるし、冤罪被害を重視する者は冤罪の可能性を追及しがちです。

河野談話で「このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明」したくせに、韓国が慰安婦記念日を制定するとわめき散らす日本

以下は河野談話の一節。

 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。
 われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html

「歴史の教訓として直視」
「このような問題を永く記憶にとどめ」
「同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明」

これは時の日本政府が公式に表明した一節で、歴代政権は(安倍政権も含めて)踏襲しています。
にもかかわらず、韓国が慰安婦記念日を制定することに激怒する日本政府・社会はどこまで世界に恥を晒せば気がすむんですかね。

無法韓国が「慰安婦の記念日」制定へ 平昌五輪危機、拓殖大・藤岡教授「重大な『日韓合意』違反」(11/27(月) 16:56配信 夕刊フジ)

藤岡信勝拓大教授は「重大な『日韓合意』違反」とか言ってますが、多分、日韓合意の内容をこれまで読んだことも無いか、読んだ上で読者を騙すつもりで嘘をついているか、いずれにせよ、慰安婦を記念する日を制定することが日韓政府間合意に抵触することはありません*1

合意にそんなことは一切書かれていません。
書いてもいない義務を相手に一方的に科し、「無法」呼ばわりするチンピラが藤岡信勝拓大教授です。教授のくせに字が読めないのかな?

多分、日本の歴史修正主義者・差別主義者ら慰安婦問題否認論者の目には、日韓合意とは、戦時性暴力被害者に沈黙を強い、その記憶を抹消させる義務を韓国に科したもの、とでも映っているんでしょうけどね。

一応、改めて示しておきましょう。
慰安婦の記念日を制定するな、とかいう文言がどこにあるのか、具体的に示してほしいものです。

1 岸田外務大臣

 日韓間の慰安婦問題については,これまで,両国局長協議等において,集中的に協議を行ってきた。その結果に基づき,日本政府として,以下を申し述べる。

(1)慰安婦問題は,当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり,かかる観点から,日本政府は責任を痛感している。
 安倍内閣総理大臣は,日本国の内閣総理大臣として改めて,慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する。

(2)日本政府は,これまでも本問題に真摯に取り組んできたところ,その経験に立って,今般,日本政府の予算により,全ての元慰安婦の方々の心の傷を癒やす措置を講じる。具体的には,韓国政府が,元慰安婦の方々の支援を目的とした財団を設立し,これに日本政府の予算で資金を一括で拠出し,日韓両政府が協力し,全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復,心の傷の癒やしのための事業を行うこととする。

(3)日本政府は上記を表明するとともに,上記(2)の措置を着実に実施するとの前提で,今回の発表により,この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。
 あわせて,日本政府は,韓国政府と共に,今後,国連等国際社会において,本問題について互いに非難・批判することは控える。

2 尹(ユン)外交部長官

 韓日間の日本軍慰安婦被害者問題については,これまで,両国局長協議等において,集中的に協議を行ってきた。その結果に基づき,韓国政府として,以下を申し述べる。

(1)韓国政府は,日本政府の表明と今回の発表に至るまでの取組を評価し,日本政府が上記1.(2)で表明した措置が着実に実施されるとの前提で,今回の発表により,日本政府と共に,この問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する。韓国政府は,日本政府の実施する措置に協力する。

(2)韓国政府は,日本政府が在韓国日本大使館前の少女像に対し,公館の安寧・威厳の維持の観点から懸念していることを認知し,韓国政府としても,可能な対応方向について関連団体との協議を行う等を通じて,適切に解決されるよう努力する。

(3)韓国政府は,今般日本政府の表明した措置が着実に実施されるとの前提で,日本政府と共に,今後,国連等国際社会において,本問題について互いに非難・批判することは控える。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/na/kr/page4_001664.html



*1:拓殖大学もいつまで歴史修正主義者・差別主義者に資金援助を続けるつもりなんですかね。

古森義久氏が「慰安婦像を少女像と呼ぶのを止めた朝日新聞」とはしゃいでいるのだが、SFの慰安婦像はそもそも設置団体が「The Comfort Women Memorial」と呼んでいることを理解できないのだろうか

慰安婦像を少女像と呼ぶのを止めた朝日新聞(11/26(日) 23:32配信 、Japan In-depth、古森義久)」の件。

あれっ! 少女像ではなくて、慰安婦像なのか。奇妙な驚きを感じた。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171126-00010000-jindepth-int

と初っ端から飛ばす古森氏ですが、そもそも朝日新聞は以前からサンフランシスコ市の慰安婦像に対しては「少女像」呼称を使ってませんよね。
例えば、こんな感じで。

米の慰安婦像設置場所、市有地に 大阪、姉妹都市解消か

半田尚子
2017年10月25日15時32分
 旧日本軍の慰安婦像が建てられた米サンフランシスコ市の民有地が、同市に譲渡されたことが朝日新聞の調べでわかった。姉妹都市提携を結ぶ大阪市の吉村洋文市長は「像をパブリックスペース(公共の場所)に置くなら関係は解消する」と宣言しており、今年で60周年を迎えた姉妹都市は解消の危機を迎えた。
 慰安婦像は今年9月、現地のチャイナタウンにある市営公園に隣接した民有地に地元の民間団体が建てた。サンフランシスコ市議会に提出された資料によると、像は幅約90センチ、高さ3メートル。3人の女性が背中合わせに手をつないでいるデザインだ。現地報道によると、中国、韓国、フィリピンから慰安婦となった女性を表しているという。

http://www.asahi.com/articles/ASKBT13CCKBSPTIL02X.html

過去記事をざっと見る限り、朝日新聞が「少女像」呼称を用いているのは、ソウルにあるような椅子に座っている少女の像に対してです(それも全てではなく、「慰安婦像」と呼称している記事もあります)。
サンフランシスコ市の慰安婦像を「慰安婦像」と朝日新聞が記載しているのは、設置した団体が「The Comfort Women Memorial」*1と呼称していることもあると思われます。
そんなわけで、古森氏が「これまで「慰安婦像」のことを「少女像」と呼んでいた日本の大手新聞がその呼称を突然変えた」というのはそもそも事実関係からして間違っていますね。

 11月24日の大手新聞のサンフランシスコ市での慰安婦像設置についての記事だった。それまで「少女像」と呼んでいた慰安婦像を突然、慰安婦像と呼称するようになっていたからだ。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171126-00010000-jindepth-int

と古森氏は書いていますが、上記引用の通り、10月25日の朝日記事でもサンフランシスコ市の慰安婦像を「慰安婦像」と表記していますし、それ以前も件のサンフランシスコ市の像についてはほとんど全て「慰安婦像」と書かれています。

古森氏はもう少し真面目に新聞を読むべきだと思いますよ。
あと、サンフランシスコの慰安婦像は、ソウルなどの少女像とはデザインが違っていることくらいは知っておきましょうね。



「強制されたというなら兵隊さんも同じ」論について労務動員の強制連行の場合はどう考えるか

「強制されたというなら兵隊さんも同じ」論の誤り」に関連して。
従軍慰安婦らが売春を強要されたという人権侵害は従軍慰安婦問題の重要な論点ですが、否認論者のなかには「強制されたというなら兵隊さんも同じ」と主張し旧日本軍の免罪を図る人たちもいます。

Apemanさんの指摘するとおり、徴兵・兵役に関しては大日本帝国憲法第20条に臣民の義務として明記され、それに基づく兵役法などの法体系が存在しました。

第20条日本臣民ハ法律ノ定ムル所ニ従ヒ兵役ノ義務ヲ有ス

http://www.ndl.go.jp/constitution/etc/j02.html

徴兵された兵士たちは憲法・法律に基づいた義務として国家のために兵役を強制されたのに対して、従軍慰安婦らは明確な根拠法の無い状態で国家のために売春を強要されたわけです*1

では、労務動員の強制連行により労働を強いられた人たちは、どうでしょうか。よく知られている「徴用」については国家総動員法と徴用令などが根拠法となりますので、徴兵された兵士たちと同じような状態だったと言えます。ですが、問題は「徴用」とは別の形で労務動員された人たちです。

募集・官斡旋での労務動員

朝鮮半島での徴用は1944年9月になってから開始されています。日本政府や日本の極右勢力は朝鮮人強制連行を「徴用」のみに限定し矮小化しようとしていますが、実態としては徴用とは別個に行われた募集・官斡旋方式での強制労働被害者が圧倒的に多く、これを見なければ労務動員の強制連行問題は理解できません。

根拠法の有無と人権侵害の度合い

徴兵と徴用には兵役や労役を強制できる明確な根拠法が存在しますが、従軍慰安婦にも募集・官斡旋方式での労務動員にも売春や労働を強制できる明確な根拠法は存在しません。

徴兵制や徴用令は法的な強制であるため、人権侵害の度合いが高そうに思えますが、なればこそ政府は様々な援護策を講じてもいます。
国家のために兵役や労役を強制されるということは、そこで生じた損害に対して国家が責任を負う必要があるということでもあります。

一家の大黒柱が徴兵され戦死した場合、残された家族を国家が援護しなければならないわけです。戦死したら残された家族は無一文で路頭に迷うような制度では、誰も徴兵に応じませんよね。そこで政府は留守家族を支援する様々な法制を整備し、“安心して兵役に従事できる”ような制度を構築したわけです。
徴用も同じで、労役中に病気・事故などに遭った場合は様々な援護策が準備されました。
“法的な強制”と引き換えに様々な恩典を与えたわけです。

ところが、形式的には“法的な強制”ではないとされた従軍慰安婦や募集・官斡旋方式での労務動員には、そのような援護策は当然ありませんでした。
前線の宿営地の慰安所に送られ戦闘に巻き込まれ戦死・負傷した従軍慰安婦らには何の補償も与えられませんでしたし、募集・官斡旋方式で動員され過酷な労働で死傷しても徴用のような補償は何もありませんでした。

要するに、徴兵や徴用に対しては日本政府もある程度は強制に見合う援護策を講じていたのに対し、従軍慰安婦や募集・官斡旋方式での労務動員には何の対策も講じなかったということです。

その結果、人権侵害の度合いは、徴兵や徴用の場合よりも、従軍慰安婦や募集・官斡旋方式での労務動員でひどくなったわけです。

徴用の職場と募集・官斡旋の職場

職場環境も徴用と募集・官斡旋では異なっていました。徴用は国家の命令で行われる以上、労務環境がある程度整備されている職場に限られました。そのため、徴用先の職場は比較的マシなところが多かったのです*2
それに対して、募集・官斡旋で集められた職場には、労務環境が劣悪なところが多く、労働者を集めるのに苦労していました。

朝鮮半島で徴用令の適用が遅れた理由

歴史修正主義者らは“朝鮮半島が優遇されていたから”みたいに主張することがありますが、徴用令を適用するためには、留守家族の状態などを適格に把握し援護する必要があり、植民地政府である朝鮮総督府はその能力に欠けていたからに過ぎません*3
その結果、朝鮮人らには徴用のような補償が整備されていない募集・官斡旋方式での労務動員が多く行われました。そしてそこは徴用先の職場よりも劣悪な労務環境にあり、多くの犠牲者を出したわけです。

徴兵や徴用には補償が整備されていたが・・・

敗戦に伴い、日本は植民地出身者を外国人とみなし、補償の対象外としました。徴兵・徴用といった法的な強制を正当化してきた補償を植民地出身者から奪ったわけです。

強制されたとは言え、戦後も補償の対象となった徴兵・徴用された日本人に比べ、戦後補償の対象外となった徴兵・徴用された植民地出身者、そもそも補償とは無縁で労務動員を強制された募集・官斡旋方式での労働者、法的根拠不在の売春を強要された従軍慰安婦らは状況が全く異なります。

「強制されたというなら兵隊さんも同じ」論はこういう理由で成立する余地がないわけです。



*1:公娼制度の根拠法は、国家のために売春することを強要する法ではありません。

*2:この辺のことは、以前も少し書いています。http://scopedog.hatenablog.com/entry/20140425/1398428805

*3:他にも理由はありますが

国会答弁でこの低レベルな発言が出るとはねぇ・・・。

“外交の麻生(笑)”*1の件。
麻生氏「サラ金に取り込まれちゃう」 AIIB巡り発言(11/29(水) 14:05配信 朝日新聞デジタル)
AIIBに関して日本は完全に出遅れているわけですが、この麻生財務相発言がただの強がりなのか、本気でそう思ってるのか、いずれにしても救いがたい低能っぷりに変わりはありませんけどね。

中でもひどい部分はこれです。

 麻生氏はさらに、「サラ金は、わかりやすく申し上げただけだが、いくつも既にそういう例が出てて、お金返せなくなった代わり99年間借地なんていう話が起きている」とも答弁。

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171129-00000058-asahi-pol

これ以前も書いたんですけどね。
「99年間」に過剰な意味を見出すのはどうかと思う。

日本もインドの日本企業専用工業団地やカンボジア経済特区スリランカで99年間借地をやっていますが、これは日本が借金のかたとしてインド、カンボジアスリランカから分捕ったんですかね?
99年間借地って国際的な商慣行上の単位であって「お金返せなくなった代わり99年間借地」なんて話じゃありません。

財務大臣がその程度のことも知らないのか、知っててデマをばら撒いているのか、自民党の政治家は産経新聞ばかり読んでバカになってる可能性も否定できないので、前者なんですかねぇ。


*1:麻生政権時代に自民党支持ネトウヨが「外交の麻生」というヨイショ表現を多用してたことがありました。

続きを読む

東条内閣による「華人労務者内地移入ニ関スル件」閣議決定から75年。

華人労務者内地移入ニ関スル件」という閣議決定ですが、これがなされたのは1942年11月27日。今から75年前です。この閣議決定を根拠として、中国の日本軍占領地区(傀儡政権統治下含む)から日本国内の労働力として多くの中国人が強制連行され、強制労働が課されました。
この閣議決定は東条内閣時ですが、当時、東条内閣の商工大臣を務めていたのが、岸信介です(1941/10/18~1943/10/8)。
いわずと知れた安倍晋三首相の祖父にあたる人物です。
第二次安倍政権になってから、教科書からは強制連行の記載も消されつつありますが*1、安倍首相の系譜を知ると、教科書検定に際してどのような忖度が働いたのか何となく見えてきますね。

中国人強制連行が具現化された事例・第3次魯東作戦(「と」号作戦)

よく知られているのが、1942年11月に開始された第3次魯東作戦です。実施主体は第12軍(仁集団)で、軍司令官は土橋一次中将、軍参謀長は河野悦次郎少将でした。
「と」号作戦とも呼ばれ、作戦期間は11月17日から12月23日までとされています*2
この作戦の戦果として記録されている内容は以下の通りです。

敵の損害

俘虜:12971(容疑者含む)
遺棄死体:1912
鹵獲品:小銃1124、軽機11、迫撃砲13、山砲1、馬匹776、自動車135

我が損害

戦死:8(内将校1)
戦傷:42(内将校1)

日本軍の参加兵力は、大熊兵団(大熊貞雄少将・歩兵5大隊・第59師団第53旅団基幹)、内田兵団(内田銀之助少将・歩兵6大隊+治安軍2大隊・独立混成第5旅団基幹)、秋山兵団(秋山義隆少将・歩兵4大隊+治安軍2大隊・独立混成第7旅団基幹)が中心。作戦地域は山東省東部。
日本軍の戦死がわずか8名で捕虜が1万人以上ですから、実質的には戦闘というより拉致作戦と言えるかもしれません。こうした「軍事」作戦での捕虜が、華北労工協会*3を通したりなどして強制連行され労働を強いられています。
もちろん強制労働を強いられた中国人の全てが軍事作戦での捕虜だったわけではなく、募集で集めた者もいます。その際に労働条件などで虚偽の説明がされたこともままあったようですが。
ちなみに第3次魯東作戦は閣議決定の10日前に開始されていますが、これは閣議決定が最終決定であって実施レベルでの準備はそれ以前から始まっていたという点もありますが、それよりも日本国内への強制連行以前に満州国への強制連行は開始されていたという点*4が大きな要因です。

中国軍捕虜が日本国内へ労務者として移送された事例

荒井合名会社(北海道長万部出張所)の移入華人労務者隊員名簿には、「元俘虜」と明記されていたりします*5
f:id:scopedog:20171112231429p:plain
*6
この元俘虜の出身地は山東省ですから、第12軍管下で捕虜となった可能性が高いと考えられます。
上記は「行政供出」の名簿中にあった元俘虜の記載ですが、これとは別個に後半には、元俘虜の名簿が出てきます(原籍は河北省が多い)。
f:id:scopedog:20171112231501p:plain
*7
なお、行政供出192名中死亡者16名(死亡率:8.3%)、元俘虜285名中死亡者17名(死亡率:6.0%)です。“労働”による死亡率としてはかなり高いと言えるでしょう。
ちなみにこの資料の作成日は判然としませんが、後半では送還の可否について書かれており、戦後直後に作成されたものと見られます。

占領地から強制連行し、強制労働の結果、20人に1人以上が死亡する結果をもたらした

そういう閣議決定安倍晋三首相の祖父・岸信介商工大臣が署名してから、75年になります。
安倍首相は戦争犯罪行為である中国人強制連行を教科書から消し去るという“成果”をあげつつあります。



*1:2014年に数研出版が公民教科書から「従軍慰安婦」の記述と共に「強制連行」の記述を削除して申請しています。 http://scopedog.hatenablog.com/entry/20150109/1420822478

*2:アジ歴レファレンスコード:C13070316500、PDF32ページ

*3:1941年7月8日設立。「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C04123076100、昭和16年 「陸支密大日記 第25号 3/3」(防衛省防衛研究所)」

*4:「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C11110951100、北支那方面軍政務関係者会同書類綴(防衛省防衛研究所)」、「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C11110951700、北支那方面軍政務関係者会同書類綴(防衛省防衛研究所)」

*5:元俘虜はもう一名おり、それ以外は「行政供出」という名目で華北労工協会の斡旋によります。

*6:アジ歴レファレンスコード:A06030090400、PDF10/68ページ、https://www.digital.archives.go.jp/das/image/F0000000000000389859

*7:アジ歴レファレンスコード:A06030090400、PDF60/68ページ、https://www.digital.archives.go.jp/das/image/F0000000000000389859

続きを読む

南京事件否定論の原形・東京裁判弁護側弁駁

今年は南京事件が発生した1937年12月13日(南京陥落)から80年、南京軍事法廷判決から70年、東京裁判判決から69年になります*1
今もなお、南京事件否定論を流布する輩は多いんですが、その否定論者がいつからいるかというと、東京裁判の時にすでに現われ現在の否定論とほぼ同じロジックが確立されています。否定論者は70年間何の進歩もなく、同じことを繰り返すだけということです。

南京事件論争史―日本人は史実をどう認識してきたか (平凡社新書)」より。

(P77-82)

4 否定論の原点になった弁護側の主張

 東京裁判における心理過程のなかで、弁護団側の当然の任務として、検察側の立証に疑義をはさみ反論を展開した。そのまとめといえるのが、弁護側最終弁論で弁護側が法廷に提出した付属書「南京事件に関する検察側証拠に対する弁駁書」である。冒頭に「本書は、南京事件に関し検察側より提出せられたる書証および人証につき、法廷がその証拠価値を判定せらるる使宜のため、弁護人としての意見を弁明するものなり」と記されているように、すでに南京事件の事実は認めていた弁護団が、前掲「パル判決書」にいう「検察側の証拠にたいして悪くいうことのできることがらをすべて」開陳したものである。つまり、南京事件の事実は認めるが、被害者側の証言に疑義をはさみ、その価値を低めることで、被害者側が強調するほど大規模で深刻なものではなかったと思わせようとしたのである。
 このときの弁護側の弁駁の主張の少なからぬものが、現在では南京事件そのものを否定するための根拠につかわれている。南京事件否定論者たりは、すでに東京裁判の審理において否定された弁護側の主張を相も変わらず受け売りしているのである。東京裁判における弁護側の論点が現在の南京事件否定論の原点になっていることを以下に事例をあげて指摘しておきたい。
 (1)証人の証言は伝聞によるもので直接現場を目撃したものではない。
 ジョン・G・マギーが多数の不法行為の存在を証言したが、本人が現実に目撃した事件は殺人事件一、強姦事件二、強盗事件二、計五件にすぎず、他の事実はすべて想像または伝聞である、というものである。
 ブルックス弁護人が直接犯行中の現場を見たのか繰り返し尋問したのにたいし、マギーは犯罪進行中を目撃したのは五件であると厳密に答えたのである。そしてマギーは、他の中国人被害者、目撃者の報告は南京安全区国際委員会書記のスマイスが報告者の名前も記入したものであり、自分で見たものもあり、被害報告は単なる伝聞ではないと答えた。弁護人の尋問は、殺人、強姦についても犯行中の瞬間を目撃したものでなければ、他は伝聞で信憑性がないかのような極端なもので、中国人の被害届け、被害報告は信用できないという立場に立つものであり、このような弁護人の尋問にたいして裁判長から証人の信用性を弁駁するに足りないと注意されている。
 (2)中国軍も退却にさいして殺人、略奪、放火、強姦をおこなった。死体の存在、略奪の結果だけを見て、これを日本軍の行為と断定することはできない。
 松井石根担当の伊藤清弁護人が許伝音証人の証言にたいして「支那軍は都市を占領したり、また敗れて都市から逃げるときには、放火・強姦・略奪などをする習慣があることを知っていますか」と許伝音が目撃した被害状況は実は中国兵の仕業ではないのかと質問したのにたいし、彼は、日本軍が南京を占領する以前、中国兵がたくさん城内にいたが何も問題はなかった、自分が証言している残虐事件は日本軍が占領して以後に発生したものであると反論した。
 さらに伊藤弁護人は、一九二七年に国民革命軍が南京を占領したときに発生した南京事件を取り上げて、中国兵は都市に入ったり、逃げたりするときに略奪、強姦をする習慣があるのを知っているかと質問、これにたいして、許は伊藤の話は事実とは違うが数件の暴行があったのは知っていると答えたうえで、日本軍が南京を占領する前まで中国兵がいたが、日本軍のような残虐行為はけっしてやらなかった、残虐行為は中国兵がいなくなって日本軍が占領した後に起こったのだと反論している。反論された伊藤弁護人は、自分は中国兵のことを聞いているのに日本兵のことをいうだけだ、と匙を投げている。
 (3)中国兵は便衣兵(民間服を着た兵士)、便衣隊となって南京安全区ないし南京城内に潜伏していたので、日本軍は便衣兵、便衣隊の掃討、処刑をおこなったので不法殺害ではない。
 伊藤弁護人が許伝音にたいし、難民収容所に軍人は一人もいなかったのかと質問したのにたいして、許は、難民収容所には武装したり武器をもった兵隊が一人もいなかったと断言できる、もしも兵隊を難民収容所に入れる場合は、武装解除をした後に許可した、と答えた。さらに伊藤清弁護人が許伝音にたいして、「支那兵は戦いに敗れると逃げる、逃げ損なうと武器を匿し、軍服を脱いで普通の服を着て民家に潜伏しておって、そうして隙をみて敵軍に襲いかかる、すなわち便衣隊というものになることをご存知ですか」と質問、これにたいして許証人は、中国兵が軍服を脱ぎ、武器を棄てた場合は便衣隊員とはみなさないで普通の非戦闘員として扱っている。反論され、それ以上質問できなくなった伊藤弁護人が「この証人からこれ以上真実を訊きだすことができませぬから遺憾ながらこれで私の訊問を終ります」と匙を投げている。
 ブルックス弁護人がマギーに、「便衣を着ていた中国兵は、スパイ行為をしたり、サボタージュをしたり、日本の歩哨に危害を与えるとかしなかったか」と質問したのにたいし、マギーは「南京城市が占領されたあとに、南京市内ではわずか一つの事件といえどもそのようなことがあったとは聞いておりませぬ」と明確に答えている。
 検察側最終論告では、「弁護側は、武器を棄てて市民に変装したという事実を立証しようと試みました。このことが真実であってもなくても、同市陥落後は武力抵抗はなかったので、冷静のままで殺戮したことが犯罪であり、そのことにたいしていかなる根拠からも正当たることを証することができぬということを、証拠が明らかにしております」と明快に反論している。
 (4)中国の慈善団体による埋葬資料のなかには、南京戦の戦闘で戦死した兵士の死体が集められて埋葬されたものがふくまれており、虐殺被害者数に入れることはできない。
 検察側最終論告では、埋葬隊の資料は、戦闘のあった場所ではなく、虐殺のおこなわれた場所と照合し、兵士でないことを確認して死体を埋葬した資料である、と反論している。
 (5)日本軍が南京を攻撃する直前の南京市内の住民は二〇万人にはならない。二〇万人虐殺というのは、誇大無稽の数字である。
南京事件に関する検察側証拠に対する弁曝書」は「日本軍入城後の集団屠殺二〇余万人と称するも、当時、南京市内の住民が二〇万人前後なりしことは検察側証拠によるも明らか」なので城内の住民が全部虐殺されたことになる、と述べ、犠牲者総数推定の根拠になった埋葬隊の資料が誇大、誇張、杜撰で作為的な宣伝的なものであると否定している。
 同弁駁書は最後に提出されたものなので検察側からの反論はないが、弁護側があげた検察側証拠というのは、アメリカ大使館報告のエスピー報告(一九三八年一月二五日)といわれるもので、南京は人口一〇〇万と見積もられていたが、日本軍占領下に二〇万人から二五万人が残留し、主として難民収容所で避難生活を送っているという内容。もう一つは南京安全区国際委員会委員長でドイツ人のジョン・ラーベによる上海ドイツ総領事宛書簡(一九三八年一月一四日付)で、安全区内に二〇万市民が生活していると述べているもの。大虐殺を免れた住民が二〇万人から二五万人という数字なのにそれを虐殺前の南京の人口と曲解して利用したものである。
(引用者注:原書内で丸付き数字になっている部分はカッコ内数字に改めた)