面会交流の弊害が立証できない限り、面会交流が命じられるのは当たり前だと思う

猪野亨弁護士(@inotoru)の共同親権反対論があまりにも酷い。

「弊害の立証責任を事実上、監護親側に課している」「面会交流の実施に弊害があることを監護親側で客観証拠によって「立証」できない限り、面会を命じている」「監護親側に面会をさせた場合の弊害を「立証」できない限り、面会を命じる運用」
実際にそのように運用されているか否かはともかく*1、それは当たり前のことですよね?

ある日突然、子どもを児相に連れ去られ何日も何ヵ月も何年も会えなくなったとして、児相の言い分が「立証は出来ないが、虐待の可能性があるから」というものだったとしたら、それに納得できる親はいるのでしょうか?
監護親がDVや虐待を立証もしないまま、非監護親と子どもを引き離すことがどうして容認できるのでしょうか?
親と子が交流するのは、親と子の双方が有する自然権でしょう。それを立証もせずに奪い取ることをどうやって正当化できるのでしょうか?

当事者にとってDVや虐待の立証が困難だというなら、それを手助けして裁判所を納得させるだけの立証を行うのが弁護士の仕事ではないのでしょうか?

そもそも、DVや虐待の立証は困難だというなら、監護親がDVや虐待の加害者であることも否定できなくなります。
猪野弁護士は(監護親が)「本当に虐待しているのであれば親権変更などを求める手続もあれば児相への対応を要請すべき」*2と言っていますが、「虐待の立証」なくして親権変更(+子の引渡し)が家裁に認められるとでも言うのでしょうか?



リベラルとして離婚後共同親権に賛同する

個人的にはこれがファイナル・アンサーだと思ってます。私は離婚後共同親権に賛成ですが、滝本弁護士案が採用され運用されるのであれば、あるいは離婚後共同親権にする必要もなくなるかも知れないとも思います。実質的な共同監護が実現するなら共同親権である必要も無いからです。まあ、実際には親権の有無による不都合が日常生活の様々な点で生じてくるとは思いますが。

それはさておき、滝本弁護士のツイートに対する寺町東子弁護士の返答が以下です。

夫、妻、子、それぞれに事情を聞いて、今後の進め方のプランを聞いて、コーチングをして、地域のSWに繋げて、ということが必要なので、1回で済ませて、とは思いません。子連れ離婚全件家裁関与の方向性は良いと思います。それには公務員の増員、庁舎の部屋数の確保など、インフラ整備が必要ですね。

https://twitter.com/teramachi_toko/status/1177767186296762368

要約すれば“予算が必要だから”というもので、なんとなく消極的な印象を受けるツイートです。

それはともかく、リソース面を考慮する場合に個人的に推奨したいのは、韓国民法836条の2です。

제836조의2(이혼의 절차) ① 협의상 이혼을 하려는 자는 가정법원이 제공하는 이혼에 관한 안내를 받아야 하고, 가정법원은 필요한 경우 당사자에게 상담에 관하여 전문적인 지식과 경험을 갖춘 전문상담인의 상담을 받을 것을 권고할 수 있다.
② 가정법원에 이혼의사의 확인을 신청한 당사자는 제1항의 안내를 받은 날부터 다음 각 호의 기간이 지난 후에 이혼의사의 확인을 받을 수 있다.
1. 양육하여야 할 자(포태 중인 자를 포함한다. 이하 이 조에서 같다)가 있는 경우에는 3개월
2. 제1호에 해당하지 아니하는 경우에는 1개월
③ 가정법원은 폭력으로 인하여 당사자 일방에게 참을 수 없는 고통이 예상되는 등 이혼을 하여야 할 급박한 사정이 있는 경우에는 제2항의 기간을 단축 또는 면제할 수 있다.
④ 양육하여야 할 자가 있는 경우 당사자는 제837조에 따른 자(子)의 양육과 제909조제4항에 따른 자(子)의 친권자결정에 관한 협의서 또는 제837조 및 제909조제4항에 따른 가정법원의 심판정본을 제출하여야 한다.
⑤ 가정법원은 당사자가 협의한 양육비부담에 관한 내용을 확인하는 양육비부담조서를 작성하여야 한다. 이 경우 양육비부담조서의 효력에 대하여는 「가사소송법」 제41조를 준용한다.

機械翻訳
第836条の2(離婚の手続き) ①協議上の離婚をしようとする者は、家庭裁判所が提供する離婚に関するご案内を受けなければならず、家庭裁判所は、必要に応じて、当事者に相談について専門的な知識と経験を備えた専門相談者の相談を受けることを勧告することができる。
家庭裁判所に離婚の意思の確認を申請した当事者は、第1項の案内を受けた日から、次の各号の期間が経過した後に離婚の意思の確認を受けることができる。
1.養育なければならない者(ポテ中者を含む。以下この条において同じ。)がある場合には、3ヶ月
2.第1号に該当しない場合には、1ヶ月
家庭裁判所は、暴力により当事者の一方に立つことができない苦しみが予想されるなど、離婚をしなければならする急迫した事情がある場合には、第2項の期間を短縮又は免除することができる。
④養育しなければならない者がいる場合、当事者は、第837条の規定による者(子)の養育と第909条第4項の規定による者(子)の親権者の決定に関する協議又は第837条及び第909条第4項の規定による家庭裁判所の審判正本を提出しなければならない。
家庭裁判所は、当事者が協議した養育費負担に関する内容を確認する養育費の負担調書を作成しなければならない。この場合、養育費の負担調書の効力については、「歌詞訴訟法」第41条を準用する。

http://scopedog.hatenablog.com/entry/2019/04/04/170000

要するにこういうことです。

3 子の養育に関する合意

 韓国における離婚には協議離婚と裁判離婚があるが、協議離婚であっても、家庭裁判所において協議離婚意思の確認を受けなければ成立しない。協議離婚意思確認手続においては、離婚後の親権者及び子の養育に関する事項(養育者、養育費の額及びその負担方法、面会交流の有無及びその実施方法)について父母が合意しなければ協議離婚できないこととされており、両親の合意形成義務が法定されている。面会交流を含む離婚後の子の養育に関する取決めへの支援として、養育すべき子のいる協議離婚意思確認申請をした夫婦には、「父母案内」(ビデオ教材によるプログラム)の受講が義務付けられている。
 なお、面会交流については、面会交流の頻度、場所、引渡場所その他の事項を具体的に記載することが求められ、家庭裁判所が協議の作成例を提示している。

4 両親が合意に至らない場合

 父母による協議の内容が子の福祉に反する場合には、家庭裁判所は補正を命じ又は職権で子の養育に関する事項について定めることができる。

http://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_9532035_po_0882.pdf

これを日本に導入するとしたら、とりあえず離婚届を役所に提出する際に夫婦双方がビデオプログラムを受講するようにすればいいだけです。
例えば、練馬区の場合年間離婚件数は1500件程度ですから、年間200営業日として1日7.5組として受講時間が1時間としても1部屋で足ります。時期による増減を考慮してもせいぜい5部屋も確保しておけば足りるでしょう。練馬区役所ならそのくらいの余裕は現状でもあるんじゃないですかね。
「離婚後の親権者及び子の養育に関する事項」については、協議の場合なら当事者が事前に準備するか、その場で作成するか、改めて作成して提出するかすれば良いだけです。

家庭裁判所は役所から回ってきた「離婚後の親権者及び子の養育に関する事項」の協議内容について審査する作業が新たに発生しますが、裁判官が直接吟味する以前にまず、調査官や書記官レベルでチェックするでしょうし、初歩的な不備なら協議内容を受けとる役所の方でも確認はできますよね。
提出される協議の内容は、そもそも当事者が合意しているものですから、合意内容が子の福祉に反するものでない限り、家裁はただ承認するだけで大した手間は発生しません。合意内容が子の福祉に反する場合は専門家の助言を受けるように勧告する必要がありますので、この点については専門家の養成が必要になるかもしれませんが、調査官などに担当させることも可能でしょう。

しかし、何はともあれ家裁のチェックを通すことで、一方当事者が他方当事者に強要して合意させたような子の福祉に反する協議内容を相当程度はじくことが出来ます。
現行日本の協議離婚制度では防げなかった問題を防ぐことが出来るわけで、これは重要です。

もう一つ重要なのは協議で合意できない場合ですが、これについては現状でも調停・審判・裁判といった手続きがありますので、上記制度を導入したとしても家裁にとって特別な作業が増えるわけではありません。
いずれかがDVを主張している場合は、DVの事実や程度を調査しそれに応じた子の養育に関する事項について定めることになります。

しかし、問題なく合意できる多くのケースでは、当事者は離婚届の際に役所に出頭し、その際にビデオプログラムを受講し養育計画も定めて提出し、一定期間後の意思確認でもう一度出頭し、その際に養育計画について家裁の承認が得られたことを確認すれば、それで離婚は成立できます。

問題あるケースの場合は、当事者に家裁に出頭することを求めることになりますが、現状でも調停・審判・裁判といった手続きで当事者は家裁に出頭しますから、大きく変更することはありません。

寺町東子弁護士は「公務員の増員、庁舎の部屋数の確保など、インフラ整備が必要」と言いますが、それほど非現実的な予算増が必要なわけではなく、法改正すれば容易に確保できる程度であり、導入に反対する理由にはなりませんね。


あと、認識にずれがありそうな気がしますので、一応言っておきますが、特に協議で合意できる当事者に対して裁判所を関与させるとは言っても、DV・虐待容疑者扱いして取調べするとかいう話じゃありません。当事者のいずれか一方、あるいは協議内容の記載から、DV・虐待の可能性が示されない限り、当然、DV・虐待はないものとして扱うのが普通です。

なんか寺町東子弁護士は、協議離婚の家裁関与=夫をDV・虐待容疑者扱いして取調べる、という認識を持ってそうな気がしましたので念のため。



離婚後共同親権に関する言説についてリベラルとして思うこと

離婚後共同親権賛成派*1のなかには極右に親和性の高い人がいるのは承知しています。
離婚後共同親権賛成派のなかには酷い発言している人がいるのも承知しています。
離婚後共同親権反対派には左派に親和性の高い人がいるのも承知しています。

そして

離婚後共同親権反対派のなかにも酷い発言している人がいるのも承知しています。

離婚後共同親権賛成派に対して“子どもを連れ去られて当然のDV夫”だとレッテルを貼って侮辱しているツイートなんてごまんとあります。
DV被害者本人がそういうツイートをするのなら、まだ理解できますし、共感できるところもあります。
しかし、当事者本人ではない弁護士や学者らが、そういう侮辱に加担していることに対しては全く理解できません。

離婚後共同親権賛成派の発言内容が攻撃的だと批判する人もいます。
しかし、性暴力被害者の訴えに対して“攻撃的だから共感されない”だと批判することを、トーン・ポリシングだと批判してきたのではありませんか?

離婚後共同親権賛成派であっても当事者でない者が攻撃的な発言をするのには、私も賛同できません。
しかし、子どもと不当に引き離された当事者本人が攻撃的な発言をしたとしても、私には性暴力被害者本人の訴えと同様、それを攻撃的だと批判する気にはなれません。

それはトーン・ポリシングだと考えるからです。

離婚後共同親権賛成派には当事者以外もいますが当事者も少なくありません(当たり前ですが)。

妻に子どもを連れ去られ子どもと会えなくなった(あるいは著しく制限された)夫もいますが、夫に子どもを奪われ子どもと会えなくなった(あるいは著しく制限された)妻もいます。
実際に深刻なDVを妻に加えた結果として妻子が夫から避難したケースもあるでしょうが、DVも虐待もないのにある日突然妻子が失踪したケースもあります。あるいは妻から深刻なDVを受けて追い出された夫もいます。
同様に、夫から深刻なDVを受けて追い出され子どもを会えなくなった妻もいますし、深刻なDVを夫に加える妻から父子が避難したケースもあるでしょう。その他にも様々な形態があり多様です。

決して、深刻なDVを妻に加えた結果として妻子が夫から避難したケースばかりではありません。
例えば、夫から深刻なDVを受けて追い出され子どもを会えなくなった妻などは、DVの被害者であり、子どもと引き離された別居親でもあります。こうした別居親女性は、誰がどう見ても被害者なはずですが、千田有紀氏はその存在を無視し、EoH-GS氏は「どうでもいい」*2と言い放っています。

強調しておきたいのは、離婚後共同親権賛成派のなかにはDV加害者もおそらく存在する一方で、DV被害者も存在するということです。

離婚後共同親権反対派による“子どもと引き離された当事者は当人にDVなどの問題があるから”という主旨の発言も多く見かけますが、そういった発言が上記のようなDV被害者の別居親にどれほどの苦痛を与えるのか、リベラルな人たちに是非考えてもらいたいです。

配偶者からDV被害を受け、子どもと引き離されるという苦痛を受けた挙句に、DV問題に取り組んでいる人たちからDV加害者呼ばわりされ侮辱されるんですよ。

慰安婦等の戦時性暴力被害者に対して“金目当ての自発的売春婦”呼ばわりすることが二次加害だとわかる人たちなら、上記も深刻な二次加害だとわかるはずです。

それとも、離婚後共同親権賛成派のなかにはDV加害者もいるのだから、DV被害者の別居親も離婚後共同親権に賛成する以上、その責任をとってDV加害者呼ばわりされても受け入れろということでしょうか?
それは既にリベラルの考え方ではないと思いますよ。


私自身は南京事件を否定したり慰安婦問題を否認したりする歴史修正主義者らに対しては容赦する必要は無いと思っています。それは歴史修正主義者たちは南京事件慰安婦問題によって何ら被害を受けることがなく、被害者足り得ないからです*3

しかし、この問題の当事者は違います。DV被害者の別居親のような被害者が確かに存在するのであって主張内容に反論するにしても、被害者の名誉を損なうような反論をすべきではありません。
離婚後共同親権に反対であっても、賛成派のなかにDV被害者もいることを踏まえた上で、被害者の尊厳を損なうことない丁寧な反論をすべきです。

それでも離婚後共同親権賛成派の発言に怒りを覚えることもあるかもしれません。

しかし、別居親の自助支援団体はせいぜい10年前に出来た程度であり、それまで彼等は沈黙を強いられてきました。アメリカが共同親権を導入してから40年経ちますが、日本は圧倒的に立ち遅れています。
私は「クレイマークレイマー」の映画は知っていても共同親権に関わる問題は10年前のハーグ条約締結是非関連の話題が出るまで知りませんでした。私の耳は別居親の声を拾っていなかったのです。
別居親の団体ができてからの10年、私たちは彼等の声をちゃんと聞こうとしたでしょうか?
それをろくに聞きもしなかった私たちに、彼等の発言を挑発的だ攻撃的だといって非難する資格はあるのでしょうか?

繰り返しますが、それこそトーン・ポリシングではありませんか?

この問題は複雑で多様であり、被害者は同居親女性だけではなく、別居親女性や別居親男性、同居親男性であることもあるのです(もちろん子どもが被害者であることも)。

どうか、全ての被害者に対して尊厳をもって接してほしいと思います。

それが出来てこそのリベラルでしょう。



*1:ここでいう離婚後共同親権賛成派には、共同親権に限らず共同養育や面会交流の充実など別居親と子の関係を維持・発展させる制度の構築を求める人たちを含みます。また、離婚後共同親権反対派はそれに反対する人たちを指します。以下同じ。

*2:http://scopedog.hatenablog.com/entry/20161031/1478019853

*3:“日本人としての名誉が傷つけられた”という主張もありますが、お門違いである上に被害というもバカバカしい取るに足らないものです。歴史問題に関連してヘイトクライムを受けたのであっても、ヘイトクライムとして告発すべきであって歴史修正主義を是認する理由にはなりません。

韓国の大統領権限は強いというけれど・・・。

こんな記事がありまして。
韓国大統領が米国大統領よりも「広範囲な権限」を持つ理由(10/2(水) 16:00配信 NEWS ポストセブン)

あと、ちょっと前ですが、こういう増田もありました。

2019-09-10
■はてサは日本の民主主義を疑うのに韓国の民主主義を疑わないのがわからん。

安倍自民党をあれだけ嫌い、言論封鎖だとか安倍や自民党だけでなく自民党支持者を揶揄したりだとか日本は終わっただとか民主主義じゃないとあれだけ騒ぐのに
韓国の大統領全権、司法も行政も立法も支配でき、軍隊も完全に掌握してるほどの全権があり検察でさえ自由にでき、それこそ国民世論が操作されてないことすら疑わず
徴用工や慰安婦を偏重し、韓国政治ふくめて韓国の民主主義が理想的であるかのように暗黙に肯定してるのがほんとわからん。
韓国の民主主義は異常だ。選挙はあるだろうが、選挙に勝ちさえすれば大韓民国の王も同じほどの権力が得られあらるゆことが意のままになる。
そんな制度が民主主義だというなら、なぜ日本の安倍自民党も同じような民主主義だと認められないのかわからん。

https://anond.hatelabo.jp/20190910195553

「韓国の大統領全権、司法も行政も立法も支配でき、軍隊も完全に掌握してるほどの全権があり検察でさえ自由にでき」の部分。

韓国は大統領権限が強いというのは巷間よく流布されていますし、それ自体が間違っているわけでもないとは思いますが、個別具体的に日本首相の権限と比較するとモヤる部分も多々あります。

司法

韓国大統領は大法院(最高裁)の院長を任命できますが、国会の同意が必要です。また、大法官は大法院長の提請と国会の同意を得た上でないと任命できません(憲法104条)。
韓国大統領には、9人いる憲法裁判所裁判官を任命する権限がありますが、うち3名は国会が選出した者、別の3名は大法院長が指名した者を任命することになっていますので、大統領が自由に任命できるのは残る3名のみです。韓国大統領には、9人の憲法裁判所裁判官のうちから裁判長を任命することができますが、それには国会の同意が必要です(憲法111条)。
大法院長、大法官、憲法裁判所裁判長、憲法裁判所裁判官、いずれも任命にあたって人事聴聞会の対象とされています。

これに対して日本の場合、内閣だけで最高裁判所長官を指名でき(任命は天皇憲法6条))、他の最高裁判所裁判官も内閣だけで任命できます(憲法79条)。
内閣が最高裁長官や裁判官を指名・任命するにあたって、国会の同意も人事聴聞会も必要とはされていません。

司法トップの任命権という点では、韓国大統領よりも日本首相の方が強い権限を持っていると言えそうです。

行政

韓国大統領は国務総理を任命することができますが、国会の同意が必要です(憲法86条)。
国務委員は国務総理の提請があれば大統領が任命でき、国会の同意を必要としません(憲法87条)。しかし、国務総理も国務委員も人事聴聞会の対象となっています(国会法65条の2)。

これに対して日本の場合、首相が国務大臣を任命する上で国会の同意も人事聴聞会も不要です(憲法68条)。
大臣候補がどれほどの疑惑を抱えていようと、素質・能力に問題があろうと、韓国と違って日本では任命前に追及することはできませんし、任命後も国会会期中で無ければ野党議員には追及する場がありません。

行政府の大臣の任命権という点でも、韓国大統領よりも日本首相の方が強い権限を持っていると言えそうです。

立法

韓国の国会は一院制ですが解散がありません。そのため、大統領にも国会を解散する権限はありません。逆に国会には国務総理や国務委員の解任を大統領に提案する権限があり(憲法63条)、大統領を含む閣僚や裁判官などに対する弾劾訴追をする権限も有しています(憲法65条)。

これに対して日本の国会は二院制で参議院には解散がありませんが、衆議院には解散があり、首相には衆議院を好きな時に解散する権限があります(七条解散*1)。
衆議院参議院に優先しますので、首相が衆議院解散の権限を持っていることは、立法府に対して非常に強い権限を有しているといえます。
衆議院には内閣不信任案を議決する権限がありますが、韓国と違って日本の首相には不信任案に対して衆議院を解散する権限があります(憲法69条)。
また、日本では弾劾の対象は裁判官のみで首相や内閣は憲法上対象となっていません。

七条解散を除けば、大統領制と議院内閣制の違いとも言えますが、立法府に対する権限という点で、日本首相の権限は韓国大統領に引けはとらないくらい強力だとは言えるでしょう。

軍隊

韓国大統領は国軍を統帥する権限を有しています(憲法74条)。
日本の首相も自衛隊に対する最高の指揮監督権を有しています(自衛隊法7条)。

特に日韓で違いがあるようには見えません。

検察

韓国では検事総長は国務会議の審議を経て任命できます(憲法89条)が、これも人事聴聞会の対象となっています。
日本でも検事総長は内閣により任免されます(認証は天皇)(検察庁法15条)。韓国と違い人事聴聞会などの対象ではありません。

任期

韓国大統領の任期は1期5年、再選は禁止されています。
一方の日本では首相の任期は最長4年です(憲法70条、憲法45条)が再任禁止の規定は無く、無制限に首相を続けることが可能です。

韓国大統領の残り任期が少なくなるとレームダック化する大きな要因とされるのが、この再選禁止規定です。

外交

冒頭ポストセブン記事では「条約締結権も米国では上院の助言と同意で行なわれ、大統領には権限がない」のに、韓国大統領には条約締結権があると書かれています。
確かに韓国憲法73条は大統領に条約締結権を認めていますが、同時に60条で、相互援助や安全保障に関する条約、重要な国際組織に関する条約、友好通商航海条約、主権の制約に関する条約、講和条約、国家や国民に重大な財政的負担を負わせる条約又は立法事項に関する条約の締結・批准の同意権を国会に与えています。
日本国憲法が条約締結権を内閣に与え、承認権を国会に与えているのと大きな違いがあるとも思えません。

韓国大統領は宣戦布告や派兵の権限も有していますが、これもやはり憲法60条で国会に同意権を与えています。

憲法改正発議

日本国憲法が改正の発議を国会にのみ与えているのに対し、韓国憲法では国会と大統領に発議権を与えています(128条)。この辺は韓国大統領の権限の方が強いともいえるかも知れませんね。ただし、大統領任期延長などの憲法改正については発議当時の大統領に対して効力を有さないとも定められていて(128条2)、大統領が自分の任期を伸ばすための憲法改正は出来ないことになっています。
その辺は、自民党総裁の再選規定とは全く違いますね。

まとめ

もちろん大統領特有の権限などもあり全体として比較すればまた違うとは思います。
そもそも大統領制と議院内閣制の違いもあり、一概に比較しにくいところもあります。
それでもまあ、自分の国の制度とはどういう風に異なっているのかを並べてみることで、多少は見え方も変わるかも知れないと思い、書いておきます。



*1:この解釈については法的には異論ありますが、実際に行使されていますので、ここでは権限があるとしておきます。

88年前に読売新聞があったとしたら、間違いなく“中国軍が満鉄を爆破”と報じ、日本軍の侵略を正当化しただろうね。

海自観艦式に韓国不参加…日韓関係悪化が影響か(9/24(火) 7:34配信 読売新聞オンライン)
この記事中の以下の記載。

海自観艦式に韓国不参加…日韓関係悪化が影響か

9/24(火) 7:34配信 読売新聞オンライン
 10月14日に相模湾で行われる海上自衛隊の観艦式に、韓国軍が参加しないことが正式に決まった。日韓関係の悪化が影響したとみられ、防衛省が近く発表する。政府関係者が明らかにした。
 韓国海軍は昨年12月、海自機に火器管制レーダーを照射したうえ、事実関係を認めず、再発防止策も示していない。こうしたことなどを踏まえ、日本政府は韓国軍を観艦式に参加させるのは適切ではないと判断した。
(略)

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190923-00050207-yom-pol

特に「韓国海軍は昨年12月、海自機に火器管制レーダーを照射したうえ、事実関係を認めず、再発防止策も示していない。」の部分。

言うまでもなく、韓国側は火器管制レーダーの照射を否定しており、日本側は確たる証拠を公表していません。日本側が公表したのは、哨戒機機内の動画と謎の機械音のみで、それだけでレーダー照射が事実だと断定できる代物ではありません。
にもかかわらず、読売は「海自機に火器管制レーダーを照射した」と決め付けています。独自に裏づけ調査をしたわけでもなく、ただ単に日本政府の公式発表を垂れ流しているに過ぎません。

今から88年前の1931年9月18日。中国東北部奉天近郊の柳条湖にて“中国軍が日本所有の南満州鉄道の線路を爆破した”と報じられました。この柳条湖事件ですが、今では関東軍による自作自演の謀略であることが判明しています。
当時でさえ、関東軍による謀略であることを疑った人は少なくありませんでした。

ですが、その後の日本国内報道では、あるはずのない中国軍による爆破の証拠なるものまで次々と報じられ、既成事実化されていきました*1

日本国内の世論は、柳条湖で中国軍が日本の鉄道を爆破したという“事実”を信じたわけです。
今の日本社会が「韓国海軍は昨年12月、海自機に火器管制レーダーを照射した」と信じたように。



「反日」かどうかでしか語れない貧弱な視点

韓国国民の怒りが「反文在寅」に向かわず、「反日外交」が止まらない理由(牧野愛博:朝日新聞編集委員 2019.9.30 5:25 )
韓国“デモ事情”激変!「反日」から「反文」へ? 「文在寅辞めろ」「日本に謝れ」日の丸掲げる参加者も…タマネギ男&南北統一が引き金か フォトジャーナリスト・山本皓一氏が徹底取材(9/30(月) 16:56配信 )

この二つの記事が同じ日に出るんだから、日本国内の韓国報道ってどんだけいい加減なのかと思わざるを得ませんねぇ。
「韓国国民の怒り」はどっちに向っているんだか。
牧野愛博氏の「韓国が日本に対して理解のある態度を示すようになる可能性は高くない」という日韓関係の責任が韓国だけにあるかのような言説とか、山本皓一氏の「文政権の『赤化統一』を進める実態がバレ始めた」というアホかと評価するしかない記述とか・・・。

一番まともだと感じた記事はこれ。
韓国・大規模「検察改革デモ」は、’支持層の結集’に過ぎないのか?(徐台教 | ソウル在住ジャーナリスト。「コリアン・ポリティクス」編集長 9/30(月) 15:25 )

徐台教氏の記事は韓国市民の心情を“反日か否か”みたいな粗雑な分類にあてはめてたりしていないので、複雑さや多様さが伝わりますね。



確かに文化庁を廃止するか萩生田文部科学大臣と宮田文化庁長官が辞任するかすべきだろうね

この件。
立憲・枝野氏「文化庁は廃止した方がいいんじゃないか」(9/29(日) 17:20配信 朝日新聞デジタル)

まあ、安倍政権が応じることは絶対無いでしょうけど、あいちトリエンナーレに対する文化庁補助金の撤回の一件は、文化庁の廃止、文科相文化庁長官の辞任に匹敵するくらいの内容であることは確かですね。
文化庁の任務は「文化の振興及び国際文化交流の振興を図る」(文科省設置法18条)ことであって、検閲することじゃありません。

ちなみにもし補助金撤回を中止したとしても、撤回決定した側に何らかの処分が下されない限り今回の事件が自己検閲の圧力として機能しますから、ことここに至っては、日本の表現の自由が政権圧力による自己検閲を受容するか、表現の自由を弾圧した政府側に責任を取らせるかの二択しかありません。
そして、おそらく前者になると思います。

あいちトリエンナーレに対する文化庁補助金撤回事件に対する批判は対して広がることなく、1ヶ月もすれば一部の人が批判し、ごく一部のメディアがごく稀に思い出したかのようにとりあげ、政府寄り論者が擁護する記事の方が多くなるでしょうね。

当然、次の選挙の時には有権者のほとんどは頭の片隅にも残っていないことでしょう。

そして、今回越えた“一線”の向こう側にまた新たな“一線”が引かれ、その“一線”もまた易々と突破されるでしょう。
これまで何度も繰り返されてきたように。