人口増加は善政の証という勘違い

前回は、日本の朝鮮統治善政の根拠として嫌韓バカが用いる人口推移データに対して、若干の考察を以て補正してみたわけですが、
嫌韓厨が示す朝鮮の人口推移データを考察する|誰かの妄想


もちろん、嫌韓バカは「日本統治期間中に人口が増加していることは変わらないじゃないかwww」とか言って嘲笑するのでしょうが(そもそも怪しげなデータを使っての主張を恥ずべきなのだが、嫌韓バカの辞書が落丁が多く「恥」という字が存在しないので指摘しても無駄)、これには続きがあります。

朝鮮の人口推移
朝鮮人口(推計) 備考
1717年  1500万人 (朝鮮政府統計683万口からの推計)
1753年  1600万人 嫌韓提示資料(朝鮮政府統計?)730万人からの推計)
1777年  1804万人 (崔基鎬による韓国教科書からの引用)
1850年  1650万人 嫌韓提示資料(朝鮮政府統計?)750万人からの推計)
1877年  1689万人 (崔基鎬による韓国教科書からの引用)
1910年  1631万人 (警察調査1313万人からの推計)
1915年  1703万人 (警察調査1596万人からの推計)
1920年  1763万人 (警察調査1692万人からの推計)
1925年  1902万人 (警察調査1854万人からの推計)
1930年  2044万人 (警察調査1969万人からの推計)
1935年  2221万人 (警察調査2125万人からの推計)
1940年  2355万人 (警察調査2295万人からの推計)

これを見ると、補正後のデータでも1910年から1940年までに人口は1631万人から2355万人まで確かに増えています。
30年間の人口増加率は44%、1年平均増加率は1.2%である。

これ自体、既に山木さんが指摘しているとおり、同時期の日本の人口増加率とほぼ同じであって朝鮮の人口が急増したとはいえないわけです。
http://d.hatena.ne.jp/yamaki622/20060423/p1

もちろん、これに対する反論として考えられるのは、

嫌韓ちゃん】「日本は、朝鮮に対しても日本と同様に扱ったため、朝鮮も日本と同様に人口が増加した」

というものです。
実は、この時期、日本の人口増加に日本自身が困り、海外移民や朝鮮への殖民などの人減らしを行ったり、朝鮮からの米の輸入により内地の食糧自給率を高めようとしたり(当然、朝鮮では米が不足する。いわゆる飢餓輸出の状態)するわけで、人口増加が善政の結果ではなく、むしろ当時の日本が決して先進国などではなく人口抑制ができない途上国であったことを物語っているわけですが・・・

しかし、そういってしまうとそれなりに知識のある人たちには「確かに人口増加したからって善政とは限らんよね」と理解できるでしょうけど、嫌韓バカや、その方面の知識を専門としない普通の人たちには理解しづらいので、もう少し説明を続けます。



ところで「日本の朝鮮統治が善政だった」という主張には、暗に「日本の統治は欧米の植民地支配とは違う善政だった」という欧米との比較が含まれています。

そこで、じゃあ、欧米の植民地ではどうだったかを調べてみましょう。
(この辺、嫌韓本には「人口が減った」とか色々書かれていますが、ソースが不明なもの、特定の一時期・地域の状況のみ示したものばかりで全体の傾向がわからないので、あまり役には立ちません)

★アメリカのフィリピン統治

フィリピン政府の国勢調査のデータを示します。

Table 1. Population and Average Annual Growth Rate, Philippines: 1903-2000

Year  Population(millions)  Average Annual Rate of Increase Over Previous Year(percent)
1903  7.6 -
1918  10.3 1.9
1939  16.0 2.22
1948  19.2 1.91
1960  27.1 3.06
1970  36.7 3.01
1975  42.1 2.78
1980  48.1 2.71
1990  60.7 2.35
1995  68.6 2.32
2000  76.5 2.36

Sources: National Statistics Office (NSO), 1903-2000 censuses

http://www.census.gov.ph/data/papers/Senior_Citizens.doc

アメリカ人のタフトがフィリピンの初代民政総督となるのが1901年ですから、1903年の人口はほぼアメリカ統治前の人口と同じと見て問題ないでしょう。

すると、

フィリピン人口
1903年   760万人
1939年  1600万人

ですから、日本軍が侵攻する前までのアメリカ統治期間中(36年間)にフィリピン人は、2.1倍に増加したことになります。
36年間の人口増加率は110%、1年平均増加率は2%ですね。

あれ?日本の朝鮮統治では、30年間の人口増加率は44%、1年平均増加率は1.2%でしたよね?

人口増加が善政の判定基準なら、アメリカのフィリピン支配は善政だったわけ?じゃ、そこに武力侵攻した日本軍は一体何?

とおかしなことになりますね。

★フランスのインドシナ統治

嫌韓ちゃん】「いや、アメリカは例外で、イギリスやフランスの植民地統治が酷いのだ!」

とか言いそうなので、フランスのインドシナ統治、特にラオスの人口推移を見てみましょう。
(元データがフランス語なので、誤訳・誤解があれば指摘ください)

146 La Population du Laos de 1912 a 1945 1912年から1945年までのラオス人口

http://www.cseas.kyoto-u.ac.jp/fawg/France/france%20date.html
ラオス人口
1912年   649600人
1940年  1078000人

フランスがラオス保護国化したのは1893年なので1912年には既にフランス植民地支配から10年以上経っていますが、古いデータが1912年までしかないのでこれを使いましょう。
1912年から1940年までにラオスの人口は66%増加しています。
28年間の人口増加率は66%、1年平均増加率は1.8%ですね。

★イギリスのインド統治

嫌韓ちゃん】「いや、アメリカは例外で、イギリスやフランスの植民地統治が酷いのだ!」

続いてイギリスの事例。

イギリス領インド帝国が成立したのは1877年。

インド人口の推移
インド人口
1877年  2.6億人
1900年  2.9億人
1905年  3.1億人
1940年  3.9億人
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/8280.html

1877年から1940年までにインドの人口は、50%増加しています。
63年間の人口増加率は50%、1年平均増加率は0.6%ですね。

★まとめ

では、並べてみましょう。

日本の朝鮮統治      1910-1940年の人口増加率は44%  1年平均増加率は1.2%
アメリカのフィリピン統治 1903-1939年の人口増加率は110%  1年平均増加率は2%
フランスのラオス統治   1912-1940年の人口増加率は66%  1年平均増加率は1.8%
イギリスのインド統治   1877-1940年の人口増加率は50%  1年平均増加率は0.6%

この人口増加率を見る限り、朝鮮が取り立てて顕著な人口増加を示したとはいえません。インドよりは人口増加率が多いとは言え、朝鮮とインドでは元の人口が違いすぎますからねぇ。
そもそも20世紀初頭から、途上国を中心として人口爆発が始っているので、先進国化の度合いに応じた人口増加がどこの国でも起きているだけの話なんですがね。

要は、人口増加率を見たところで、善政かどうかなんて判断できないということです。



★最後の抵抗

嫌韓ちゃん】「結局、人口は増加したんだから、日本だけじゃなく、欧米の統治も善政だったんだ!」

ここまで無駄な足掻きをするバカもいないとは、思いますが・・・

上記のサイトから

中国人口の推移
中国人口
1945年   5.5億人
1950年   6億人
2000年  12.7億人
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/8280.html


中国共産党政権下の1950年から2000年までに人口は2.1倍に増加しています。

1950-2000年の人口増加率は110%、1年平均増加率は1.5%

人口増加→善政

ならば、中国共産党の統治は善政だということになってしまいますね。嫌韓は、反中ではないから構わないのでしょうかね?
では、韓国・北朝鮮についてみてみましょう。
韓国の人口は2005年で4700万人、北朝鮮の人口は2005年推計で2300万人、合計で約7000万人。

1945年の朝鮮の人口は嫌韓データを見ると2500万人なので、60年間で2.8倍、1年平均増加率は1.7%。

人口増加→善政

ならば、韓国・北朝鮮も善政だったことになりますね。

嫌韓バカの辞書は「整合性」とか「道理」とか言う言葉も落丁であるということが良くわかります。

追記

朝鮮紀行」(イザベラ・バード)P425に記載された1897年ころの朝鮮人口。

(前略)ロシアの保護下に入らないかぎり1200万とも1400万ともいわれる朝鮮国民にはなんの前途もないという気がした。

1906年の日本の警務顧問による調査結果980万人がいかに実態と乖離しているかがわかりますね。当時(1890年代)朝鮮に滞在した外国人も朝鮮の人口は優に1000万人を超えていると把握しているわけですから。

追記2(2008/11/5)

緯度がどうとかいう馬鹿がいるので。

ソ連人口の推移
ソ連人口
1890年 11066万人
1913年 15619万人
1922年 15240万人
1940年 19597万人
1946年 17390万人
http://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_desert9291/36310303.html

ロシア革命直前の1913年から独ソ戦直前の1940年までに人口は25%増加しています。

1913-1940年の人口増加率は25%*1、1年平均増加率は0.8%*2

国土のほとんどが高緯度地方であり、なおかつレーニン・スターリンによる共産党支配の時期における人口増加率ですが、インドと大差ありません。人口の大きさを考慮すると、日本支配下の朝鮮とも大差あるとは言えないでしょう*3

さて、緯度のせいという珍説を披露した嫌韓バカは次はどんな言い訳を考えてくるのでしょうかねぇ。

*1:ここも直した2008/11/6

*2:恥ずかしい計算ミスを訂正2008/11/5

*3:恥ずかしい計算ミスを訂正に付随する修正2008/11/5