李氏朝鮮はそんなにひどい国家だったのか?

嫌韓バカや歴史捏造ウヨクが、よく使うロジックとして「李氏朝鮮の暴虐と悪政」というのがあります。

この「李氏朝鮮の暴虐と悪政」というマジックワードは、様々な自慰史観を正当化するのに利用されてます。

例1)「李氏朝鮮の暴虐と悪政」→「韓国併合した日本は朝鮮人を助けてやったのだ!」
例2)「李氏朝鮮の暴虐と悪政」→「朝鮮人が駄目な証拠、差別されて当たり前!」
例3)「李氏朝鮮の暴虐と悪政」→「朝鮮人が残虐な証拠、南京虐殺朝鮮人がやった!」*1

こんな感じです。

実際には、江戸時代日本と大差ないんですけどね。
嫌韓バカが強調する李氏朝鮮の暴虐の事例など、ほとんどは江戸時代日本で同様の事例を見出すことが出来ますし。

では、その事例を見て行きましょう。

人口問題

韓国の歴史歪曲検証:人口増加ベースに見る日帝の暴虐と搾取の虚構性

日本が直接的に朝鮮を収める1905年までの朝鮮の人口増加ベースは、上記からも分かるとおり1850年の李朝末期を基準にとると1906年の日本の保護国なった翌年までの56年間に30%程度の増加ベースでしかない事が分かる。
そして1906年より日本の敗戦の前年1944年までの38年間の人口増加ベースは、156%という驚異的な増加ベースを辿っている。
さらに上記で注目されるべきは、1753年の朝鮮半島内の人口730万人が約100年後の1850年の時点でも750万人にしか増えていない点である。
これは李朝時代の悪政と貧困そして飢餓対策・医療体制の確立などを李朝政府が行ってこなかったことの動かぬ証拠である。
データを見るにおいて、日本が朝鮮半島に直接関与し始めた1905年以降とそれ以前の人口増加ベースを比べれば、朝鮮で日本が「史上最悪の暴虐と搾取」を行っていないことが確信できるのではないだろうか?

http://konrot.at.infoseek.co.jp/rekisi02.htm


こちらは人口の推移をもって、李氏朝鮮の悪政を糾弾しているわけですが・・・
ここで挙げている1753年から1850年の人口推移を日朝で比較してみると・・・

時期 日本の人口*2 増加率 朝鮮の人口(推計) 増加率 朝鮮の人口(嫌韓提示ママ) 増加率
I 1600年(日本)・1592年(朝鮮) 1227万人 39.2% 1192万人*3 74.5% - -
II 1756年(日本)・1753年(朝鮮) 3128万人 - 1600万人 - 730万人 -
III 1841年(日本)・1850年(朝鮮) 3230万人 103.3% 1650万人 103.1% 750万人 102.7%

なお、増加率は「1756年(日本)・1753年(朝鮮)」を基準として計算した。
参考として1600年頃の人口も付加しましたが、これについては後で考察。


さて、1750年頃から1850年頃までの100年間の人口推移を日本と朝鮮で比べてみると、ほとんど変わりないことがわかりますね。
何の事はない。この時期はこういう時代だった、というのが適切な評価でしょう。まさか100年間でわずか0.2%に過ぎない差を誇ったりするほど厚顔無恥な人はいないと思いますが。

で、

李朝時代の悪政と貧困そして飢餓対策・医療体制の確立などを李朝政府が行ってこなかったことの動かぬ証拠

とか言うのなら、
「江戸時代の悪政と貧困そして飢餓対策・医療体制の確立などを江戸幕府が行ってこなかったことの動かぬ証拠」
ということになりますね。嫌韓バカはこれに同意せざるを得ないわけですが・・・


ま、とにかく、人口が大して増加しなかったからといって、取り立てて酷い政治が行われていたとは言えないというのは確かでしょう。
ちなみに日本でこの時期、人口が停滞した直接的な理由として、少子化・晩婚化の傾向があったことが知られています*4。若者の都市への出稼ぎが晩婚化をもたらした他、意図的な人口抑制として、陰惨な方法としては間引や堕胎、それ以外に禁欲や授乳期間を長く取ることによる次の子の妊娠を遅らせるなどの方法がとられていたそうです。

また、そもそも14世紀末から19世紀半ばまでは「小氷期」という地球規模で冷え込んだ時期なのは良く知られています。このため、日本でも度々飢饉がおきているわけです。日本よりも高緯度にある朝鮮も当然その影響を受け飢饉が頻発しています。1850年ごろまで人口が停滞したのが、別に政治のせいとばかりは言えないわけです*5


1600年の人口も含めた仮説

では、1600年頃の人口を含めた考察をしてみましょう。
1600年頃の人口は、日本も朝鮮もほぼ同じくらいでした*6

これが150年後には大きく差が開きます。
人口が急激に増加する要因としては、それまで戦乱が続いたことによる人口抑制と、戦乱期に蓄積された人口増加の潜在力が、戦乱の終結に伴い枷が外され、人口爆発になるというモデルが考えられます。

現在の人口を見ても、もともと日本の国土が養える人口は、朝鮮の国土が養える人口より多いのではないかと思いますが、1600年時点で日本と朝鮮の人口がほぼ拮抗していたのは、日本が1467年*7以降ほぼ150年にわたった戦国時代を経験していたのに対し、朝鮮は1392年の李朝建国以降おおむね平和が続いた点にあるといえるでしょう。

朝鮮は、15世紀前半の世宗の時代に国力が最も充実し、同時期に戦国時代に突入した日本と違い、人口を抑制させるような社会要因は少なかったと言えます。このため、朝鮮の人口は15世紀前半から16世紀後半まで安定的に増加したと考えられます。
実際、15世紀前半については、耕地面積や戸数が増加したといいます*8。もちろん、権力闘争はありましたし、倭寇の襲来や倭寇討伐、対馬侵攻などもありましたけど、日本の戦国時代や後の秀吉の朝鮮出兵や清の朝鮮侵攻に比べるべくもありません。

したがって、15世紀から18世紀にかけて朝鮮の人口が抑制させられる要因となったのは、秀吉の朝鮮出兵と清の朝鮮侵攻であってこの影響を受けていた時期の人口が約1000万人であったということになります。
朝鮮の戦乱がひと段落した17世紀後半から人口が再度増加を始め、18世紀半ばには1600万人にまでなったというところでしょうか。
しかし、朝鮮の戦乱より遥かに長い期間、人口抑制の要因となる戦乱が続いていた日本の場合は、戦乱終結後の人口爆発は朝鮮よりも激しく、16世紀末から17世紀半ばまでに人口は1200万人から3000万人にまで倍増したのでしょう*9


*1:ここまでの馬鹿はそうはいないと思うが、いることはいるんだよね。ちなみに南京事件のあった当時、朝鮮人は徴兵もされてないし、志願兵も募集されていない。旧大韓帝国軍からの継続として極一部の朝鮮人将校がいたに過ぎず、兵士としては日本人と結婚・養子縁組などして日本人戸籍に入った朝鮮系日本人がいたくらいだろう。いずれにしても日本軍全体から見て例外的な事例に過ぎない。

*2:「人口で見る日本史」より

*3:「朝鮮の役」参謀本部より、日本が予測した朝鮮の石高より推定

*4:「人口で見る日本史」P88-103

*5:むろん、飢饉対策などは政治の責任だが

*6:ただし、朝鮮人口は日本による朝鮮の予測石高に基いた推定。予測精度の問題の他、石高計算は純粋な食糧生産以外も含む場合もあり、実際の人口はこれより少なかった可能性は高い。http://www.chosunonline.com/article/20071230000004によると、1630年ころの朝鮮の人口は1000万人程度という。

*7:応仁の乱の勃発年。ただし関東などではそれよりも早くから戦乱が勃発している。

*8:「朝鮮」金達寿岩波新書、P83 や、「入門韓国の歴史 国定韓国中学校国史教科書」石渡延男監訳、三橋広夫共訳、明石書店P167

*9:ただし、1600年の日本の人口については、1500万人という説もある。また、この頃実施された検地による石高は1800万石で、これには畑や屋敷地などが含まれている。