「現物返還要求分」を無視したがる人

以前、アメブロ版でも指摘したことはあるのだが、
マンガ嫌韓流批判1・「第2話戦後補償問題」日韓資産評価の間違い|誰かの妄想

韓国(北朝鮮)が日本に求める賠償請求額<日本が放棄した在朝鮮資産という大嘘は、マンガ嫌韓流嫌韓バカに投下した燃料かと思っていたが、それ以前に産経新聞が広めていた様子。
ほんとデマ新聞だなぁ・・・。



マンガ嫌韓流の初版は2005年、それより3年前の2002年9月13日の産経新聞朝刊で、次のような記事を出している。

「日本、財産請求権行使なら北朝鮮に6兆円請求」
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1289/zsi140913.html

記事の中で事実部分は、2002年当時の北朝鮮が日朝交渉で「補償」要求から「経済協力方式」に応じる構えに転じたことくらいなのだが、産経記者をそれを色々邪推した挙句、「北朝鮮が方針転換したのは、朝鮮の賠償請求額が日本の放棄資産より少ないからだ」と勘違いして決め付けるという展開になっている。

報道というより作文に近いというべきだな。


以下、見ていこう。

 日本が一九四五年当時、朝鮮半島北朝鮮地域に残した資産総額は、現在の価格に換算して約八兆七千八百億円に上ることが十二日、分かった。

これって2002年になってやっと分かった話でもないと思うのだが・・・。GHQの試算が2002年まで非公開だったのか?
この内容は後の方で、次のように説明されている。

GHQの試算では一九四五年八月十五日時点で1ドル=15円で総資産八百九十一億二千万円。総合卸売物価指数(一九〇)をもとに現在の価格に換算すると、十六兆九千三百億円に相当する。

 このうち、政府、個人資産と港湾など軍関連施設以外の資産は、鴨緑江の水豊ダムなど北朝鮮に残したものが当時の価格で四百四十五億七千万円。軍関連資産は十六億五千万円となり、非軍事と軍事の両方で四百六十二億二千万円。総合卸売物価指数の一九〇を掛けると現在価格で八兆七千八百億円相当となる。

1945年8月時点の在朝鮮資産が、GHQ試算では891.2億円だったということなのでが、少なくとも日本政府の在外資産調査委員会が1947年にまとめた資料は1996年の「検証日韓会談」に引用されているくらいなのでそれ以前から知られており、それによると、702.56億円となっている。差額の190億円は、軍事用資産(約100億円)と個人資産(約90億円?)にほぼ相当しているので、別に2002年になって初めて分かったわけではなかろう。
単に産経記者が不勉強だっただけのような気がするのだが・・・


ここまでをまとめると、日本が朝鮮に残した資産は以下のように評価されていることになる。

日本が放棄した在朝鮮資産

地域 GHQ試算(非軍事) GHQ試算(軍事) GHQ試算(合計) 日本政府試算(軍事・個人資産除く)
北朝鮮 445.7億円(30億ドル*1) 16.5億円(1億ドル*2) 462.2億円(31億ドル*2) -
南朝鮮 345億円*2(23億ドル*1) 84億円*2(6億ドル*2) 429億円*2(29億ドル*2) -
朝鮮全体 795億円*2(53億ドル*1) 100億円*2(7億ドル*2) 891.2億円(60億ドル*2) 702.56億円(47億ドル*1)

*1 他の資料に基く
*2 表内の他の値からの計算に基く

産経記事では、これに総合卸売物価指数を掛けて現在の価値に換算している。換算の仕方は色々あるだろうから、別に総合卸売物価指数を使うのは構わないと思う。
で、その結果が以下。

日本が放棄した在朝鮮資産(現在換算)

地域 GHQ試算(軍事・非軍事合計) 現在の価値(総合卸売物価指数190より算出)
北朝鮮 462.2億円 8兆7800億円
南朝鮮 429億円 8兆1500億円
朝鮮全体 891.2億円 16兆9300億円

ま、ここまではいいとして*1、次を見てみよう。

日朝双方がサンフランシスコ講和条約の財産請求権を行使した場合、日本が北朝鮮に支払う額より、北朝鮮が日本に支払う額の方が約五、六兆円超過し、北朝鮮側が大幅に不利になるとされる。

さあ、おかしなことを言い出した。
この妄言の根拠が以下の部分です。

 逆に北朝鮮の日本に対する財産請求額を推定する材料として、韓国政府が四九年三月に米国務省に提出した「対日賠償要求調書」がある。金や美術品など現物返還要求分を除き、要求総額は三百十四億円(1ドル=15円)で現在に換算して五兆九千六百億円。これは北朝鮮地域の財産も一部含めた額とみられる。

このため、サンフランシスコ講和条約に基づく北朝鮮国際法上の請求額はこれをさらに下回り、「日本との差額は五兆−六兆円になると推定される」(政府関係者)。

金や美術品など現物返還要求分を除き」ですよ。

北朝鮮政府が、現物返還要求分を要求しない根拠なんてどこにもありませんよね?
なんで除くんでしょうかね?

はっきり言えば、除かないと嫌韓的に都合が悪いからでしょうね。


「対日賠償要求調書」に記載された項目は、第一部から第四部に分かれており、それぞれ以下のようになります。

1.現物返還要求分
2.確定債権
3.中日戦争および太平洋戦争に起因する人的物的被害
4.日本政府の収奪による損害

産経記者が「要求総額は三百十四億円(1ドル=15円)で現在に換算して五兆九千六百億円」としている額は「1.現物返還要求分」を除いた額にすぎません。
これを「要求総額」と呼ぶこと自体おかしいんですが、これらが金額的にどのような内訳になるかを計算してみると以下のようになります。

「対日賠償要求調書」に基く要求額(現在換算)

分類 金額 現在の価値(総合卸売物価指数190より算出)
現物返還要求分 約1041億円 約19兆7800億円
確定債権 約174.9億円 約3兆3200億円
中日戦争および太平洋戦争に起因する人的物的被害 121億2273万2561円 約2兆3000億円
日本政府の収奪による損害  18億4888万0437円 約3500億円
合計  約1355.5億円 約25兆7600億円

産経記者は、このうち現物返還要求分1041億円(現在換算19兆7800億円)を除いた314億円(現在換算5兆9600億円)のみを「要求総額」としているわけですから、どこのぼったくりバーかと思いますね。

この内訳詳細は以下の通り。

分類 項目 金額
現物返還要求 1 金地金 249633.19861kg*2  約1011.2億円
現物返還要求 2 銀地金 89112.20512kg*3  約21.4億円
現物返還要求 3-1 書籍 212種 (換算不能)
現物返還要求 3-2 美術品、骨董品 827種 (換算不能)
現物返還要求 3-3 地図原版 522枚  (換算不能)
現物返還要求 4 船舶   8億1846万1700円
現物返還要求 5 朝鮮銀行海外店舗動産不動産   832万746円
現物返還要求 小計 - - 約1041億円
確定債権  174億2936万2305円 400万ドル 約174.9億円*4
人的物的被害  日中戦争・太平洋戦争に起因するもの   121億2273万2561円
日本政府の収奪による損害  強制供出による損害   18億4888万0437円
合計      約1355.5億円

もちろん現物返還要求分は、その性質上、金額が時価となるため「対日賠償要求調書」にも金額としては記載してはいないようで、現物返還要求分を除外した要求の総額だけでも314億円になるとの表現はされているようだが、それが現物返還要求を取り下げたことを意味しないのは容易に判断できるだろう*5

比べてみよう

地域 日本の在朝鮮資産 対日賠償要求額 日韓間で実際に支払われた額
北朝鮮 462.2億円(31億ドル) - -
南朝鮮 429億円(29億ドル) - *(3億ドル)
朝鮮全体 891.2億円(60億ドル) 1355.5億円(90億ドル) *(3億ドル)

*日韓協定では、1965年当時のレート(1ドル=360円)で換算した1080億円と書かれているが、表中の他の箇所が1945年8月の1ドル=15円レートを使用しているため、混乱しないように表中にはドル表示のみ行った。


円ドルレートが大きく変動した時期を挟んでいるので、混乱しないようにドル単位で話をすると、日本が朝鮮に置いてきた軍事・非軍事合計の資産(個人資産含む)が60億ドル、韓国政府が朝鮮半島全体の分として請求した額が90億ドル、日韓請求権協定に基いて、日本が無償で韓国に行った援助が3億ドル。

これらを勘案すれば、北朝鮮政府が正当に主張できる金額は、少なくとも27億ドルあり、これは1945年のレートで405億円、総合卸売物価指数190を掛けて、現在の価値にすると約7兆7000億円となる。

このため、サンフランシスコ講和条約に基づく北朝鮮国際法上の請求額はこれをさらに下回り、「日本との差額は五兆−六兆円になると推定される」

というのは、一体どういう計算なのか、「政府関係者」とやらを小一時間問い詰めてみたいところ。ま、産経記者の超訳かも知れないが。


さて、この「対日賠償要求調書」にある要求額1355.5億円(現在価値25兆7600億円)だが、これは南北朝鮮を合わせた要求額である。
というのも、この「対日賠償要求調書」が作られた当時、韓国は(北朝鮮も)朝鮮半島で唯一の国家として主張していたわけで、また、現物要求のうち、金地金の約250tのうち多くが朝鮮北部の産出であることを考慮すれば容易に理解できる*6

結局のところ、日本は韓国を「朝鮮にある唯一の合法的な政府であること」を確認して国交を確立し*7、同時に、日韓請求権並びに経済協力協定において日本と韓国間の請求権を解決している。
問題は、この際に日本が韓国に行ったのは、「対日賠償要求調書」に基いた賠償ではないことにある。

つまり、韓国は対日賠償請求権を放棄しているが、北朝鮮は放棄しておらず、かつ、韓国は日本から北朝鮮も含めた朝鮮半島全体における日本の行為に対する賠償を受け取ってもいない。
このため、日本が北朝鮮を「朝鮮にある唯一」以外の合法的な政府であることを認めた場合、北朝鮮は合法的に対日賠償請求を行うことが出来る*8


まとめ

記事の

日朝双方がサンフランシスコ講和条約の財産請求権を行使した場合、日本が北朝鮮に支払う額より、北朝鮮が日本に支払う額の方が約五、六兆円超過し、北朝鮮側が大幅に不利になるとされる。

であるが上記の通り、産経記者が「現物返還要求分」を無視するという暴論の上に、乗っかった正に空論に過ぎない妄言である。

実際には、北朝鮮から7兆円以上請求される可能性すらあったわけだが、

北朝鮮側は、九一年に始まった日朝国交正常化交渉から、日本政府に対し、数千億円から約一兆円に上る「補償」を要求してきたとされる。

というのがホントなら、むしろ穏当な要求だろう。2002年のこの記事の時点ではさらに「経済協力方式」にまで譲歩しているわけだ。

下らない妄想による中傷や揶揄をするくらいなら、なぜこの時期、北朝鮮がこのような譲歩をしたのかまじめに考えるべきだろう。報道機関なら。まあ、産経はウヨクの広報機関だからそこまでは求めないが。


問題は、この産経新聞の詐術をマンガ嫌韓流も踏襲し、多くのネトウヨ嫌韓バカらが洗脳されていったこと。
バカウヨどもは、やたらと「サヨクの洗脳」とやらを主張するが、正直言って新興宗教にはまった人間と同様の思考回路としか言いようが無いね。カルトの仲間内以外からの助言は絶対に受け付けないところとか。

違うと思っているネトウヨがいるなら是非「現物返還要求額」を無視した理由を論理的に説明してもらいたいものだ。




さて、ここからは想像。

この北朝鮮譲歩の記事は、2002年9月13日、直後の9月17日に小泉首相が電撃的に北朝鮮を訪問して、北朝鮮政府が拉致の事実を認めるという大事件が起きている。

小泉訪朝前の実務者レベルでの会合を通じて、北朝鮮に何等かの餌で釣って拉致を認めさせたと考えるのが自然ではないかなあ、と思うわけで、その餌が国交正常化・経済協力だったのではなかろうか、と。それに合わせて北朝鮮政府が、「補償」要求を経済協力方式に後退させたのではないかな?
まあ、これ以上は個人レベルで検証できるものでもないのでここまでですが。

小泉が何等かの餌を使ったのでは?というのは、自民党野中広務氏も言っているので*9そのうち成果が出ることを期待したい。

*1:実際には日本政府の試算自体が、「他日の賠償等の問題に備える心組で」行われているので、過大評価の傾向が否定できないのだが。「検証日韓会談」P6

*2:1g=405.1円

*3:1g=24円計算(1973年相場を援用)

*4:1ドル=15円

*5:「検証日韓会談」P14

*6:1931年から1945年までの朝鮮国内での産金量は約180t(「大東亜共栄圏の形成と崩壊」(小林英夫、御茶ノ水書房、1975)P268の表より算出)、また、1936年度の金生産量14850千円のうち11510千円、金鉱石生産量8678千円のうち7407千円が現在の北朝鮮にある鉱山の産出である。(「大東亜共栄圏の形成と崩壊」P270の表より算出)

*7:1965年、日韓基本条約第3条

*8:韓国への独立祝賀金などは「対日賠償要求調書」に基かない上、名目上も賠償ではないため、韓国政府に支払い済みという言い訳が通用しない。仮に言い訳を認めたとしても「対日賠償要求調書」の要求額ははるかに多額である。

*9:2008/12/13南京事件71周年集会での講演