「憲兵物語」における通州事件と冀東暴動

コメント欄でid:smtz8さんに御教示いただいた点についてです。
ネトウヨおなじみの通州事件は1937年7月29日に起きた事件ですが、この事件とは別に「冀東暴動」という事件が1938年7月に起きています。通州事件のほぼ1年後です。森本堅吉氏の「憲兵物語」では通州事件と冀東暴動が混同されていますが、前後の記述を読む限り同書中の記載はほとんどが1938年の「冀東暴動」を指しており、1937年の通州事件のことではないことがわかります。
114ページに、

冀東暴動のとき、冀東政府最高顧問の細木原特務機関長は、中国要人との宴会から帰って、着替えの間もなく殺され、つづいて日本人二百人以上が惨殺された。

とあり(「細木原」は「細木」の誤記として)、この説明はどう考えても通州事件を指しているのですが、その他の場所で「冀東暴動」と呼んでいる事件では通州事件とは別個の事件を指しています。
どうも、森本氏がこの部分の説明で冀東暴動と通州事件を混同したか、記者が聞き違えたかしたようで、校正の段階でもマイナーな冀東暴動は通州事件と混同されたまま出版に至ったように思われます。

これが従軍慰安婦の体験記であれば、右翼が鬼の首を取ったように捏造扱いして騒いだでしょうが、通州事件について中共を論難できる都合の良い誤りであったためか、幸い*1誹謗中傷には至っていないようです。

そして、これをネットの情報強者様が通州事件毛沢東が関与した証拠のように取り扱ったわけです。

12 :日本@名無史さん:2005/06/24(金) 00:11:32
通州事件

昭和12年7月29日、日本の傀儡政権の冀東政府(首都・通州)22県のうち17県の保安隊と唐山交通大学、
各県の小学校教師らが一斉に反乱を起こし、日本人居留民223人を惨殺。武器弾薬を奪って、
毛沢東の共産軍に逃亡した。冀東暴動ともいう。

http://mimizun.com/log/2ch/history/1119525403/

63 :日出づる処の名無し:2005/05/13(金) 21:34:18 ID:w+8NH0lK
虐殺を行ったのは保安隊だけじゃない。中国人市民も参加した。
そして逃走した先が書いてないがどこだと思う?共産党軍陣地だ。


64 :日出づる処の名無し:2005/05/13(金) 21:41:30 ID:w+8NH0lK
ソース:森本賢吉「憲兵物語」光人社

http://mimizun.com/log/2ch/asia/1114112558/

まあ、「憲兵物語」では実際に「冀東暴動」=「通州事件」と思わせる記述があるため、誤読するのはやむを得ないとは思いますが、1937年7月の時点で共産党軍陣地は通州から遥か彼方の山西省陝西省に行かなきゃないわけで*2西遊記じゃあるまいし、情報強者なら変だと思って欲しいところです。

*1:というべきか・・・

*2:華北での解放区だって1937年7月時点では存在せず、せいぜい満州の抗日組織が華北にもわずかに足場を築いていたくらいでしょう。