南京事件の範囲の人口

南京軍事法廷の判決には以下の記述があります。

中華門外の花神廟・宝塔橋・石観音・下関の草鮭峡などの箇所を合計すると、捕えられた中国の軍人・民間人で日本軍に機関銃で集団射殺され遺体を焼却、証拠を隠滅されたものは、単燿亭など一九万人余りに達する。このほか個別の虐殺で、遺体を慈善団体が埋葬したものが一五万体余りある。被害者総数は三〇万人以上に達する。

http://www.geocities.jp/yu77799/gunjihoutei.html

捕らわれた中国の軍人と民間人で、中華門・花神廟・石観音・小心橋・掃箒巷・正覚寺・方家山・宝塔橋・下関草蛙峡などの場所で、残酷にも集団殺害され死体を焼却された者は一九万以上に達する。中華門・下埠頭・東岳廟・堆草巷・斬龍橋などの場所で分散的に殺され、遺体が慈善団体によって埋葬された者は一五万以上に達する。被害総数は合計三十万人余りである。

http://www.geocities.jp/yu77799/gunjihoutei.html

 これらの事実は(略)紅白字会の埋葬した四万三〇七一体の遺体、崇善堂の収容埋葬した一一万二二六六体の遺体の統計表、傀儡南京督辨であった高冠吾が霊谷寺の無縁仏三千体余りを合葬したときに建てた碑文に明らかである ( 京字三号・一六号・一七号の各証拠書類を見られたい ) 。
 また当法廷が中華門外雨花台・万人坑など合葬地点について墓地五か所を発掘したところ、被害者の死骸・頭蓋骨数千体が出てきた。司法医師潘英才・検屍官宋士豪などが遺骨を調べたところ、その多くに刀で切られたあと、銃弾の命中したあと、あるいは鈍器で殴られた損傷などがあり、書類中の記入済みの鑑定書は信頼できるものである ( 本法廷の調査記録および京字一四号証拠書類を見られたい ) 。

http://www.geocities.jp/yu77799/gunjihoutei.html

ここに記載されている地名は南京城の城門や城外でも南京城近辺と言える場所です。崇善堂の埋葬記録に出てくる「方山」はやや遠いですが、南京城南端から10キロほどの距離です。これらの地名は南京城区にほぼ包含される地域です。この地域に限定しても、事件人口は40〜50万人と見積もられています*1ので、「人口20万だから30万人虐殺はありえない」説は成り立たない*2のですが、それでも南京事件をこの範囲に限定しようとする主張があります。
このコメントのことです。

noname 2012/06/12 13:15
>*4:事件当時の推定人口は、南京防衛軍あわせて170〜200万人程度
人口論にごまかしがあるね

中国が言う「30万(34万)の範囲とその根拠」と、それに対して否定派が
反論としてよく使う「南京城内の安全区の人口」や埋葬数と場所、
中国側証言者(ロソ等)の言う数や場所に対する批判などは、
中国側が言っている範囲(南京城とその周辺)での議論。
しかし、このサイトではそことは別に大幅に範囲を広げて「あっちの人口は〜」
「こっちの人口は〜」と別問題を持ち出してごまかそうとしている。
中国「30万だ!」、このサイトの人々「そうだ30万だ!(別の地域をいれればもしかしたらそうなるかもしれない)」みたいなごまかしながらの数字合わせがしたいだけに見える。

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20120608/1339181013#c

人口統計そのものは居住地をベースにしていますので、実際に殺害される場所が居住地から離れた場所でありうることくらいは想定すべきと思いますが、「ごまかし」と決め付けたい人にはそうは思えないようです。南京近郊120〜135万人という人口は事件当時の南京城区外の4県半(江寧県、句容県、溧水県、江浦県、六合の半分)の人口ですが、これらは南京に侵攻する日本軍の進撃ルート上にあります。
この進撃ルート上に居住していた住民は、居住地で殺されたことも当然あったでしょうが、日本軍から避難して南京城近辺で日本軍に捕まり殺された人もいたでしょう。
したがって、南京事件で日本軍による虐殺の危機に直面した人口として、これら4県半を加えた人口を考慮するのは「ごまかし」でも何でもありません。

また、この考え方は別に事後的に事件範囲を広げてるわけでもなく、南京軍事法廷判決をちゃんと読めばそのあたりもわかります。

 国際委員会の組織した南京安全区内の档案 が列記している日本軍の暴行、および外国籍記者ティンパレー が著した『日本軍暴行紀実』 、スマイスの書いた『南京戦禍の真相』 、ならびに当時南京戦役に参加した中国軍大隊長郭岐の編による「南京陥落後の悲劇』 ( 『陥都血涙録』 ) に記述された各節はことごとくあい符合している

http://www.geocities.jp/yu77799/gunjihoutei.html

ここで記載されている「スマイスの書いた『南京戦禍の真相』」というのは、「War Damage in the Nanking area Dec. 1937 to Mar. 1938」のことで、いわゆる「スマイス報告」です。
「スマイス報告」は「南京大虐殺事件資料集2」に掲載されているようで、ゆうさんが戦争被害についての表をサイトにアップしています。

南京地区における戦争被害

「第25表 死者数および死因(調査した100日間のもの)」より

県名 表示された住民総数 暴行死/男 暴行死/女 暴行死合計
江寧 433,300 7,170 1,990 9,160
句容 227,300 6,700 1,830 8,530
溧水 170,700 1,540 560 2,100
江浦 110,900*3 4,990*4 - 4,990
六合(1/2) 135,800 2,090 - 2,090*5
合計 1,078,000 22,490 4,380 26,870

*6

http://www.geocities.jp/yu77799/smythe2.html

見てわかる通り、南京軍事法廷が参照している『南京戦禍の真相』では、南京城区外の4県半(江寧県、句容県、溧水県、江浦県、六合の半分)を対象としています。

このことから、南京軍事法廷では南京城区外の4県半の住民も犠牲になったことを認識しており、実際に殺害された場所が南京城とその周辺か否かに関らず、南京事件で日本軍による虐殺の危機に直面した人口として、4県半の人口を含めた170〜200万人とみなすことに何の問題もありません。むしろ、1938年の時点でスマイスがその範囲を対象に戦争被害を調査したことを考慮すれば、この範囲が南京事件の被害を受けうる範囲であったという認識が1938年当時からあったことは自明でしょう。

というわけで「このサイトではそことは別に大幅に範囲を広げて」などいないことについて御理解いただけたでしょうか?

わかりやすく一言で言うと、殺害場所と居住地は違うことがあるからそれを考慮して適切な範囲を考えようねってことです。
わかりましたか?

念のために付け加えておきますが、右派の南京事件研究者である秦郁彦氏も犠牲者数の推定の根拠に「スマイス調査」を用いています*7。まあ、推定の仕方はあれですが・・・。


ちなみにスマイス報告の英語版についてはこちらで見ることが出来ます。

*1:http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20120329/1333034088

*2:さらに南京防衛軍10〜15万を加算すれば50万を超えます。

*3:ゆうさんのサイトでも、原書でも10,900ですが、明らかに誤記なので、合計から逆算

*4:ゆうさんのサイトでは4,900ですが誤記のため修正

*5:ゆうさんのサイトでは2,000ですが誤記のため修正

*6:表の形式を引用者により成形し直しています。

*7:参照:http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/hata.html