報知新聞記事に見る1931年当時の公娼制度に対する見方

Apemanさんが、

鹿児島県会の廃娼決議が公娼制を「人身売買」「奴隷制度」と非難していたことを梁澄子氏が紹介したところ、会場から「ホォ……」という大きなリアクションが起きた

http://d.hatena.ne.jp/Apeman/20120924/p1

と紹介していましたので、これに類する事例の紹介をば。

1931年4月5日付けの報知新聞に「国際信義と公娼廃止」と題した高島米峰氏の記事があります*1

日本帝国は、最初、この条約(婦人児童の売買禁止に関する条約)に加盟しながら、しかも、二十一歳という年齢の制限について、留保を求めて調印したのであった。それは今でも現に行われて居る、「娼妓取締規則」には、娼妓の年齢が、十八歳以上と規定してあるがためであったことはいうまでもない。しかし、その年齢留保を、文明国としての汚辱であるとして、当時、官民有志の間に、速にこれを撤廃すべしという主張横溢し、ついに、今日では、日本もまた、この国際条約の、完全なる加盟者となったのである。

完全なる加盟者とはなったのであるが、それはただ、単に条約に調印したというだけであって、毫も条約を実行してはいないのである。即ち、条約に調印して以来数年を経たる今日、依然として、「娼妓取締規則」の、十八歳以上の婦娘は、売淫してもよいという条項に対して、何等の改正も撤廃も行われず、十八歳以上二十一歳以下の婦娘が、彼等の中の大多数であるという事実をそのままに放置して、何等、国際信義を重んずるという国家的正義が、現れて居ないことを慨かざるを得ないのである。

今や、国際連盟は、極東方面における、婦女売買の状態を、極めて仔細に調査研究するために、調査委員を派遣することに決し、そのために、ロックフエラー財団より十二万ドルの寄附を受け、既に、三名の調査委員は、支那までやって来て居る。日本に来るのは、五月下旬か六月上旬かというのであるが、彼等が、事実上の人身売買であり、事実上の奴隷制度であって、五万有余の女性が、牢獄にもひとしい座敷に押し込められ、動物にもひとしい醜悪なる非人道なる所行を、強要せられて居る実状を調査した時、自ら称して日東君子国といって居る日本にも、また、かかる残忍非道の世界あるかに、驚き且つおそれることであろう。
否、それよりもむしろ、彼等は、婦女禁売の国際条約に、加盟調印したる世界の一等国たる日本が、全然その条約を履行せざるのみならず、かえって、これを蹂躪して、いささかもはづるところなき、厚顔と不信と不義とに憤るであろう、あきれるであろう、そうして、従来、日本を買いかぶって居たことを後悔するであろう。そうした後悔は、ついに、彼等をして、日本に対する軽侮の風を、世界にみなぎらしめるにも至るであろう。

1931年当時において、売春は当たり前のことではなかったことがわかりますし、条約の趣旨を全く守ろうとしない政府を厳しく非難しています。
そして公娼制度を「事実上の人身売買であり、事実上の奴隷制度であって、五万有余の女性が、牢獄にもひとしい座敷に押し込められ、動物にもひとしい醜悪なる非人道なる所行を、強要せられて居る実状」と評しています。

「売春は合法だよ。何がいけないの?」というカマトトぶった発言は、1930年代当時には悪意ある冗談以外の何物でもなかったのです。

*1:神戸大学附属図書館 新聞記事文庫 婦人問題(4-017)