77年前の”安倍晋三”が語る「貞操国防論」

77年前の新聞記事ですが、今でも安倍晋三氏や櫻井よしこ氏あたりが言いそうな内容です。
神戸大学附属図書館 新聞記事文庫 婦人問題(4-095) より)

国民新聞 1935.1.6(昭和10)

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貞操国防
五来素川*1

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 昨年末新聞紙上、某国の海軍士官が、数多の日本婦人を誘惑し、軍機の秘密を探らしたと云うことが公にせられて、社会の人心を驚かしたが、近著の独逸新聞は、東京電報として之を掲げ、其女の数二十名に上ることを報じて居る。其軍機に関することは別問題として、最近日本婦人の貞操か外人間に評判の悪いことは事実である。
 或るフランス人は私に忠告して云った。「吾々ヨーロッパ人は、永い間此毒を飲まされて居るから仕方がないとしても、日本丈けは家族制度の国として、婦人の貞操丈けは、嘆美すべきものとなって居たのに、今日ダンスホール等で、我々の実見する事実は、実に日本の為めに惜しまざるを得ない。今にして此鴆毒を絶滅しないと、遂に取返しの付かない結果を見るであろう」と。
 此忠告は寔に病の中心に触れて居る。フランスの思想家ジョルジ・ソレルは一国の社会を観察するには、性の問題迄入って行かねば、其真相を知ることか出来ないと云った、実際上国の与るのも、其国の亡びるのも、皆性の問題からである。
 世界大戦当時、列国は各其国力を挙げて戦ったが、其国の戦闘力は、其国の婦人の貞操に正比例すと云われた。ロシアが最も弱かったのは其婦人の貞操が最も低かったからであり、英仏軍が比較的強かったのは、其婦人の貞操が比較的高かったからである。
 私は満洲事変当時独逸に居たが電報で大阪の某中尉の細君が夫の出征を励まして自殺し節約して蓄えて置いた六十余円を部下に分配して呉れと頼んで死んだと云う報道*2が来た時、或る独逸人は私に言った。「こう云う婦人を有する国は、決して亡びることはありません」と、或る独逸人か満洲を視察し、日本人勇戦の跡を見て嘆じて云ったそうである。「是程勇敢な軍人を生み出した日本の女は、さぞ立派な婦人であろう」と。
 是程立派であった日本婦人が何故斯く迄堕落したのであろうか、問題は実に此処にある。云う迄もなく、それは西洋個人主義の結果である。個人主義は決して、リベラリズム丈けに現れて居るのではない。更に極端にマルキシズムにも現れて居る。イタリヤのロッコが、十八世紀の思想も、リベラリズムも、デモクラシーも、共和政治、社会主義共産主義も、皆個人主義の変形に過ぎないと云ったのは、真理である。そして欧洲は此個人主義の為めに遂に共産主義に迄行詰り、国家も文明も共に覆滅の淵に立って居る。
 従て貞操問題の如き、マルキスト程破壊的のものはない。マルクス共産党宣言の中に説いて居る今日資本主義会社には婦人の貞操は決して完全でない。従って共産主義会社に於ては、婦人は総て之を共有とす可しと。そして之を実行して居るものが今日のロシヤである。
 此リベラリズムと、此マルキシズムの旺盛を極めた日本に、婦人が貞操を失ったのは、当然のことである。
 何がゆえに婦人の貞操は夫れ程大切であるか、それは社会学的に能く説明せられ得る問題である。即ち婦人は社会保存の職能を持って居るからである。
 社会とは何か、それは其社会生活が生み出す所の法則を措いて何もない。之を社会規範という。
 其社会的法則には種々あろう。風俗習慣に関するものもあり、宗教道徳に関するものもあり、政治経済に関するものもある。然し其中最も大切なるものは法律という法則である。
 是等の法則には皆制裁か付いて居る。風俗習慣の法則に反すれば人に笑われる。宗教道徳の法則に反すれば人に排斥せられる然し国家の法律に反すれば、裁判所や警察に依って罰せられる其重要性に従て強制せられる程度は違うが、社会は何れにしても是等の法則を強行せずには置かぬ。
 是等の法則は父母の力や学校の教育に依って、吾等に教え込まれて吾等の良心を成す。然し其中で最も有効に吾等の性格の中に叩き込むものは母であり、女である。女は其高き情操に依って、知らざる中に社会的法則を吾等に植付ける。従って社会は女に依って保存せらるるものであり、従って婦人の情操は社会結合の鉄鎖である。此鉄鎖が緩めば社会は亡ぶ。
 マルクス唯物論は此社会結合力の爆薬である。是が為めにロシヤも、独逸も、家族は全くなくなって仕舞った。ヒットラー運動は此家族組織の壊滅に帰した独逸を、根本的に建直さんとして居るのである。従ってそれは単なる政治運動ではない。それは精神運動であり、道徳運動であり、社会改造運動である。独逸国民の熱狂して之を助けている理由は其処にある。そして其運動のモットーは一言にして尽きる。曰く「婦人よ家庭に帰れ」今日迄の時代弊風は智的交化に過ぎたと云うことであり、従って今日から情操文化に還らんとして居るのである。
 我国に於ても、此リベラリズムや、マルキシズム鴆毒を根本的に血清する必要がある*3、是なしには日本は生きることは出来ぬ。恐ろしいのは今日の高等女学校の生徒が、皆新しいことのみを喜ぶ風である。先ず根本的に教師の頭脳を改造してかかる必要がある*4。それは知識教育を排して、情操教育を重んずること是である*5。其処にファッショ革命の使命がある。

突っ込みどころだらけでネタ満載ですが、何よりもこれが80年近く前の論調であることが驚きです。極右って言ってることが80年進歩無いんですね。

*1:読売新聞主筆

*2:これが美談として語られるのですから相当異常です。

*3:今日、産経新聞に掲載されても何ら遜色ないトンデモ

*4:80年前から極右の最初の標的は教育だったわけです。

*5:親学とか好きそう。