放火犯引渡し拒否が不当とまでは言えない

靖国神社に放火した中国人容疑者を韓国政府が韓国高裁の政治犯認定を受けて、日本への身柄引き渡しを拒否し中国へ送還した件です。
韓国政府が政治犯として日本の身柄引渡し要求を拒絶したことの背景に、日本国内の政治権力争いに外交が利用された結果、日韓、日中関係が急激に悪化したという情勢があることは否定できません。
政治犯認定に政治的な判断が入るのは、冷戦時の東西対立を思い起こせば至極当然の話でしかありません。
したがって、今回の韓国の対応を見て、韓国が日本よりも中国を隣国として重視していると判断することは正しいと言えるでしょう*1

しかしながら、こういった政治判断と政治犯認定が不当かというのは別の問題です。

(産経)【主張】靖国放火男 「政治犯」認定はおかしい(2013.1.5 03:31)
靖国放火容疑者 韓国の引き渡し拒否は不当だ(1月6日付・読売社説)
(毎日)社説:安倍政権の外交 アジアでの足場固めを(2013年01月08日 02時30分)

当然のように主要な日本国内メディアは不当だと叩いていますが、もともとの罪状が建造物等以外放火(刑法110条)で、裁判で「公共の危険」が認められなかった場合は器物損壊罪(刑法261条)に留まる程度*2のかなり軽い犯罪です。
ちなみに建造物等以外放火の場合は「一年以上十年以下の懲役」、器物損壊の場合は「三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金若しくは科料」です。
さらに当の中国人容疑者は在韓日本大使館に火炎瓶を投げた罪で既に10ヶ月服役しています。そして日韓犯罪人引渡し条約*3では引渡し犯罪を「死刑又は無期若しくは長期一年以上の拘禁刑に処することとされているもの」と限定されていますので、要件上でもかなりぎりぎりです。

逆説的かもしれませんが、こういった軽い罪の容疑者引渡し拒否に対して「政治犯認定は不当!」などと主要メディアが大騒ぎすることそのものが、余計“放火した対象が靖国神社だから騒いでいる”と政治犯認定の正しさを示していると言えるでしょう。

さて、韓国高裁が当該容疑者を政治犯と認定したロジックを知るためには判決文を読むのが最良でしょうが、判決文そのものは見当たらないので朝鮮日報の記事を参照します。

「靖国神社放火は政治的抗議、日本に引き渡せば迫害受ける」(朝鮮日報日本語版 1月4日(金)10時20分配信)

 高裁は政治犯だという判断の根拠として、犯行の動機や目的、犯行の対象である靖国神社の持つ意味合い、被害の程度などを挙げた。
 高裁は、劉強元受刑者の放火の動機について「日本が犯した歴史的事実に関する認識・怒りに起因したもの」と判断した。「劉強元受刑者の犯行は政治的大義(日本による植民地支配に対する政治的抗議の意思表示)のため行われたもので、犯行と政治的目的の間に有機的な関連性が認められる」というのだ。
 (略)
 また、靖国神社については「法律上は宗教団体の財産ではあるが、国の施設に相応する政治的象徴性がある」と判断した。日本の侵略戦争を主導した戦犯たちが合祀(ごうし)されており、周辺国の反発があるのにもかかわらず、日本政府の閣僚たちが参拝を続けているというものだ。

 高裁は、劉強元受刑者の放火による被害については「靖国神社の外にある門の一部が損傷しただけで、人命被害がない点などを考えると、深刻かつ残虐な反人倫的犯罪とは断定しがたい。犯行の法的性格は放火だが、事実上の性格は損壊に近く、公共に対する危険度は高くない」と述べた。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130104-00000824-chosun-kr

韓国高裁の判断基準となったのは「犯行の動機や目的、犯行の対象である靖国神社の持つ意味合い、被害の程度など」とあります。これは以下にほぼ対応すると言えます。

犯罪の政治的要素が普通的要素をうわまわるための要件は、次のようになる。
 (1)その行為が、純粋な政治犯罪の成功を準備または確保する目的で行われたものであること
 (2)行われた犯罪とそれによって追求された目的との間に直接的な関係が存在すること
 (3)行われた犯罪は、追求された政治目的との釣合いを失した残虐行為を含むものではないこと

http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/6284/1/A05111951-00-021000001.pdf

動機が「日本が犯した歴史的事実に関する認識・怒りに起因したもの」との判断は、「純粋な政治犯罪の成功を準備または確保する目的で行われた」ことに対応し、「劉強元受刑者の犯行は政治的大義(日本による植民地支配に対する政治的抗議の意思表示)のため行われたもので、犯行と政治的目的の間に有機的な関連性が認められる」との判断は、「行われた犯罪とそれによって追求された目的との間に直接的な関係が存在すること」を示しています。
靖国神社の外にある門の一部が損傷しただけで、人命被害がない点などを考えると、深刻かつ残虐な反人倫的犯罪とは断定しがたい。」という判断は、「追求された政治目的との釣合いを失した残虐行為を含むものではないこと」を示しています。

ではこれらの妥当性を個々に見ていきましょう。

(1)その行為が、純粋な政治犯罪の成功を準備または確保する目的で行われたものであること

これについては「日本が犯した歴史的事実に関する認識・怒りに起因したもの」「政治的大義(日本による植民地支配に対する政治的抗議の意思表示)のため」と判断されています。
靖国神社への放火と言う行為が、「日本が犯した歴史的事実に関する認識・怒りに起因した」動機と「日本による植民地支配に対する政治的抗議の意思表示」という目的で為されたことは容易に理解できます。
「純粋な政治犯罪」とは「国家の権力関係、および国家の機構に対する攻撃」を指しますが、「日本による植民地支配に対する政治的抗議の意思表示」もこれに含まれるというのは特に難解な話ではありません。

犯人が語った動機の信憑性についても直接の逮捕容疑がソウルの日本大使館への火炎瓶投げ入れであったことを考えれば、信憑性を疑うべき合理的な根拠は見出せません。

(2)行われた犯罪とそれによって追求された目的との間に直接的な関係が存在すること

これについて「犯行と政治的目的の間に有機的な関連性が認められる」と韓国高裁は判断しています。
靖国神社への放火と言う行為と「日本による植民地支配に対する政治的抗議の意思表示」の間に関連性があるかということですが、A級戦犯を合祀しアジア太平洋戦争を正当化している神社であり、かつ首相をはじめ閣僚の公式参拝させたいという要望が右翼団体・右翼政治家・右翼メディアからしきりに発せられる状況を鑑みれば、関連性を見出して当然とも言えます。

もちろん。公式には靖国神社は非国営の宗教法人に過ぎませんので、「国家の権力関係、および国家の機構に対する攻撃」との関連性を否定する余地はありますが、おそらくそういう主張が裁判の中でもされたのでしょう、「法律上は宗教団体の財産ではあるが、国の施設に相応する政治的象徴性がある」という判断を高裁は出しています。

皮肉なことに、日本の右翼による首相の公式参拝要求や靖国神社国営化の要望などが、靖国神社の「国の施設に相応する政治的象徴性」を裏付けてるとさえ言えます。

(3)行われた犯罪は、追求された政治目的との釣合いを失した残虐行為を含むものではないこと

靖国神社への放火と言う行為が、「日本による植民地支配に対する政治的抗議の意思表示」という目的とバランスが取れないほどの残虐行為を含んだか、という基準ですが、これに対して「靖国神社の外にある門の一部が損傷しただけで、人命被害がない点などを考えると、深刻かつ残虐な反人倫的犯罪とは断定しがたい。」と韓国高裁は判断しています。

「放火」ということで、読売新聞などは「放火という重大な犯罪」*4と吹き上がってますが、日本側が引き渡しを要求した根拠容疑が建造物等以外放火であることを考えると「重大な犯罪」と呼ぶのは過剰反応と言えます。上にも書いたとおり、建造物等以外放火は公共の危険がない場合、器物損壊とみなされる程度の犯罪です。
韓国高裁もこの点に触れ「犯行の法的性格は放火だが、事実上の性格は損壊に近く、公共に対する危険度は高くない」と評しています。

「日本による植民地支配に対する政治的抗議の意思表示」という目的に対して、器物損壊に近い建造物等以外放火という犯罪が釣合いを失した残虐行為と言えるかと言えば、個人的には言えないと考えます。
もし、日本政府が過去の植民地支配などに対して政府として明確な謝罪や賠償を行っており、セカンドレイプに等しい歴史修正主義・否定論に対して、政府が公式に否定論反対の立場を取っているならば、「日本による植民地支配に対する政治的抗議の意思表示」という目的が重視されることはなかったかもしれません。
また、放火した場所・時間帯が、無関係の人を傷つけるようなものであったなら、あるいは放火した結果、歴史的に価値ある建造物が全焼したりしたのなら、残虐行為が重視され、釣合いを失したと判断されたかも知れません。

もちろん、これには別の意見もあるでしょうが、「深刻かつ残虐な反人倫的犯罪とは断定しがたい」という高裁判断から「行われた犯罪は、追求された政治目的との釣合いを失した残虐行為を含むものではない」と判断することが不当であるとまでは断言できないでしょう。

ところで読売新聞は「靖国神社には何をしても許されると言ったも同然ではないか。」と社説に書いていますが、「犯行の法的性格は放火だが、事実上の性格は損壊に近く、公共に対する危険度は高くない」という高裁判断をまるで無視した暴論にすぎません。
「何をしても許される」のなら「深刻かつ残虐な反人倫的犯罪とは断定しがたい」とか「公共に対する危険度は高くない」などとは言わないでしょう。

相対的政治犯

以上の3点から、今回の靖国神社への放火という犯罪について、政治的要素が普通的要素をうわまわる相対的政治犯罪であるとみなしても、特に不当な判断だとは思えません。

産経、読売、毎日をはじめ、政治犯認定を不当だとする主張で、政治犯の定義を明確にした上で論理的に韓国高裁の判断に論駁しているものを見かけません。最初に「不当だ」と決め付けた上で論理など無視した乱暴な意見ばかりが目に付き、日本がいかに冷静さを失っているかを物語っているようです。
おそらく、日本の記者たちは政治犯の定義についてまともに考えた事もないのでしょう。あるいは、安倍政権の誕生を海外から右傾化と呼ばれて、それをメディア自身が否定しているうちに批判精神すら見失ったのかもしれません。

一方で「政治犯に決まっている」的な単純な決め付けも見かけますが、これも乱暴な意見です。火災の程度によっては政治犯とみなすべきではないこともあり得ることに留意すべきです。いかなる政治的大義があろうと、無関係の人を傷つけるような行為が容認されるわけではありません。



参考

政治犯の定義に関する資料の紹介
政治犯罪概念の国際法的考察

レイシズム全開のtoggeter
なんちゃって識者たちの饗宴

不文憲法がどうとか言っているのはこの件。

憲法裁判所2004.10.21.
この決定(憲法裁判所)では、「大韓民国の首都はソウルであること」は慣習憲法であることから、首都移転のためには憲法改正手続によらねばならず、国会が新行政首都建設のための特別措置法によって法律を用いて移転する決定は違憲であると宣告した。この決定の趣旨に賛成する見解もあるが、学会からは強い批判を受けた。この決定によって上記の法律の効力が失われ、政府は、移転する行政機関の範囲を縮小し、行政首都に代わる行政中心複合都市を建設することを決定し、この結果、根拠となる法律である「新行政首都対策のための燕岐・公州地域行政中心複合都市建設のための特別法」が制定された。憲法裁判所は、この法律に対する憲法訴願の請求は却下した(憲法裁判所2005.11.24)。

http://www.waseda.jp/hiken/jp/public/review/pdf/45/02/ronbun/A04408055-00-045020001.pdf

レイシストにとっては揶揄のネタにしか見えないのでしょうけどね。

*1:当然ながら、韓国を中国寄りに追いやったのは、野党自民党が無責任に煽った竹島問題であり、右翼議員らによる従軍慰安婦否定論の流布です。外交対立を激化させないという当然の選択肢よりも政権奪回という政局を優先して民主党政権を追い詰めた結果、外交はズタズタにされたわけです。

*2:http://park.geocities.jp/funotch/keiho/kakuron/shakaihoueki1/koukyounoheion/houka_shikka/kenzoubutsuigaihouka.html

*3:犯罪人引渡しに関する日本国と大韓民国との間の条約 http://www1.doshisha.ac.jp/~karai/intlaw/docs/jpkorextradition.htm

*4:http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20130105-OYT1T01103.htm