1968年における「慰安婦が半強制的な形で派遣された」という指摘

以前、「日本社会は1990年代まで慰安婦問題をどのように捉えてきたか」という記事を書き、敗戦直後から慰安婦に関連する議論がどのように展開されたかを簡単に述べましたが、「「従軍慰安婦問題」の歴史は意外と新しい」とかのたまう人がやはり多いようですので、改めて述べておきます。

まず、最初に言えるのは、吉見義明氏の「従軍慰安婦」(1995)、朝日新聞の報道(1992)、吉田清治氏の「私の戦争犯罪」(1983)よりも先に千田夏光氏の「従軍慰安婦」(1973)があり、それ以前にも慰安婦らの悲惨な境遇に関して1960年代後半〜1970年代初頭には既に多くの書籍・記事が出ていました。それを知らない、調べない人は「「最初」の慰安婦問題は、1980年代に、吉田清治という山口県の男性が、戦時中に済州島朝鮮人を奴隷狩りしたという衝撃的な告白をしたことからはじまります。」*1とか言ってしまうわけです。

さて、それ以前にも慰安婦に関する問題が国会で持ち上がっています。このときは慰安婦にも援護法の適用がされているのか、と言った問題で当然に日本人のみが対象とされていました。
1968年4月26日、衆議院社会労働委員会における、後藤俊男議員(社会党)の発言。

○後藤委員 大臣のほうが、時間が十分ないそうでございますので、まず第一番にお尋ねいたしたいと思いますのは、大東亜戦争当時、第一線なり、いわゆる戦場へ慰安婦がかなり派遣されておったと思うのです。私も内々これらの派遣されたいきさつにつきまして、できるだけ、どういうふうな計画でどういうふうにやられたかを調べようと、かなり苦心をしたわけでございますが、聞くところによりますと、無給軍属ということで派遣をしておるさらにこの派遣につきましては、それらの業者と軍との間で、おまえのところでは何名派遣せよというようなことで、半強制的なようなかっこうで派遣されておるというようなことも私聞いておる次第でございますが、さらにこれらの派遣された慰安婦につきましては、戦場におきまして、戦闘がたけなわになると、あるいは敵の急な襲撃等があった場合には、看護婦の代理もやっておる。さらに弾薬も運ぶというような、さながら戦闘部隊のような形でやられておるというような実績もかなりあると聞いておるのです。
 いま申し上げましたような、この慰安婦に対する現在の援護法の適用の問題でございますけれども、これも、過去において五、六十名適用したこともあるというようなことも聞きました。これは、たとえば自分の家族なりきょうだいなりが戦場に派遣された――振り返ってそういうことは言えるわけでございますけれども、しかしながら、あまりかっこうのいい話ではございませんので、言いたくても言わずにしんぼうしておる人があるんじゃないかというふうなことも推察できるわけなんです。いま申し上げましたような、先ほど言ったように、戦場で、あるときには戦闘部隊になり、あるときにはたまを運ぶ、あるときには兵隊さんを肉体的に激励する、こういうふうないろいろな苦労をした慰安婦に対しまして、この援護法との関係、いままでの経過、さらにこれからの問題につきまして、どういうふうな方向をとっていこうとされておるのか、この点につきまして大臣にお伺いをいたしたいと思います。

これに対する園田直厚生大臣自民党・元陸軍大尉)の発言。

○園田国務大臣 ただいまの御指摘の問題は、その実情が、海軍と陸軍とで関係も違っておりますし、それからもう一つは、戦争の初めごろと終わりごろとではまた資格、契約等のことも変わっておるようでございます。また終戦後の混乱時については、御指摘のような点もございますが、事の本質上、この問題として援護することは実態もなかなかわかりませんし、調査も困難でございますので、じかにこの問題として取り上げることはなかなか困難な問題が多いわけでございますが、委員の御指摘の点、私もそのように考えますので、たとえば無給軍属の契約をしておる、あるいは戦争の混乱時で後方勤務をやったとか、あるいは弾薬運びをやったとか、あるいは看護婦さんの仕事をやったとか、そういうものはそういう面からできるだけ広げていって、将来こういう方々にも何とかお報いができるような方針で、事務当局で検討したいと考えております。

ここで重要なのは、「この派遣につきましては、それらの業者と軍との間で、おまえのところでは何名派遣せよというようなことで、半強制的なようなかっこうで派遣されておるというようなことも私聞いておる次第でございます」と述べており、この時すでに軍の圧力によって強制的に集められていることが言及されており、それに対して、元陸軍大尉であった園田厚生大臣は特に反論したりしていません。

その後も後藤議員は続けて、

○後藤委員 (略)当時大臣も兵隊に行っておられて、慰安婦等の数なりその他につきましては、千名や二千名ではなかろうと思います。おそらく数千名の慰安婦が第一線なりその他多くの戦場に派遣されておった、これはもう間違いないと思うのです。(略)

と述べていますが、厚生省の実本博次援護局長は、こう答えています。

○実本政府委員 (略)こういう人たちの実態というものは、先生が先ほどちょっと触れられましたように、現実には何か相当前線の将兵の士気を鼓舞するために必要なわけで、軍が相当な勧奨をしておったのではないかというふうに思われますが、形の上ではそういった目的で軍が送りました女性というものとの間には雇用関係はございませんで、そういう前線の将兵との間にケース、ケースで個別的に金銭の授受を行なって事が運ばれていた模様でございます。軍はそういった意味で雇用関係はなかったわけでございますが、しかし、一応戦地におって施設、宿舎等の便宜を与えるためには、何か身分がなければなりませんので、無給の軍属というふうな身分を与えて宿舎その他の便宜を供与していた、こういう実態でございます。(略)

「軍が相当な勧奨をしておったのではないかというふうに思われます」と厚生省援護局長が認め、軍と慰安婦が直接に雇用関係になかったのも「形の上」とまで素直に認めています。

この頃の慰安婦問題は、慰安婦の遺族らにも援護法を適用してはどうかという社会党の主張に対して、援護法は申請主義だから申請がなければ何もできない、と厚生省が責任を回避するというものでした。

○後藤委員 そうしますと、いまあなたが言われたように、当時第一線なり戦場へどれくらいの数の慰安婦が派遣されておったか、数千人だろうというふうな想像をいたしておるわけでございますけれども、これらの中に、先ほどの援護法を適用してもよろしいというような条件に該当する人があったとしたならば援護法の適用をされるわけなのです。ところが、局長も言われるように、これは申請しなければ問題にならない。しかしそれらの条件に該当する遺族なりそれらの人は、全然そういうことを知らないと思うのです。百人のうち一人や二人は知っておる人があるかもしれませんが、ほとんどの人がわからない。わからなければ申請をしない。申請をしないからこのままいくのだ、こういうふうなかっこうに進んできたのが今日であり、これからもそういうふうになるのではないかと思われるわけでございますけれども、局長がせっかくそこまではっきりきちっと言い切られましたら、それらの条件に該当する人については、これは援護法の適用がされるのだということで、やはり連絡なり、PRなり、通達なり、それらに十分なる手配をとっていただく必要があると思うのです。
 それと同時に、こんなことを申し上げるとまことに失礼かもしれませんけれども、それらの条件に該当する人は、生活も裕福な人は少なかろうと思うのです。いわば生活に非常に苦しんでおられる家庭の人が多いのじゃないか。しかも遺族の人も、まことにいい話ではございませんので遠慮しがちになってくる。全然声が出てこない。そういうところへこの援護法等の適用につきましても手を差し伸べていくのが政治の力であろうと私は考えるわけです。(略)

慰安婦というものが体裁が悪いため、遺族らが申請するのを遠慮しがちなのではないか、と言った当事者が申し出にくい問題であることも、この当時既にわかっていたことでした。

今日の慰安婦否認論者は、この問題に対する前段の知識を全く欠いているにも関わらず、その自覚が無いために、慰安婦問題が80年代、あるいは90年代に突如として現れたように語ります。
それは無知の証に他ならないのですが、無知を自覚できない人たちの群れの中にいるとそれにすら気づきません。

全く病的と言えます。