与那国島で戦没した朝鮮人慰安婦の話

沖縄・与那国島朝鮮人慰安婦の追慕慰霊祭を開催=韓国
サーチナ 3月25日(月)14時4分配信

 沖縄県与那国島内の公園で23日、朝鮮人慰安婦追慕慰霊祭が開催された。島民らで構成された「朝鮮人慰安婦与那国島慰霊祭実行委員会」が主催し、韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)や韓国の関連団体などを含め、約100人が参加した。複数の韓国メディアが報じた。
 韓国メディアは、「日本の沖縄で朝鮮人慰安婦の慰霊祭を開催」、「日本と台湾が接する島で慰安婦追悼の慰霊祭」などの見出しで伝えた。
 この慰霊祭は、与那国島で1944年に米軍の爆撃受けて死亡した慰安婦46人を追慕するためのもので、初めて開催された。当時の日本政府は、米軍の北上が予想される与那国島宮古島付近に兵士3万人を配置した後、慰安婦を集めて17カ所に慰安所を設置したと紹介した。
 また、済州島からは犠牲者の魂を鎮めるために舞踏家が訪れ、供養の舞を踊った。
 1944年12月に台湾から朝鮮人慰安婦53人を乗せた船が宮古島に向かう途中、与那国島久部良港で米軍の爆撃を受け、46人が死亡したとされるが、遺体はほとんど見つからなかったという。(編集担当:李信恵・山口幸治)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130325-00000030-scn-kr

与那国沖で空襲を受け亡くなった慰安婦の件については、以下に詳しいです。

「アイゴー」と泣きわめく慰安婦達の声が・・・
「アイゴー」と泣きわめく慰安婦達の声が・・・2
「アイゴー」と泣きわめく慰安婦達の声が・・・3

サーチナの記事では「遺体はほとんど見つからなかった」とありますが、実際には約50人の犠牲者は火葬され久部良港近くの丘に埋葬されているそうですので誤報ですね*1
上記記事によると慰安婦が空襲の犠牲になるまでの経緯は以下の通りです。

1944年末頃、池村軍医が宮古島の陸軍病院から台湾の台北大学医学部にマラリアの薬を受け取りに行っています。その後、台湾基隆から宮古島に帰還する際、渡辺大尉、下垣曹長に連れられた朝鮮人慰安婦53人が機帆船に同乗しています。機帆船は100トン程度の木造小型船ですから慰安婦以外の同乗者はほとんどいなかったでしょう。機帆船は陸軍船舶兵の所属。慰安婦らは宮古島野原越にある陸軍司令部に連れられていく予定でした。
機帆船は出港後1日で与那国に到着していますが、久部良港には入港していません。

この機帆船は暁部隊の船舶で、キールンを出た翌日の夜明け前に与那国へ着いた。そこには船をつける岸壁がないので、霧が晴れてから入港しようと、港外に船を停泊させた。

http://isobanokai.ti-da.net/e3356980.html

とありますが、空襲を懸念して夜間のみの航行しているのではないかと思われます。そもそも目的地は宮古島ですから与那国島に寄港する必要はなく、下手に接岸して昼間の空襲を受ければいちころですから港外で待機していたのでしょう。
朝5時頃*2、北〜北西方向から米軍機が2機飛来します。
この1944年末から1945年初頭にかけ、米軍はしきりに沖縄本島石垣島与那国島西表島に航空機を飛来させています。1944年12月時点では本格的な空襲というより偵察と神経戦を兼ねた少数機での来襲が主です。
石垣地区守備隊の1945年1月1日の戦闘要報には、B24が単独で来襲した記録があります*3。石垣地区守備隊は「我ガ後方線ノ攪乱偵察ヲ企図セル敵ハ元旦ヲ利シ我ガ警備ノ緩ミノ万一ヲ期待シ偵察ト共ニ神経戦ヲ狙ヒタルモノノ如ク レーテ島戦局ノ激化ニ鑑ミ今後更ニ敵機来襲ハ必至ナリ」と記しています。
与那国沖の機帆船を攻撃した米軍機もこうした動きの一環だったのでしょう。

米軍機からの攻撃は銃撃が主でしたが、小型の木造機帆船ですから5回ほどの掃射で機関部に被弾、黒煙を上げています。その数回の掃射で10数人の慰安婦らが次々と倒され、生き残りは海に飛び込み、その中には池村軍医もおり、与那国島まで泳いで警防団に救助を依頼します。

「船は燃えているが周囲には女性がイカダにすがっている。今のうちに助けて下さい。」と頼んだ。未だ生きている者がいると聞き、かつ米軍機はもう来ないと判断した警防団はすぐ救助作業を開始した。
 3〜4隻のサバニで手分けして、イカダに助けを求めている朝鮮人慰安婦達を救助した。死体も久部良の海岸へ運んで来た。生き残ったのはわずか7名だけであった。

http://isobanokai.ti-da.net/e3356980.html

生き残った7人の慰安婦はその後、伊良部島を経て宮古島に送られています。53人の慰安婦のうち、46人が与那国島で死んだわけです。朝鮮人慰安婦追慕慰霊祭が開催されるのは至極当然のことですが、それが気に入らない人たちがいるようです。


与那国島“慰安婦慰霊祭”のウラ 自衛隊配備阻止が狙い?
今や「下衆の勘ぐり」という言葉は産経新聞のために存在しています。この記事もデマと悪質な印象操作に彩られています。

 陸上自衛隊沿岸監視部隊の配備が計画されている沖縄県与那国島与那国町)に先月末、韓国の活動家ら約20人が訪れ、慰安婦与那国島慰霊祭が開催された。戦時中、米軍の空爆慰安婦46人が亡くなったと主張しているが、同町の糸数健一町議(60、自民党)は「自分は60年、この島に住んでいるが、慰安婦の存在も空爆も聞いたことがない。慰霊祭には、別の思惑があるのでは」といぶかしがっている。

http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130406/plt1304061446003-n1.htm

上で述べた通り、慰安婦らは機帆船で台湾から宮古島に向かう途中、与那国島沖で空襲を受けたのであって、当日の救援に参加しなかった島民以外は慰安婦の存在を知りえるはずがなく「慰安婦の存在」を聞いたことがないことは、何の根拠にもなりません。
ちなみに大規模な空襲ではありませんが、小規模な空襲なら1944年12月に受けています。先の石垣地区守備隊の1945年1月1日の戦闘要報の冒頭には「十二月三十一日、沖縄島、与那国島西表島ニ敵機来襲ノ報ニ接シ」*4とあり、空襲を受けていることがわかります。「空爆も聞いたことがない。」というのは単に糸数健一町議が知らないだけです。

ちなみにこの記事には「同町総務財政課も「戦時中だけに米軍機の銃撃はあったが、久部良港の空爆については与那国町史にも出てこない。年配者に聞いても、誰も知らない」という。」という部分があり、慰安婦らの遭難がまさに「米軍機の銃撃」によるものであったことを考えれば、何の否定にもなっていないことは明らかです。ところがこの記事はまるで慰安婦の遭難事件自体がでっち上げであるかのような印象操作を行っています。下衆の極みですね。

この下衆な記事を書いたジャーナリストと称する事実上の二次強姦魔である仲村覚氏はこんなことを書いています。

島民である実行委員長にも取材を試みたが、何度電話しても呼び出し音が鳴るだけだった。

http://www.zakzak.co.jp/society/politics/news/20130406/plt1304061446003-n1.htm

うん、ジャーナリストなら現地に行って直接訪問するべきじゃないかな。

*1:また、後述するように爆撃ではなく、主に銃撃です。

*2:12月の日出時刻が6時半であることから、6時か7時過ぎの記憶違いではないかと思われます。

*3:「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C11110298800、石垣地区守備隊対空戦闘要報 昭和20年1月1日(防衛省防衛研究所)」http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C11110298800

*4:「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C11110298800、石垣地区守備隊対空戦闘要報 昭和20年1月1日(防衛省防衛研究所)」http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C11110298800