百田尚樹氏が流布するデタラメに対する指摘・5

次は、「日本軍によって殺された民間人はわずかだった」*1というデマについてです。

 日本軍の司令官・松井石根(まつい・いわね)大将は、南京攻略を前に、「決して民間人を殺してはならない」と全軍に厳しく命じていました。
 そして、南京攻略戦の最中、南京にとどまった市民たちは皆、南京城壁内に特別に設定された「安全区」の中に避難していました。南京にいた外国人たちもみな、安全区に避難していました。日本軍は、その安全区内にも中国兵が多くいることを知っていましたが、安全区を攻撃することはしませんでした。

http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/nankingmj.htm

まず、南京攻略戦時、南京の住民が全員、安全区に避難したわけではありません。詳細は以下のサイトを参照してください。
安全区外は無人地帯?
資料:「安全区外」の残留住民

安全区以外にも住民が残っていたことは日本兵の手記にも明らかですし、ダーディンの1937年12月19日付ニューヨークタイムズ記事でも「一方、安全区という聖域を見いだせずに自宅に待機していた民間人は五万人以上を数えるものと思われる。」と書かれています。そもそも久保氏は、南京陥落後に人口が5万人増えたことに自ら言及しています*2が、その増えた5万人はラーベ日記で「難民の数は今や約25万人と見積もられている。増えた5万人は廃墟になったところに住んでいた人たちだ。」と書かれています。少なくとも5万人が攻略戦当時、安全区以外の場所にいたわけです。

 そのため、たまたま流れ弾に当たって数人が死傷したものの、そうした事故を除けば、安全区の住人は全員無事でした。実際、南京占領後、安全区のリーダーであったドイツ人、ジョン・ラーベは、「日本軍が安全区を攻撃しなかったことを深く感謝いたします」との感謝状を松井大将に手渡しています。

http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/nankingmj.htm

ここで言っている「感謝状」とは1937年12月14日にラーベが日本軍当局に提出した第一号文書*3のことですが、これは感謝状というより要望書です*4。以下の内容から明らかでしょう。

以下のことを委員会の手で行うことを要請いたします。
1.安全区の入口各所に日本軍衛兵各一名を配備されたい。
2.ピストルのみを携行する地区内民警によって地区内を警備することを許可されたい。
3.地区内において米の販売と無料食糧の営業を続行することを許可されたい。
4.われわれは市内の他の場所に米の倉庫を幾つか持っているので、貯蔵所を確保するためにトラックを自由に通行させていただきたい。
5.一般市民が帰宅することが出来るまで、現在の住宅上の配慮を続けることを許可されたい。(たとえ、帰宅できるようになったとしても、多数の帰るところのない難民の保護をすることになろう。)
6.電話、電灯、水道の便を出来るだけ早く復旧するよう貴下とと協力する機会を与えられたい。

http://www.tok2.com/home/johnvoid/doc_safety.html

感謝状にこんな要望を記載する人はまずいないでしょう。

 また攻略戦終了後、日本軍の監督・指揮のもとで、「紅卍会」という南京の中国人団体が、死んだ中国兵の埋葬作業を行ないました。彼らは埋葬した人々のリストを残していますが、その中に女性や子供の遺体はほとんど含まれていません。これは、民間人の犠牲者がほとんどいなかったことを示しています。

http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/nankingmj.htm

遺体に女性や子供がほとんどいなかったのは、日本軍が虐殺した対象が捕虜や中国兵容疑者であったからです。日本軍は成人男子はほとんど全て中国兵容疑者として連れ去り虐殺したわけですから、その中に多くの民間人が含まれている蓋然性は否定できません。スマイス調査でも南京在住の民間人4000人が日本軍に連行され、多くは殺されたであろうと記載されています*5

 また南京安全区の安全と秩序の維持のために、南京攻略戦の前から、南京に住む欧米人らは「南京国際委員会」というものを作っていました。彼らは、日本軍による南京占領後に南京で起きた犯罪事件をまとめ、被害届として日本軍に提出しました。それは、南京で見聞きした日本兵による犯罪(強姦、略奪、殺人)等を記録したもので、日本軍に取締りを求める内容でした。
 その被害届には、日本兵によるとされる犯罪が425件記されています。その大部分は伝聞にすぎず、資料的な問題はありますが、たとえすべてを事実と仮定しても、そのうち殺人事件はわずか49件にすぎません。つまり、どうみても「大虐殺」などなかったのです。

http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/nankingmj.htm

この国際委員会報告の曲解については、こちらに詳しいです。簡単に言えば、国際委員会が日本軍による暴行・殺害の状況を見聞できた事件のうち、日本側に改善要求を出すにあたって抽出したものに過ぎず、虐殺犠牲者の下限を示すものではあっても上限を示すものではないということです。改善要求を出す際に事例として含まれなかった事件や、目撃者や生存者がおらず虐殺された状況がわからないものについては含まれていません。日本軍占領下の南京の路上で前日には無かった刺殺・射殺死体が転がっていれば、当然に日本軍による虐殺と推定できますがそういった事件はこの報告には含まれていません。
(参考)

そもそも「国際委員会」文書は、「事例」をあげて日本側に事態の改善を求めることを目的とした文書であり、日本軍の引き起こした「暴行事件」のすべての網羅を意図したものではありません。例えば、外国人の日記などに繰り返し登場する「発電所職員四十三人殺害事件」など、「国際委員会文書」には見られない「事件」も数多くあります。

http://www.geocities.jp/yu77799/kokusaiiinkai.html

 しかも、その49件のうち、国際委員会の委員が直接目撃したものはわずか2件でした。あとはみな伝聞です。また、その2件のうち1件は、ジョン・マギー牧師が目撃したものですが、日本兵が、軍服を脱いで民間人に扮している中国兵を探している中、不審な者を見つけて身元を尋ねたとき、急に逃げ出したので撃ち殺したというものでした。しかし、これは国際法上、合法的なものです。
 もう1件のほうも、合法的なものでした。つまり国際委員会の委員は誰も、南京において違法な殺人を目撃していないのです。ましてや大虐殺を目撃していません。

http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/nankingmj.htm

久保氏が合法だと言っている虐殺事件の一つはこれと思われます。

第三六件 
十二月十七日午後四時頃、E.H.フォースター氏、ボドシヴォロフ氏、ジアル氏と私の四人の外国人が住んでいる大方巷の家の近くで三、四人の日本兵が一人の一般市民を射殺した。(マギー)
(「南京大残虐事件資料集 第2巻」 P169)

http://www.geocities.jp/yu77799/49nin.html

この事件に関してマギーは東京裁判でより詳細に説明しています。

○マギー証人
 其の次の日の出来事でありますが、私は他の三人の外国人、其の外国人の二人は「ロシヤ」人、一人は私の同僚の「フォスター」さんでありましたが、私共是れだけの外国人の家の「バルコニー」から外を見まして、実際中国人が一人殺されるのを目撃したのであります。
 それは中国人が私の家の前を歩いて居つたのでありますが、それは何れも絹の着物を着て居りました。それを日本の軍人が後ろから誰何したのであります。さうしますると 此の中国人は非常に驚きまして、歩行を早めて逃げ去らうとして、丁度其の先の所にありました角の所を曲らうと致しました所が、其処には丁度竹垣がありまして行詰りになつた為に、逃げることが出来なかつたのであります。
 それを日本の兵隊が追掛けまして、さうして殺したのであります。
〔宮本モニター 一寸訂正します。「一人の支那人が私の家の前を歩いて」と訳しましたが、「一人の支那人が通りを歩いて居る」と云ふやうに訳します。あとの方で、<日本人の兵隊が此の支那人の顔に向けて発砲して殺したのであります〕
 まるで彼等は何事も起こらなかつたやうに、さり気なく煙草を吹かしながら歩き続けて行つてしまひました。恰もそれは野鴨狩りでもして居つたやうな平気な態度でありました。
(『南京大残虐事件資料集 第1巻』 P89)

http://www.geocities.jp/yu77799/nankin/magee2.html

日本兵が、軍服を脱いで民間人に扮している中国兵を探している中、不審な者を見つけて身元を尋ねたとき、急に逃げ出したので撃ち殺した」と久保氏は書いていますが、この殺害された中国人が「民間人に扮している中国兵」なのかどうかは全く不明です。戦闘状態でも何でもなく、中国兵であることの確信もなく、捕らえて調べることも可能な状況において、“ただ怪しい”と感じただけ*6で、日本兵は中国人を射殺しています。このような事件を久保氏は合法と言い、百田氏はそれを信奉しています。

さて、久保氏が「もう1件のほうも、合法的なものでした」と言っているのはこれと思われます。

第一八五件
 一月九日朝、クレーガー氏とハッツ氏は、安全区内の山西路にある中央庚款大廈(The Sino-British Boxer Indemnity Building)の真東にある池で、日本軍将校一名と日本兵一名が平服の一市民を虐殺するのを目撃した。クレーガー氏とハッツ氏が現場に着いた時には、男は割れた氷がゆれ動く池の水に腰までつかって立っていた。将校が命令を下すと、兵士は土嚢の後に伏せて、男に向けて発砲し、男の肩に弾丸があたった。再度発砲したが弾は外れ、第三弾で男は死亡した(1)(((1)われわれは、日本軍による合法的な死刑執行にたいして何ら抗議する権利はないが、これがあまりにも非能率的で残虐なやり方でおこなわれていることは確かである。そのうえ、このようなやり方は、われわれが日本大使館員たちと個人的に話し合ったさいに何回も言ったような問題をひきおこすのである。つまり、安全区内の池で人を殺すことは池の水をだいなしにするし、そのため、地区内の人々にたいする給水量が大幅に減少するのである。このように乾燥が続いており、水道の復旧が遅れているさいに、これはきわめて重大なことである。市による水の配給は非常に手間どっている。(報告者注)))。(クレーガー、ハッツ)
(「南京大残虐事件資料集 第2巻」 P114〜P115)

http://www.geocities.jp/yu77799/49nin.html

日本兵が池に立たせた中国人を射殺した事件です。注釈中で「われわれは、日本軍による合法的な死刑執行にたいして何ら抗議する権利はないが、これがあまりにも非能率的で残虐なやり方でおこなわれていることは確かである。」と書かれていますが、これが合法かどうかを判断できる記述はどこにもありません。射殺される理由については何も書かれていません。にもかかわらず、久保氏はこれを合法だと決め付けています。そして、愚かな百田氏はそれを全く疑いません。信仰のなせる業と言えるでしょう。

 また南京が陥落したとき、多くの中国兵は軍服を脱ぎ捨てて、民間人になりすまして安全区内に逃げ込みました。そのため、日本軍は彼らを見つけだすために掃討作戦を行なわなければなりませんでした。
 兵士は帽子をかぶっているので、額の上部に日焼け跡がなく、その帽子の跡で兵士とわかります。また兵士は、手をみると、度重なる銃の発射でタコができています。それに兵士は、南京市内に家族がいません。そうしたことなどで日本軍は兵士と市民を区別し、兵士を発見すると、逮捕しました。

http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/nankingmj.htm

「額の上部に日焼け跡」や「度重なる銃の発射でタコができて」と言った極めて曖昧な根拠で逮捕していたことを久保氏は認めていますが、やはり百田氏は愚かにもそれを疑うことができません。この判断基準で逮捕された者が単なる容疑者で多くは容疑が晴れて解放されたというならまだしも逮捕された者の多くは殺害されている以上、生死を分ける判断が「日焼け跡」や手のタコで為されたとしか言いようがなく、民間人に対する無差別虐殺と言われても反論できません。
なお、スマイス調査では日本軍に逮捕連行された4200人のほとんどはその後消息不明で多くは殺されたと推定しています。*7

 その際、誤認逮捕が皆無であったとは言えないかもしれません。しかし、たとえ誤認逮捕があったとしても、その数はわずかだったと言えるでしょう。
 このように南京攻略戦の最中、およびその後にかけて、日本軍によって殺された民間人の数は、ごくわずかしかいなかったのです。

http://www2.biglobe.ne.jp/remnant/nankingmj.htm

久保氏は「たとえ誤認逮捕があったとしても、その数はわずかだった」と言っていますが、その根拠については書かれていません。まあ、久保氏の脳内では、「日焼け跡」や手のタコでの判断が、誤認逮捕が少なかった根拠になっているのでしょうが、そんな素っ頓狂な脳内根拠を共有できる人がそうそういるわけが・・・って百田氏は共有してるんでしょうねぇ。何せ信仰の人ですし。