2011年後半の動きを全く踏まえない空論

日経で「韓国、なぜ急に反日に 解けぬ野田氏の疑問」という記事が出ていました。内容は、2011年10月に訪韓して会談した時から2011年12月に来日して会談した時の間で韓国側の対応が急に変わった、なぜだ、という話で、後は邪推で取るに足らない内容です。
日経の記事の中では全く触れていませんが、2011年10月18日の訪韓*1から1ヶ月半前の2011年8月30日に韓国憲法裁判所は以下のような判決を出しています。

請求人らが日本国に対して有する日本軍慰安婦としての賠償請求権が、「大韓民国と日本国間の財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する協定」第2条第1項によって消滅したか否かに関する韓・日両国間の解釈上の紛争を、上の協定第3条が定めた手続きに従って解決しないでいる被請求人の不作為は、違憲であることを確認する

http://www.wam-peace.org/wp/wp-content/uploads/2011/09/64e1569fcbc532fd1df34f353e7e7f09.pdf

さらに2011年12月14日に慰安婦問題解決を訴える水曜デモが1000回目を迎えています。この時、韓国の日本大使館前に慰安婦増が設置されました。2011年8月末から12月にかけて慰安婦問題に関する注目度は上がり、韓国政府に対して問題解決を求める声も強くなっていたという背景がまずありますが、日経記事では一言も触れていません。
また、日本国内の事情として、2011年10月の訪韓で締結した日韓通貨スワップ協定に対する異常なまでのバッシングが起こり、また朝鮮王朝儀軌返還についても反対し、民主党政権と韓国を侮辱する論調が溢れました。通貨スワップ協定に関しては、ほとんどはデマや無知による誹謗中傷でしかなく*2、韓国側では概ね好評だったのですが日本側世論が突然キレて喚き始めたというのが実態です*3在特会のような排外差別団体もこの頃頻繁に街宣を行い、ヘイトを煽っています。
李明博大統領にしてみれば野田政権との関係を緊密化することで韓国内左派を抑えこみたいところだったでしょうが、野田政権の方は韓国との協力姿勢を示せば自民党産経新聞ネトウヨらに激しくバッシングされるという状況で経済連携の成果であるはずの日韓スワップ協定すらバッシングの対象となる異常事態でしたから、李政権にとって野田政権との協調はメリットが少ないと判断されても当然な状況と言えます。韓国と協調すれば政府がバッシングされる、それも次期政権を奪回するであろう自民党が率先してそのような煽動を行いそれが黙認されるような日本国内の嫌韓世論では、韓国内の知日派の政治力は当然衰えますから、李政権が韓国内左派の意見を受け入れざるを得なくのも当然と言えるでしょう。
水曜デモが1000回目を迎え、ソウルの日本大使館前に慰安婦像が設置された2011年12月14日の3日後に、李大統領は京都を訪れ野田首相と会談しました。この会談で慰安婦問題に触れないことなどまずあり得ない状況でした。ちなみに、2011年12月14日には日本国内で元慰安婦らによるデモと同時に、慰安婦らを誹謗中傷する極右団体の街宣が行われ、これが大きく韓国で報道されています。李大統領にしてみれば、せめて日本国内のこうした極右の慰安婦誹謗中傷街宣くらい日本側で何とかしてほしいところだったでしょうが、何せ野田首相自身が歴史修正主義者ですから、まず積極的な対応などは期待できないところです。

 ところが、初対面から2カ月後の同年12月、京都での2回目の会談では、李氏は別人のようだった。執拗に慰安婦問題を追及し、会談の半分以上がけんか腰の応酬になってしまった。
(略)
 野田氏の側近だった斎藤勁・前官房副長官はこうみる。「李大統領は京都の会談では慰安婦問題ですごいけんまくだった。(略)

http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS22011_S3A121C1SHA000/

会談のわずか3日前に東京で行われた元慰安婦支援団体と元慰安婦を誹謗中傷する排外差別団体のデモを野田首相が知らなかったわけありません。そのような状況で韓国側のトップが会談で慰安婦問題について言及することは当然予想できたはずですが、実際には何の対応もしなかったわけです。そりゃ「会談の半分以上がけんか腰の応酬」になるのも当然と言えば当然です。

もっとも野田首相側にも言い分はあります。本人が歴史修正主義者であるということを除いても*4、国民を無視した野党・自民党による妨害や産経新聞による政治的誹謗中傷キャンペーンは民主党政権の政治基盤を極めて不安定にしており、赤字国債を人質にして菅首相の首を取って意気あがる反民主勢力の攻勢をかわすのに精一杯の野田政権に慰安婦問題解決のための主導権を取れるわけもありませんでした。政権を引き継いだばかりの野田首相にとってそのような危ない橋は避けたいというのが本音だったでしょう。2011年12月の日韓首脳会談は、国内反政府勢力に揺るがされている者同士の会談であって会談の成果でもって指導力を発揮できるような状況ではなかったわけです。
ですので、「韓国、なぜ急に反日に 解けぬ野田氏の疑問」という日経記事は、野田元首相が韜晦しているのか、それとも日経記者がろくに背景を調べず適当に書いたのか、いずれにせよただ韓国側のみに問題点を見出させようとする誘導記事であるとは言えるでしょう。

さて、2012年になって以降も野田政権と李政権はそれなりに日韓関係の悪化を食い止めようとしたようではあります。日経記事で言及されている2012年6月ごろの軍事情報包括保護協定案や水面下での慰安婦問題解決へ向けた動きなどですが、例によって赤字国債で野田政権が追い詰められ日本国内の嫌韓・排外差別プロパガンダが激化すると日本側に解決能力がないと韓国側に判断されたのでしょう。2012年8月に李大統領は独島(竹島)に上陸したのは、最早日本側との関係改善を図るメリットが少ないという判断があったのでしょうね。その後、日本側では民主政権を追い詰める政局の道具として対韓外交が自民党や極右メディアによって利用され、嫌韓感情は加速度的に悪化し一億総在特会化していくわけですが、外交を政局の具に貶めたツケは2012年12月に政権強奪した安倍政権に引き継がれることになります。
安倍首相の愚かな点は政権奪回が近いうちに確実視されていた2012年11月の時点で慰安婦問題否認プロパガンダに名を連ねた点です*5。もっともそれ以外に既に日韓外交を野党・自民党がズタズタにしてきたわけですが、結果として日韓関係の修復が完全に手詰まり状態に陥りました。
そして現在に至っています。