韓国併合に関するQandAが追加

「Q&A 植民地支配の項」が追加されています。
Q&A植民地支配、証言編トマサ・サリノグ(フィリピン)をアップしました。

4-1 そもそも韓国併合とは?
(一部引用)
では、なぜ韓国側が韓国併合に際して「抵抗」を示さなかったのでしょうか。確かに韓国併合時には大規模な抵抗運動は起きていません。その要因として、日本が韓国併合の断行に向けて軍隊や警察による警備態勢を強化させ、特に6月から警備部隊を順次ソウルに集結させ、首都地域の治安維持態勢を整えていたことをあわせて考える必要があります。韓国併合条約を統監として締結した寺内正毅は、この治安体制の整備について「軍隊、警察の威力と不断の警備は間接に〔併合が平穏に行われたことに〕多大の効果を示したるは亦争うべからざる事実」であると誇っていました(『韓国併合始末関係資料』78頁)。

しかし、日露戦争による日本の韓国侵略以来、韓国併合に至るまでの期間、日本の支配に抵抗して義兵将らを中心に武力闘争が高揚していた歴史的事実を押さえておかねばなりません。日本は、植民地戦争とも呼びうる義兵戦争を鎮圧するために軍隊を増強し、徹底的に弾圧しました。日本の治安機構が編纂した『朝鮮暴徒討伐誌』によれば、1907年から10年末までの3年半で、義兵と日本軍との交戦回数は2,819回、14万人の義兵が参加し、義兵側の死者は17,688人に上りました。戦争の規模を死者数から単純に導くことはできず、あくまでも指標の1つにすぎませんが、この死者数は日清戦争時の日本の戦死者数約13,000人を大きく上回るものでした。さらに、この義兵側の死者数は、日本軍の死者数130名程度と桁違いに多くなっています。そのかけ離れた数字の差は、義兵をはじめとする朝鮮民衆に対する虐殺が日本軍によって行われた可能性を示しています。また1909年末には、最後の大規模掃討戦として「南韓大討伐」が実施されました。日露戦争以来、5年以上に及ぶ日本軍の掃討戦を経て、韓国併合時には朝鮮半島内には武装抵抗勢力がほとんど残っていなかったのです。
(略)

元ページには当時の新聞や写真などの画像もあって充実しています。

まあ、どうせ言いがかり・否定・捏造扱いしかしないつもりの嫌韓バカの人たちは彼らの精神衛生上、見ない方が良いかも知れません。