1992年7月の韓国政府による中間報告に関連する話題

1992年7月31日に韓国政府の挺身隊問題実務対策班(班長:外務部亜洲局長)は「日帝下軍隊慰安婦実態調査 中間報告書」を出しています。その中に、1992年7月6日の加藤談話に対して韓国政府が表明した論評が載っています。

 韓国政府は日本政府の調査結果発表と関連し、1992年7月6日外務部代弁人の論評で韓国政府の立場を表明したのである。この論評で韓国政府は、日本政府の真相糾明のための調査努力を評価しながら、一方日本政府の調査結果が挺身隊問題の全貌を明かすところまで至っていないため、今後も日本政府の徹底した真相糾明努力が続くことを期待すると明らかにするとともに、日本政府の具体的かつ誠意のある措置を再三促した。

※日本政府の挺身隊問題調査結果発表についての外務部代弁人論評
“日本政府は7月6日挺身隊問題と関連したその間の調査結果を発表したところ、我々は日本政府が挺身隊問題の真相糾明のために総理府主管下で関係部署が誠意を持って関連文書を発掘し、調査をしてきた努力に対してこれを評価する。
 日本政府の調査結果に対しては今後関連文書を渡される次第綿密に検討することであるが、先ず日本側の発表内容を検討したところ、日本政府の調査結果が挺身隊問題の全貌を明かすところまでは至っていないため、今後も日本政府の徹底した真相糾明努力が続くよう期待する。
 日本政府は今度の調査結果発表で、軍隊慰安婦問題と関連した日本政府の関与を再三確認しながら謝罪と反省の意を表明しているところ、我々はこのような趣旨の下、今後日本政府の具体的で誠意のある措置がなされることを待ち望む”

この時期の韓国外務部亜洲局長の記者会見は、1992年8月14日のNHKスペシャルで一部放映されています。

(514) 92.08.14 調査報告 アジアからの訴え〜問われる日本の戦後処理〜
(佐藤俊行)
日本と韓国の関係が真に友好的な関係になるのを阻害する要因の一つが従軍慰安婦問題です。
去年12月、三人の従軍慰安婦が東京で初めて訴訟を起こし、この問題が公のものとなりました。
韓国の関係者が怒るのは、最初、資料がないとして軍の関与を否定した日本政府が、新しい資料が出るたびに態度を変えたためです。
現在、日本政府は国の関与を認めてはいますが、動員にあたって強制を裏付ける資料は見つからなかったという立場を取っています。
韓国政府は先月、日本の資料と慰安婦の証言を基に中間報告を発表しましたが、動員は朝鮮総督府による強制的なものだったと、日本政府の主張に真っ向から反論しています。慰安婦問題は反文明的な蛮行だった、と公式文書には珍しい感情的な表現も目立ちました。

(韓国政府外務省アジア局 キム・ソクウ局長*1
慰安婦は強制的か、それに近い形で集められました。
調査結果をうけて日本政府に誠意ある対応を求めます。

NHK記者のコメントを見ると、日本政府が「強制連行」を否定し、それに対して韓国政府が「強制的なものだった」と反論していることがわかります*2。また、韓国側世論の対日感情の悪化については「最初、資料がないとして軍の関与を否定した日本政府が、新しい資料が出るたびに態度を変えたため」と分析しています。
なお、この「日帝下軍隊慰安婦実態調査 中間報告書」については、以下のような調査結果がつけられています。

第2部:日帝下軍隊慰安婦実態調査結果
1.軍隊慰安所の設置
2.慰安婦募集
3.輸送方法
4.配置
5.慰安所の管理
6.移動
7.戦争末期の状況
8.連合軍による現地占領以降の状況
9.結論

「2.慰安婦募集」の中に「イ.募集方法」という節があり、「詐術あるいは威圧的雰囲気による方法」や「事実上動員の方法」などを主として記載していますが、募集方法よりも慰安所の管理等に関して詳細に書かれています。
管理に関して、1992年7月という時点を考慮すると*3、かなり正確に書かれています。例えばこういった記載があります。

 このような売春業者は多様で、本来の大規模及び中・小規模の日本人売春業者、軍部隊周辺の用達業者、日本人業者から倣った韓国人業者、中国人・台湾人業者がいたし、他にも慰安所管理関係の業務を担当していたが、途中軍を除隊した下士官あるいは将校出身の業者、前慰安婦出身の業者などがいた。
(P61)

 慰安婦の収入から税金が控除されたし、慰安婦たちは収入を軍事郵便貯金の形で貯蓄するのも可能であった。
 しかし実際に韓国人慰安婦が収入を現金の形で手に入れられる場合はほとんど無く、軍票で支払された場合も、日本の敗戦にしたがって軍票は無駄になった。

帰還後の状況などについても述べられており、「慰安婦の動員過程における日本政府の直接的関与」*4だけに「最も大きな関心を寄せていた」などとは感じられない内容です。中間報告の結論部には以下のように書かれています。

9.結論
 日本軍は慰安婦政策の発案、慰安所設置、慰安婦募集、輸送、管理などすべての面にわたって全面的に介入した。最後に戦争末期になっては慰安婦を捨てた。戦場での悲惨たる死を免れた慰安婦たちは病による肉体的苦痛と精神的苦痛に苦しみつつ、自分の前歴を隠したまま不幸に生きてそして死んでいった。
 日本軍は性病と強姦を防止し、占領地域の治安と軍の戦力を維持するために慰安婦政策を実施したし、慰安婦はひとりの人間として認められなかった。このような二度とないような反文明的犯罪がしかも軍隊の戦力維持という技能的目的のため、日本によって当たり前のように行なわれた。そして最大の被害者は当時韓国の純真無垢な未婚の女性と一部既婚の若い女性であった。慰安婦問題は日本の植民統治で韓国民の受けた受難のうちもっとも暗い断面を見せてくれるものである。

*1:韓国政府外務部亜洲局長 金錫友。挺身隊問題実務対策班長。

*2:「動員は朝鮮総督府による強制的なものだった」という部分は、報告書では関東軍特別大演習に関連して動員された慰安婦について出てきますが、「強制的」という記述そのものは報告書内にはありません。

*3:というより、当時は戦争経験者も結構存命でこういったことは常識的に知られていたということかも知れませんが。

*4:http://www.huffingtonpost.jp/kan-kimura/kono-kato-danwa_b_5102825.html