韓国政府による「日帝下軍隊慰安婦実態調査 中間報告書」(1992年7月)における慰安婦募集に関する記述

1992年7月31日に韓国政府の挺身隊問題実務対策班(班長:外務部亜洲局長 金錫友)が作成した「日帝下軍隊慰安婦実態調査 中間報告書」は、資料部分(第4部・第5部)を除いて94ページに及ぶ報告書です。
第1部が「挺身隊問題の現況」、第2部が「日帝下軍隊慰安婦実態調査結果」、第3部が「軍隊慰安婦の証言事例」という構成です。さらに第2部の内容は以下のように分けられています。

第2部:日帝下軍隊慰安婦実態調査結果
1.軍隊慰安所の設置
2.慰安婦募集
3.輸送方法
4.配置
5.慰安所の管理
6.移動
7.戦争末期の状況
8.連合軍による現地占領以降の状況
9.結論

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140420/1398016250

この当時(1992年7月)、吉田清治証言に対する疑義はほとんど出ていません。直前の1992年6月に秦郁彦氏が吉田証言を疑問視する記事を出していますが、「元組合員など五人の老人と話しあって、吉田証言が虚構らしいことを確認した。」とか「済州島での事件が無根だとしても、吉田式の慰安婦狩がなかった証明にはならないが」などと言った表現に過ぎません。
従ってこの時期に、慰安婦問題を語る上で吉田証言に触れたとしても、それが問題視されるべきことではありません。
日帝下軍隊慰安婦実態調査 中間報告書」でも、吉田証言に触れていますが、それがどのような形で触れているのか、実際の記述を見てみましょう。

(P40-50)

2.慰安婦募集

ア.募集対象

 1932年上海事変の時初めて軍隊慰安所を設置する時は、軍部隊周辺の用達社あるいは売春業者に委託して日本の大阪などから主に職業売春女性に相当額の前金を払い募集した。
 しかし、1937年南京大虐殺事件以降、軍が本格的に軍隊慰安婦政策を採択することになると、すでに売春の経験のある女性は性病を伝染させる憂慮があるなど、軍隊慰安婦として好ましくないということが認識されるようになった。
 このようなことを指摘したのが麻生徹男軍医少尉の報告書「花柳病と慰安婦に関する意見書」(9)と安村光享軍医少佐の「中国人私娼についての調査報告」(10)である。要するに、同報告書等は慰安婦の実態を調べ、戦力喪失の原因となる花柳病の予防と慰安婦の資質向上を主張した。
 特に麻生によると、慰安婦の年令は低ければ低いほど良いこと、内地の人のほとんどは過去数年間売淫に従事した者ばかりであるため性病に感染している可能性が大きいこと、それに比べて半島人は年令が低く、しかも初心者がほとんどであることが興味深い対照をなすと指摘した。
 以上の理由と、1938年以降大量の慰安婦需要及び日本での大量募集(11)に伴う社会問題誘発の憂慮で、軍部と業者は慰安婦を当時日本の植民統治下に置かれていた韓国から充員しようとしたものと推定される。(**1

イ.募集方法

(詐術あるいは威圧的雰囲気による方法)
 おおよそ1938年までは、主に都市地域で女工募集、食堂従業員募集などの典型的な人身売買の方法で募集したものと見られる(12)(13)。
 1938年〜1940年頃までは業者が軍の許可の下、憲兵、警察、面長(村長)などの手助けを得て、主に農村の貧しい農夫の娘を特地看護婦、軍看護補助員募集などの名目でだまし、募集したものと見られる。この時警察や面長が業者と同行することで(14)、威圧的な雰囲気を作ったり、犠牲者たちが業者を簡単に信じるように見せ掛けたりしたものと見られる。
 1938年3月陸軍省兵務局長兵務課の起案した文書「軍慰安所従業婦など募集に関する件」(15)を引用する。

陸支密
  副官ヨリ北支方面軍及中支派遣軍
  参謀長宛通牒案
 支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為内地ニ於テ之ガ従業婦等ヲ募集スルニ当リ故ラニ軍部諒解等ノ名義ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク点アルモノ或ハ従軍記者、慰問者等ガ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル点アルモノ或ハ募集ニ任ズル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少カラザルニ就テハ将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於テ統制シ之ニ任ズル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実施ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密ニシ以テ軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス
    陸支密第七四五号昭和十三年三月四日

 この文書には、梅津美治郎陸軍次官と今村均兵務局長の決済印と、櫛淵金宣一高級副官の決行指定印が押されていて、実際に陸軍省の副官通牒として指示されたものである。
 これによると、1938年の初めにはすでに派遣軍の許可を得て業者が慰安婦を募集していた。ただし、社会問題上や軍の威信維持上、派遣軍が統制をより強くし、現地の憲兵・警察と協力し合い、用意周到に実施するよう指示している。
 当時日本の末期的植民統治下の最中にいた韓国では、上記のような難点は容易く克服できただろうと推定される。

(事実上動員の方法)
 1941年7月“関東軍特別大演習”が開始され、8月初め、約70万の兵力が北満州ソ連国境地帯に集中された。結局ソ連に対する作戦開始直前で取り消されたが、“関特演”の動員計画には“慰安婦の動員”も含まれていた。慰安婦動員のため、当時関東軍指令部参謀第3課に所属していた後方担当参謀原善四郎少佐は朝鮮総督府総務局に依頼し、結局8千人程度を動員したという。(その中には大連、奉天などで売春業を営んでいた日本人女性も含まれていた。)
 総督府は道・郡・面(村)にひそかに動員命令を伝え、面長の責任下で動員するようにしたし(16)、当時使われた手段は軍部隊での雑役、看護補助、軍需工場の女工あるいは女子特殊軍属(**2)などと騙したものと推定される(17)(18)。

(“吉田清治”の証言)(19)
 韓国未婚女性を慰安婦として動員したのは新聞、ラジオで報道されないようにしたが、事実上は大規模で官が積極介入していた。しかし上記のようにして募集・動員された未婚女性が慰安婦の生活をしているという事実がすぐ国内に広まったものと見られる。当時戦線に慰安婦がいるなどというのは流言蜚語罪に当たるものであった。
 結局1943年頃からは慰安婦動員に上のような方法が通らなくなると、しまいには19世紀アフリカでの黒人奴隷狩りと似たような人間狩りで慰安婦を充員したりもした。(20)(21)
 吉田清治は著書である「私の戦争犯罪朝鮮人強制連行」(1983年、三一書房)第2章でこのような状況を証言している。

ウ.勤労挺身隊と慰安婦

 日本は太平洋戦争の遂行に伴う深刻な労働力不足に見舞われ、大々的な人力動員を行ない、女子にまで動員を行なった。これに関する日本政府の主要措置は次のとおりである。

 1943.6. 2 大日本労務報国会創立
 1943.6.25 閣議、学徒戦時動員体制確立要綱決定
  7.30 閣議、女子学徒動員決定
  9.23 閣議、17職種(販売員、売店員、改札係、車掌、理髪師など)への男子就業禁止及び25才未満の女子を勤労挺身隊として動員することを決定
 1944.8.23 学徒勤労令・女子挺身勤労令公布

 日本はおおよそ1941年頃から勤労報国隊、産業挺身隊などの名で事実上強制動員を実施したが、韓国国内あるいは日本国内の軍需工場での仕事のため、大量の韓国女性を動員したのは1943年頃から始まったものと推定される。
 このような女性動員の趣旨は基本的に慰安婦調達とは性格を異にするものと思われるし、このように動員された女性(勤労挺身隊)が慰安婦になる可能性は少ないと思われる。
 前述した吉田清治の手記によると、西部軍司令部より下った労務動員命令書(22)には“皇軍慰問朝鮮人女子挺身隊2百名”という名称が用いられていることから、慰安婦を募集する時は、半文明的犯罪性格の募集行為を糊塗するため、通常“挺身隊”という名称が使われた可能性がある。
 当時、軍隊慰安婦に関することは極秘であり、万が一口を滑らした時は流言蜚語罪になってしまう状況だったので、当時の韓国国民は一般的に“挺身隊”という言葉でもって軍隊慰安婦を理解していたものと推定される。
 しかし、戦争政策遂行にしたがって取られた全国民動員措置の一環として動員された“女子勤労挺身隊”と、“慰安婦”とは基本的に関係がない。小学生勤労挺身隊も“慰安婦”とは無関係である。
 ただし、都市や日本の工場、あるいは工場周辺で韓国人女性を詐術的方法や人間狩りの方法、または工場管理者の工作で慰安婦として連れていかれた場合があったものと見られ、その中には女子勤労挺身隊員や小学校勤労挺身隊員も含まれていた可能性はある(**3)。


慰安婦募集」に関する記述という、日本国内右翼が最重要視している*4動員過程についての記述でさえ、吉田証言に関する部分は極僅かで、仮に吉田証言が無くとも、(詐術あるいは威圧的雰囲気による方法)や(事実上動員の方法)という日本軍・政府の責任が回避できない動員が為されているという主張が成立します。
「ウ.勤労挺身隊と慰安婦」でも吉田証言に言及していますが、主旨に全く影響しない内容です。

取材なしで捏造記事を書くことで知られる阿比留記者はその辺を無視して以下のように主張しています。

*5
 だが、韓国政府が1992年(平成4年)7月に発表した「日帝下の軍隊慰安婦実態調査中間報告書」で、慰安婦動員の実態について「奴隷狩りのように連行」と書いた際の証拠資料とされたのは、吉田氏の著書であり吉田証言だった。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140829/plc14082904000002-n1.htm

阿比留記者は特定個人を誹謗中傷するデマ記事を書いても何とも思わないような人ですから、少女を騙して売春を強要することに何の罪悪感も覚えないのでしょう。

吉田証言で大騒ぎしている人たちは、どうなんでしょうか。韓国政府の1992年時点の「日帝下の軍隊慰安婦実態調査中間報告書」から吉田証言に依拠する部分が削除されたら、慰安婦問題は日韓間で問題にはならなかったと本気で信じてるんですか?


*1:註「(*)沈○○氏は、小学校5年生の時(当時16才)、日本の地図に桜ではなく朝顔を刺繍したということで警察に連れていかれた。侮辱と拷問を受けて気絶したが、気が付いたら福岡の軍部隊であったと証言する。」

*2:註「一九三九年ハルビン陸軍病院軍医であった日本人(78才)は、「関東軍女子特殊軍属服務規定」という規定で、慰安婦の取扱に関する事項を取締まり、ここで“女子特殊軍属”とは韓国人軍隊慰安婦を指すと証言する。(従軍慰安婦110番、1992年6月15日、明石書店)」

*3:脚注「尹○○氏と姜○○氏の例:尹○○氏は13才の時(1942)、人間狩りの方法で連れていかれ工場で働いていたが、再び15才の時、慰安婦として連行される。姜○○氏は小学校勤労挺身隊として連れていかれたが、お腹が空いたので工場の外へ食物を求めて出てきた時、慰安婦として連行される。」

*4:というより他の論点から目をそらすための目くらましに利用している

*5:http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140829/plc14082904000002-n2.htm