藤尾妄言(1986年10月)とサンケイ新聞

以前も取り上げた藤尾発言(1986年)ですが、「われわれがやったとされる南京事件と,広島,長崎の原爆と,一体どっちが規模が大きくて,どっちが意図的で,かつより確かな事実としてあるのか。現実の問題として,戦時国際法で審判されるべきはどちらなんだろうか。」という南京事件否定論以外に、植民地支配の正当化をはかり、日韓関係を悪化させた原因でもあります。

「妄言」の原形―日本人の朝鮮観」(P303-304)

資料12 一九八六年十月 藤尾妄言(第二次)

 仮に侵略があったとして、侵略を受けた側にもいろいろと考えるべき問題があるとわたしは思うんですよ。たとえば日清戦争というものを考えてみると、当時の朝鮮半島は一体どんな情勢にあったのか。これは清国の属領ですよ。その清国の朝鮮に対するインフルエンスというものは、なぜか言われませんな。
 で、清国が日本に負け、替って日本が進出しようとしたところで三国干渉でしょう。日本は屈従を強いられ、その後にノコノコと出てきたのがロシアですね。これを放っておいたら、朝鮮半島はロシアの属領になっていたかもしれない。日本にすれば土手ッ腹に出てこられるわけだから、どうあってもこれを阻止しなくちゃならない。その根を絶とうというんで、日露戦争が起こるわけですよ。
 いま韓国に対する侵略だと盛んに言われておる日韓の合邦にも、少なくともそれだけの歴史的背景があったわけでしょう。日韓の合邦というのは、当時の日本を代表していた伊藤博文と、韓国を代表していた高宗との談判、合意といったものに基づいて行なわれている。形式的にも事実の上でも、両国の合意の上に成立しているわけです。もちろん、高宗が真の代表者であったかどうかには疑問があるし、合意を認めさせるための日本側の圧力はあったかもしれない。しかし、少なくとも、伊藤博文の交渉相手が李朝の代表者、高宗であったことだけは事実なんですから、韓国側にもやはり幾らかの責任なり、考えるべき点はあると思うんです。
 さっきも言ったように、もしも合邦がなかったなら、清国が、ロシアが、あるいはのちのソビエトが、一体、朝鮮半島に手をつけなかったという保証があるのかどうか。そういうことまですべて考えた上で、日本が朝鮮半島に出ていったのは侵略以外の何ものでもない、日本が悪なんだ、という議論なら、まだしもこれは分かるんですがね。
(「“放言大臣”大いに吠える」『文芸春秋』一九八六年十月号、百二十五-百二十六ページ)

藤尾文相は、1986年7月25日にも同様の戦争正当化発言を行い、8月22日に「言葉遣いが不適切」「誤解を招いたこと」については謝罪していますが、結局、この文芸春秋での発言で中曽根首相により罷免されています(9月8日)。
ちなみに、この藤尾文相発言は事実としても間違っています。1910年の併合条約での日韓の代表は、日本側が寺内正毅、韓国側が李完用です。高宗ではありませんし、伊藤博文はこの時既に死んでいますから、談判しようがありません。
また、「もしも合邦がなかったなら、清国が、ロシアが、あるいはのちのソビエトが、一体、朝鮮半島に手をつけなかったという保証があるのかどうか」というのは植民地化正当化論の一つによく聞かれますが、日本が侵略した事実を何ら正当化するものではありませんので、全く意味がありません。

この発言が問題であることは、当時の日本社会では理解され共有されていたと、まあ言えるでしょう。

9月6日に在日韓国公使が抗議の意向を表明、9月8日に韓国外相が「極めて遺憾」と正式に抗議しています。
9月7日には、朝日新聞が「藤尾発言は見過ごせない」と、読売新聞が「閣僚の資質が問われる藤尾発言」と、日経新聞が「外交センスのない政治は国を滅ぼす」と痛烈に批判しています。
慰安婦問題で朝日叩きに興じる現在のメディアの体たらくと比べると隔世の感がありますね。

しかし、一番面白いのは、この時の産経新聞の社説です。

サンケイ新聞「主張」(1986年9月9日)

藤尾文相が罷免された翌日です。今の産経新聞なら、間違いなく植民地支配正当化論を擁護し、藤尾文相を“サヨク”の犠牲者扱いしたでしょうが、この時は全く違います。

遅れて近代化した日本は“侵略”戦争の責任について、米英を非難する『三分の理』が少なくともある。しかし、韓国などアジアに対しては一厘たりともない藤尾発言にはその分別がついていない(略)藤尾発言の基調は中曽根首相の持論と隔たっていない(略)そうした藤尾氏の心情を十分知りぬいたうえでなおかつ、文相に登用した首相の政治責任も同時に不問に付すわけにはいかない

藤尾文相が罷免されてもなお、中曽根首相の任命責任を追及するという、今の安倍政権と癒着した産経新聞からは考えられない論調です。
産経新聞はいつから宗旨替えして、韓国を差別的に侮辱することを社是にするに至ったのでしょうか。

時期的に類推すると、韓国の民主化が大きな契機になっているのでしょうね。
産経新聞は、軍事政権の韓国を好み、民主韓国を嫌悪するという、性質を持っているのでしょう。1986年9月9日の主張から引用した部分は真っ当な政治批判ですが、この批判精神を産経新聞は、韓国が民主化した途端に失ったということでしょうね。

後日談

さて、この妄言で文相を罷免された“歴史を知らない文相”藤尾正行氏ですが、この後も懲りずに、植民地支配を正当化する発言を繰り返します。1986年11月に同じ文芸春秋で“悪いのは日本だけではない”“韓国にも責任がある”“日本は良いこともした”という今も続く歴史修正主義の妄言を述べ、その後も各地で同様の講演を繰り返します。
また、藤尾文相の罷免に対しては、亀井静香氏が座長を務める国家基本問題同志会という自民党タカ派集団が「韓国の内政干渉に屈した」などと反発しています。

韓国側から見れば、日本の“謝罪”など形だけにしか見えない状況を、当時与党であった自民党議員らが率先して形成していたわけで、同時期に出ていた吉田証言などよりもよほど日韓関係を悪化させた元凶であったと言えるでしょう。