そもそも吉田証言が容易に否定できるものなら秦氏が疑問を示すまでに10年かかったこと自体がおかしい

吉田証言を朝日が明示的に訂正したのは1997年ですが、朝日叩きしか興味のない人には、2014年8月まで訂正・謝罪しなかったことにされています。これ自体捏造ですが、時流に乗った捏造が社会に受け入れられるのは別に珍しくありません。

朝日が吉田証言を肯定的に扱ったのは、せいぜい1993年までです。
吉田証言の検証が容易でなかったであろうとは、法華狼さんが「吉田清治『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』を読む」で指摘されています。実際、体験者の手記などは、関係者への配慮などのため細部で改変されていることが少なくなく、容易に真偽を判断できるものではありません*1

吉田証言を朝日以外も報道していますが、その時点でも証言を否定できる裏づけ取材の結果が出たわけでもありません。
朝日を叩き、従軍慰安婦問題という人権侵害に対する日本政府の責任を否定する秦氏ですら、1992年まで自信を持って吉田証言を否定できていません。それどころか1992年の時点ですら、「済州島での事件が無根だとしても、吉田式の慰安婦狩がなかった証明にはならないが、(略)」と留保をつけています。

つまり、1992年頃、元慰安婦等が名乗り出て実態が徐々に明らかになり始める頃まで、吉田証言を容易に虚偽と斥けることは困難だったわけです。

“朝日が訂正・謝罪するまで30年もかかった”的に主張している連中はまずそのあたりを理解できていません。
1980年代の間は、普通に裏づけ取材して否定できるようなものではありませんでした。他のメディアも吉田証言を取り上げていますが、別に“朝日が取り上げていたから、自社では裏づけ取材しませんでした”って言い訳にはなりませんから、他のメディアが取材しても否定できないレベルのものだったという他ありません。いや、実際に読売や毎日や産経が、朝日が報道したからという理由で裏づけ取材を怠った、というなら別ですが、そっちの方がメディアとして恥でしょう。

吉田証言の信憑性が揺らいでから朝日が1997年に訂正するまではせいぜい5年ですが、この5年を長いと見るか短いと見るかは、当時の慰安婦問題において吉田証言が占める比重を踏まえる必要があります。
大して重要でない内容の場合、多くの紙面を割いて訂正・謝罪するというのは現実的ではありません。1990年代に入ると慰安婦問題を訴える論調のほとんどは元慰安婦らの証言に依拠しており、吉田証言はほとんど引用されなくなります。吉田証言に言及したクマラスワミ報告ですら、吉田証言を否定する秦発言にも言及し、“右翼大好き”両論併記しています。それどころか、挺対協ですら1993年の時点に吉田証言には「それも最近日本内でその信憑性に問題提起している人々がいる」*2と言及しています。
慰安婦問題で日本政府を追及する急先鋒である挺対協ですら、吉田証言の信憑性に疑義があることを認めた上で、吉田証言以外の証拠に依拠して主張している以上、朝日新聞がことさらに紙面を割いて訂正・謝罪する必要性があったかと言えば、かなり疑問です。

要するに、慰安婦問題を否定する産経新聞慰安婦問題を追及する挺対協も信憑性がない、と理解している吉田証言を1993年以降にいちいち取り上げて否定する必要があったかということです。慰安婦問題“だけ”を扱っているようなメディアならともかく、普通のメディアにはそこまでの必要はないでしょう。1997年に特集を組んだ際に訂正したことで十分だと私は考えますね。

1992年以前について言えば、当時知りえなかったにもかかわらず意図的な誤報・捏造扱いするのは、後知恵での批判に過ぎず不当ですし、1993年以降について言えば重要度が低下し論争当時者の双方が信憑性を認めていないものを、20年後の今になって、1993年当時でもさも重要な争点であったかのように訂正・謝罪すべきだったと主張するのは、歴史修正主義に他なりません。
特に“現在の価値観で過去を裁くな”的に主張している連中は、2014年現在の価値観と知識で1980年代〜90年代のメディアを裁くよう愚行は辞めるべきでしょうね。もっとも、朝日批判のためなら、いくらでも節を曲げて意に介しないような連中にはできないでしょうが。

*1:例えば、「元慰安婦証言を論う連中は「竹林はるか遠く」をどう評価しているのだろうか」http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140907/1410108271 で指摘した点など。

*2:http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140426/1398480114