何度説明されても同じ問いを繰り返すプロパガンダ手法

ヘイトコメントの常習犯によるブコメ

gimonfu_usr (朝日新聞に「女子挺身隊」=「慰安女性の集団」という説を流布させた因があるか否か。)2015/02/01

http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/scopedog/20150201/1422727751

今さら、こんなブコメで殊更“疑惑”があるかのように振舞うプロパガンダ手法を使っています。
何度か言及していますが、1965年発行の朴慶植氏の「朝鮮人強制連行の記録」には、以下のような記述があります。

(P168-169)
 この軍隊への連行と並行して軍関係の労務者―「日本陸海軍要員」すなわち「軍属」として多くの同胞が強制的に動員された。軍属への徴用は一九三九、四〇年からすでにおこなわれているが、より大々的に行なわれるようになったのは一九四一年からである。同胞は好むと好まざるとにかかわらず「海軍作業愛国団員」「北部軍経理部要員」「運輸部員」「海軍施設部要員」「米英俘虜監視要員」などの名目で軍隊とともに戦線に連行され、軍需物資、軍隊の輸送や道路や飛行場つくり、俘虜監視に当った。その数をみると一九四一年一万六千名、四二年二万二千余名、四三年一万二千余名、四四年四万五千余名、四五年四万八千名、合計約一五万名に上る同胞が、南方や中国、北方基地などに配置された。さきにあげた軍人と合せると実に三七万名の多きに達する。戦線に連行されたのは軍人、軍属としての青年ばかりではない。うら若い同胞の女性が多数「女子挺身隊」、「戦線慰問隊」などの名目でひっぱられ、「慰安婦」として戦争遂行の犠牲にされた。さきの辻政信の著書にも「第一線の陣地にまで天草娘が進出し、朝鮮娘が附添っている」「慰安婦二〇名が軍服を着て弾丸運びに看護にあるいはお握り作りで・・・」とあり、また同戦線での生残りの中野礼造氏(福岡出身)の語るところによってみても、ビルマ派遣軍各師団には大勢の朝鮮女性が慰安婦として配置されており、一部隊だいたい二〇名前後で、彼女らの軍人とともにほとんど死亡している。同胞女性は中国や南方、沖縄の各戦線にも多数連行されているが、全体の数は数万に上ると思われる。

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20140511/1399809440

この時点、朝日新聞吉田清治氏に関する記事を出す20年近く前に、「うら若い同胞の女性が多数「女子挺身隊」、「戦線慰問隊」などの名目でひっぱられ、「慰安婦」として戦争遂行の犠牲にされた」と書かれた書籍が出ています。

“挺身隊の名目で慰安婦にされた”というのは少なくともこの問題に関心を持つ者の間では、長い間周知のことだったわけです。

朝日新聞も植村氏も、当時はどのメディアも挺身隊と慰安婦を混同していた、と何度も説明しているにも関わらず、否認論者は同じ問いを繰り返すわけです。“朝日新聞が「挺身隊」=「慰安婦」という誤解を流布させたのではないか”と。