スマイス調査をろくに読まない否定論者

アゴラ「『南京戦史』が明らかにした「南京事件」の実相」における渡邉斉己氏の否定論についてです。
タイトルは「南京戦史」ですが、記事中(と言うより「南京戦史」が)ではスマイス調査についても言及されています。

市部調査の加害者についての印象操作

まず、この記述。

では、このスマイス調査にはどのような数字が書き込まれているか。「本調査」第四表によると、南京市部における、12月13日〜翌1月13日の間の兵士の暴行(日付不明150を加える)による死者2,400、拉致され消息不明のもの4,200、合計6,600となっている。この数字は、その大部分が日本軍の掃討期間(12月14日〜24日)のもので、かつ、「その加害者が日・中いずれであるかを全く問題にしていない」。

http://agora-web.jp/archives/1658682.html

「この数字は、その大部分が日本軍の掃討期間(12月14日〜24日)のもの」なら、加害者は日本軍と考えるのが普通ですが、渡邉氏は「その加害者が日・中いずれであるかを全く問題にしていない」と付け加えています。

ちなみにスマイス調査では、表4の市部調査に関連する記述で以下のようなものがあります。

There is reason to expect under-reporting of deaths and violence at the hands of the Japanese soldiers, because of the fear of retaliation from the army of occupation.

https://en.wikisource.org/wiki/War_Damage_in_the_Nanking_area_Dec._1937_to_Mar._1938

占領している日本軍を恐れて、日本軍による虐殺・暴行が過小評価されている可能性にスマイスはわざわざ言及しているわけです。

虐殺犠牲者を便衣兵扱い

ここで注意すべきは、この6,600人は、一般市民ではなくこの期間に掃討された兵士の数である可能性が大であること。また、この掃討について『南京戦史』は、「ことに城内安全区掃討(12月14日〜24日)や兵民分離(12月24日〜13年1月5日頃)の際、我が軍としては一応選別手段は講じたけれども、便衣兵と誤ったケースもあったようであるが、その最大の原因は安全区の中立性が犯され、便衣の敗残兵と一般市民が混淆してその選別が極めて困難になったことがある」としている。

http://agora-web.jp/archives/1658682.html

渡邉氏はスマイス調査で示された虐殺拉致被害者らは、中国兵だと決め付けています。しかし、スマイスは基本的にこれらを市民(civilians)と呼び、少数の敗残兵が含まれている可能性が極僅か(the very slight possibility)だと言っています。

The figures here reported are for civilians, with the very slight possibility of the inclusion of a few scattered soldiers.

https://en.wikisource.org/wiki/War_Damage_in_the_Nanking_area_Dec._1937_to_Mar._1938

さらに言えば、虐殺された2400人のうち650人は女性ですし、男性も半数(53%)は14歳以下と46歳以上で敗残兵とはまず考えられません。虐殺犠牲者の性別・年齢構成を考えれば、そのほとんどは市民であったとしか言いようがなく、「便衣兵と誤ったケースもあったようである」などという言い訳は通用しません。
拉致された4200人について言えば、男性ばかりで年齢も15才〜44歳ですが、スマイスは給仕や売春を強要された女性の拉致被害者が短期間で帰れたのに比べて、深刻であることを指摘しています。また、その4200人も、中国兵だったというのは考えにくく実際、3月に13000家族が連行された家族の解放を求めていたことにスマイスは言及しています(このあたりの話は以前も書いています)。

農村調査での犠牲者も否定。

また、スマイス調査における江寧県での死者9,160人という数字は、あくまで城外の(調査した100日間)の死者数であり、かつ「その加害者が日・中いずれであるかを全く問題にしていない」。また、「我が軍の中国一般市民に対する基本的態度は、これを敵視しないことであった。市民の被害は我が軍が中国軍を攻撃し或は掃討などの戦闘行為をとったさい、その巻き添えによってやむなく殺害された場合を除いて、すべて個別的な偶発や誤認の結果生じたものが圧倒的に多い」としている。

http://agora-web.jp/archives/1658682.html

ここでも加害者が日本軍(だけ)ではないように印象操作する否定論を展開していますが、実際にはスマイス調査の報告書には以下の記載がちゃんとあります(この部分はベイツによる)。

Practically all of the burning within the city walls, and a good deal of that in rural areas, was done gradually by the Japanese forces (in Nanking, from December 19, one week after entry, to the beginning of February). For the period covered in the surveys, most of the looting in the entire area, and practically all of the violence against civilians, was also done by the Japanese forces - whether justifiably or unjustifiably in terms of policy, is not for us to decide.

https://en.wikisource.org/wiki/War_Damage_in_the_Nanking_area_Dec._1937_to_Mar._1938

「個別的な偶発や誤認の結果生じたものが圧倒的に多い」という言い訳についてもスマイス調査から否定されています。

87 per cent of the deaths were caused by violence, most of them the intentional acts of soldiers.

https://en.wikisource.org/wiki/War_Damage_in_the_Nanking_area_Dec._1937_to_Mar._1938

このように、ほとんどは日本兵による意図的な暴力(intentional acts of soldiers)だと書かれています。

そもそも江寧県しかカウントしないこともおかしい

大体、スマイス調査では江寧県以外に、句容県(暴行死:8530人)、溧水県(暴行死:2100人)、江浦県(暴行死:4990人)、六合県(半分のみ)(暴行死:2090人)の調査が行なわれていますから*1、それらを無視しているのもおかしいんですけどね。

そして結論として、スマイス調査の6,600人+9,160=15,760人という数字について「この中には前述したように、戦闘員としての戦闘死、戦闘行為の巻き添えによる不可避なもの、中国軍による不法行為や、また堅壁清野作戦による犠牲者などが含まれ、さらにスマイス調査実施の際の手違いや作為も絶無とは言えない。また、第四表の拉致4,200人の内、調査の時点では行方不明でも、後日無事帰還した者や、たとえ帰還しなくても生命を完うした者もあるかもしれない」ので、「一般市民の被害者数はスマイス調査の15.760よりもさらに少ないものと考える」としている。

http://agora-web.jp/archives/1658682.html

スマイス調査で挙げられている暴行死者数は、基本的に「戦闘死、戦闘行為の巻き添え」を除外しています。表4は、「Military Operations 」と「Soldiers' violence」を明確に区別していますし、表25でも「Causes of Death」の内訳を「Violence」としてカウントしています。
中国軍による不法行為や、また堅壁清野作戦による犠牲者などが含まれ」などというのも、調査対象の日付とベイツの記述から明らかなように改竄に等しい内容です。
繰り返しますが、「For the period covered in the surveys, most of the looting in the entire area, and practically all of the violence against civilians, was also done by the Japanese forces」とはっきり書かれています。
「第四表の拉致4,200人の内、調査の時点では行方不明でも、後日無事帰還した者や、たとえ帰還しなくても生命を完うした者もあるかもしれない」というのもひどい話で、スマイス調査報告が出る1938年6月の時点まで、半年経ってなお行方不明の者を“生きているかもしれない”といって犠牲者数を過小評価するのは異常です。
そもそも、拉致被害者4200人という数字自体が少ないという可能性をスマイスは指摘しています。

The figures for persons taken away are undoubtedly incomplete.
Indeed, upon the original survey schedules, they were written in under the heading "Circumstances," within the topic of deaths and injuries; and were not called for or expected in the planning of the Survey.

https://en.wikisource.org/wiki/War_Damage_in_the_Nanking_area_Dec._1937_to_Mar._1938

まともにスマイス調査を読めば、市部調査の暴行死2400人、拉致4200人、江寧県の暴行死9160人、句容県の暴行死8530人、溧水県の暴行死2100人、江浦県の暴行死4990人、六合県(半分のみ)の暴行死2090人を合せた33470人でさえ、市民の犠牲者数見積もりとしては控えめな数字だとわかります。
「一般市民の被害者数はスマイス調査の15.760よりもさらに少ないものと考える」のは、最初から犠牲者数の過小評価、あわよくば皆無にしようという偏向の表れに過ぎません(そもそも「南京戦史」はそういう目的で編纂されたわけですから当然ですが)。

それにしても、未だに南京軍事法廷東京裁判を“結論先にありき”であるかのように批判する論者は大勢いますけど、それなら、南京事件を否定しようという“結論先にありき”で編纂された「南京戦史」を鵜呑みにするのはどうなのか、と思わざるを得ませんし、そのようなスタンスで編纂した「南京戦史」でさえ南京事件は否定できなかったことの重みを感じて欲しいものとも思います。