「朴裕河氏の起訴に対する抗議声明」に対する違和感と本来何を問題とすべきだったかについて

朴裕河氏が名誉毀損罪で起訴されたことに対して、日本の学者らが抗議声明を発した件。
朴裕河氏の起訴に対する抗議声明
賛同者の面々は産経文化人のような低レベルな歴史修正主義・民族差別主義者の集団とは言えない錚々たるものですが*1、それだけに抗議の仕方が残念でならないという思いですね。

検察庁という公権力が特定の歴史観をもとに学問や言論の自由を封圧する挙」に出たことが問題なのではなく、韓国の名誉毀損法制全体の問題

韓国の名誉毀損法制に関しては以前から以下のように指摘されています。

ヒューマン・ライツ・ウォッチ名誉毀損に関する刑事法について、個人の名誉の保護には過剰かつ不必要であり、また表現の自由を萎縮させるものであることから、反対の立場をとる。国際人権法は、他者の名誉をまもるために表現の自由に制約を課すことを認めてはいるが、こうした制約は必要かつ限定的に定義されていなければならない。個人の名誉をまもり、公共の秩序を維持するには、民事法上で名誉毀損を禁ずること、及び刑事法で教唆・煽動行為を処罰すれば十分であるし、同時に表現の自由を適切に保護することもできる。
韓国の名誉毀損罪は、個人について言われたり、書かれたことが公共の利益にあたるか否かにのみ焦点を当てたもので、それらが真実か否かは関係がない。つまり、たとえある中傷意図が「事実」に基づくと裁判所が認めても、最長で3年の刑あるいは最高で2,000万ウォン(1万7,839米ドル)の罰金という有罪判決を下すことができる。「公然と虚偽の事実」を用いた名誉毀損となれば、最長で7年の刑あるいは最高で5,000万ウォン(4万4,577米ドル)の罰金となる可能性がある。

https://www.hrw.org/ja/news/2014/12/15/265481

日本の刑法でも名誉毀損が3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金と規定されていますが(刑法230条)、230条の2で「公共の利害に関する事実」「その目的が専ら公益を図ること」である場合の違法性阻却を認めています。条文上は、「事実の真否を判断し、真実であることの証明があったとき」とありますが、1969年に最高裁が「行為者がその事実を真実であると誤信し、誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しない」*2と判断しています*3名誉毀損罪について日本が特に非難されていないのは、名誉毀損成立の条件が厳しく、実際の適用も多くないことがあるからと思います。また、韓国の場合は名誉毀損関連の法律が多く、韓国刑法第33章(307条〜312条)の他に、情報通信網利用促進及び情報保護などに関する法律*4の第10章(70条〜76条)と言った法律があり、出版物やネットを用いた名誉毀損の場合にはより重い罰則が規程されていることも、韓国の名誉毀損法制の問題とされているようです。
ヒューマン・ライツ・ウォッチが指摘している「最長で7年の刑あるいは最高で5,000万ウォン(4万4,577米ドル)の罰金」というのは、刑法ではなく情報通信網利用促進及び情報保護などに関する法律の第70条によります。日本の「三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金」に比べてもかなり重い罰則規定だといえるでしょう。

韓国の法制やその適用状況に対する批判というのは、人権問題や表現・報道の自由という観点からあってしかるべきでしょう。

朴裕河氏の起訴に対する抗議声明」は韓国の名誉毀損法制に対する批判として不完全

抗議声明には以下のような記述があります。

韓国は、政治行動だけでなく学問や言論が力によって厳しく統制された独裁の時代をくぐり抜け、自力で民主化を成し遂げ、定着させた稀有の国です。私たちはそうした韓国社会の力に深い敬意を抱いてきました。しかし、いま、韓国の憲法が明記している「言論・出版の自由」や「学問・芸術の自由」が侵されつつあるのを憂慮せざるをえません。また、日韓両国がようやく慰安婦問題をめぐる解決の糸口を見出そうとしているとき、この起訴が両国民の感情を不必要に刺激しあい、問題の打開を阻害する要因となることも危ぶまれます。

http://www.huffingtonpost.jp/2015/11/26/park-yuha-charge-remonstrance_n_8659272.html

この部分がどうにも慰安婦問題という限られた範囲でしか、韓国の問題が見えていないようにしか思えません。
例えば、情報通信網利用促進及び情報保護などに関する法律第70条などは10年以上前からある法律です。「いま、韓国の憲法が明記している「言論・出版の自由」や「学問・芸術の自由」が侵されつつある」などという認識はずれているとしか言いようがありません。
朴裕河事件や産経加藤達也事件などではじめて認識したというのなら、それまであまりにも韓国の人権や言論の自由の状況について無関心だったのではないかと思わざるを得ません。

2015年3月23日の中央日報はコラムで以下のように述べています。

2011年の国連人権報告官の報告書をはじめ、多くの人権機構がこの問題を指摘している。世界各国の人権・自由実態を追跡する非政府機構(NGO)「フリーダムハウス」は2010年、韓国の言論の自由状況を「自由」から「部分的に自由」に引き下げた。2011年には韓国のインターネットの自由に対して似た結論を出した。「国境なき記者団」は2010年、韓国の言論の自由を世界42位と評価した。2015年には60位に落ちた。

http://japanese.joins.com/article/999/197999.html

名誉毀損処罰は言論の自由に冷や水を浴びせる効果をもたらす。この問題に対する国際社会の懸念はますます強まっている。名誉毀損罪は、記者や市民を逮捕や公判前拘禁などの対象にする可能性がある。権力・経済エリートに「甲」の利点を与える。特に政府の官僚を言論の批判から防ぐのに悪用されかねない。金大中(キム・デジュン)、盧武鉉ノ・ムヒョン)政権が駆使したこの方式は、時間が経つにつれて名誉毀損関連訴訟をさらに増やしている。目につく事例の一つは、農林水産食品部長官が番組「PD手帳」の制作スタッフを名誉毀損容疑で告訴したことだ。韓国哨戒艦「天安」事件の調査に対する疑惑を提起したシン・サンチョルさんも名誉毀損容疑で起訴された。4大河川プロジェクトに批判的なコメントをネット上に書き込んだ若者が調査を受けた後、自殺するという悲劇的な事件もあった。最近では加藤達也前産経新聞ソウル支局長が起訴され、メディア関係者のキム・オジュンさん、チュ・ジンウさんが裁判を受けた。

http://japanese.joins.com/article/999/197999.html

こういった「名誉毀損に対する持続的な処罰強化」*5のひとつとして朴裕河事件を取り上げて抗議すると言う声明ならば、賛同もできるのですけどね。なぜかこういう視点が欠けており残念でなりません。

韓国の名誉毀損法制を批判できないのなら、朴裕河事件は批判できない

韓国の名誉毀損法制をちゃんと批判しないままでは、朴裕河事件をまともに批判はできません。
朴裕河事件は韓国の名誉毀損法制に則り元慰安婦らが刑事告訴した結果、検察が起訴を決めたものであって、韓国政府が主体的に朴裕河氏を弾圧しているわけではありません。元慰安婦らは現行法制で認められている権利として告訴を行い、検察は法と判例に則って判断したわけですから、ここで批判されるべきは、元慰安婦らでも韓国検察でもなく、名誉毀損法制そのものでなければならないのは自明です。
そして、名誉毀損法制そのものに対する非難であれば、朴裕河帝国の慰安婦」の内容如何に関わらず、普遍的な人権や言論の自由に対する侵害として非難できます。

ところが抗議声明はその辺が全くずれていて、“朴裕河帝国の慰安婦」は優れた本だから”弾圧するな、と言った感じの声明であり、韓国の名誉毀損法制に対する問題意識が希薄になっています。これがとても情けないと感じるゆえんです。

朴裕河帝国の慰安婦」に対しては、以前「内容的には初歩的な史料の誤認などが目立ち、最新の研究成果も踏まえておらず、レベルとしては低いと言わざるを得」ないと評しましたが、仮に“優れた本”だったとしても、それを理由として、また、「日韓の国民感情を刺激し、問題の打開の弊害となることを懸念」*6するからという理由で、裁判所に手心を加えるように求めるのも法に則ったものとは言えませんし、これまで散々“韓国は国民情緒法の国”だと嘲笑してきた日本社会としてはどうなのかとも思いますしね。

繰り返しますと、韓国の名誉毀損法制そのものに対する非難であれば、内容如何は関係ありません。

朴裕河帝国の慰安婦」に対する冗長な擁護部分

抗議声明の大半を占める朴裕河帝国の慰安婦」の擁護部分については、ほぼ同意できませんが、その理由はここでは省略します。
問題は、擁護部分がやたらと冗長になっている点です。抗議声明の主目的が、朴裕河帝国の慰安婦」に対する賛美であり、朴裕河路線での“慰安婦問題”の最終解決に手放しで賛成することであり、韓国における言論の自由の状況を日韓市民で共有し協力しようというものになっていない、と評せざるを得ないんですよね。

また、日韓両国がようやく慰安婦問題をめぐる解決の糸口を見出そうとしているとき、この起訴が両国民の感情を不必要に刺激しあい、問題の打開を阻害する要因となることも危ぶまれます。

http://www.huffingtonpost.jp/2015/11/26/park-yuha-charge-remonstrance_n_8659272.html

この一文がそれを物語っています。韓国における言論の自由の状況を憂いているというより、(朴裕河路線での)“慰安婦問題”の最終解決が遠のくことを恐れているという感じです。

声明は最後にこう締めくくっています。

今回の起訴をきっかけにして、韓国の健全な世論がふたたび動き出すことを、強く期待したいと思います。日本の民主主義もいま多くの問題にさらされていますが、日韓の市民社会が共鳴し合うことによって、お互いの民主主義、そして自由な議論を尊重する空気を永久に持続させることを願ってやみません。
今回の起訴に対しては、民主主義の常識と良識に恥じない裁判所の判断を強く求めるとともに、両国の言論空間における議論の活発化を切に望むものです。

http://www.huffingtonpost.jp/2015/11/26/park-yuha-charge-remonstrance_n_8659272.html

ここは一般論としてはもちろん賛同できるのですが、今の日本のどこに慰安婦問題に関して「自由な議論を尊重する空気」があるのか、どこで「言論空間における議論の活発化」が見られるのか、そう考えると言ってて恥ずかしいものであることも否定できません。

*1:もちろん、どうかと思う人もいるんですが。

*2:http://www.mikiya.gr.jp/True_proof.html

*3:夕刊和歌山事件(最判昭和44年6月25日刑集23巻7号975頁)

*4:http://glaw.scourt.go.kr/wsjo/lawod/sjo190.do?contId=2172797#1448726626813

*5:http://japanese.joins.com/article/999/197999.html

*6:http://www.huffingtonpost.jp/2015/11/26/park-yuha-charge-remonstrance_n_8659272.html 吉野太一郎氏記載部分