北岡伸一氏らが朝日新聞第三者委員会による報告書で以下のように記載しています。
しかし、前文は一読して記事の全体像を読者に強く印象づけるものであること、「だまされた」と記載してあるとはいえ、「女子挺身隊」の名で「連行」という強い表現を用いているため強制的な事案であるとのイメージを与えることからすると、安易かつ不用意な記載である。そもそも「だまされた」ことと「連行」とは、社会通念あるいは日常の用語法からすれば両立しない。
http://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014122201.pdf
「連行」とは「強制的な事案であるとのイメージを与える」、「「だまされた」ことと「連行」とは、社会通念あるいは日常の用語法からすれば両立しない」と、北岡氏の日本語読解能力の欠如、あるいは知的誠実さの欠如、あるいは右翼の幇間としての義務を余す所なく示した内容です。
言うまでもなく「連行」とは連れて行くことであって、必ずしも強制性を伴う言葉ではありません。
台湾から広東省への慰安婦連行の事例
1940年6月27日、中国広東省に侵攻していた南支那方面軍(司令官・安藤利吉)台湾混成旅団(旅団長・塩田定七)台湾歩兵第1連隊(連隊長・林義秀)専属の軍慰安所の経営者夫婦が、林連隊長発給の身分証明書と欽州憲兵分遣隊長(足立茂一)発給の身分証明書を受け、翌6月28日付けで台湾から連行する予定の慰安婦6名について欽州憲兵分遣隊長(足立茂一)の許可を得て、6月30日、広東省から台湾へ渡航しました。
慰安所経営者の夫婦は、台湾から広東省の塩田兵団林部隊に慰安婦6人を連行しようとしましたが、ここで問題が起こります。同じ1940年5月13日に定めた「支那渡航邦人ノ取扱手続ニ関スル件」において民間人は渡航に際し現地領事館警察署発給の事由証明書が必要だとしていたからです。慰安所経営者夫婦は、台湾歩兵第1連隊発給の証明書と欽州憲兵分遣隊発給の証明書は持っていましたが、所管する領事館警察署発給の証明書は持っていませんでした。このため規則に従うなら、経営者夫婦は領事館警察署発給の証明書を入手するまで台湾歩兵第1連隊へ慰安婦を連行できないことになります。
行政の手続上、法治国家ならば領事館警察署発給の証明書を入手するまで広東省への渡航を認めないのが当然です。
しかしながら当時の日本軍は法律に従うような集団ではなく、高雄州知事(赤堀鉄吉)は法律よりも軍に阿ることを選びます。まず1940年8月23日付で台湾総督府外事部長(千葉秦一)に“お伺い”を立てます。その“お伺い”の内容を要約すると、『規則上は領事館警察署発給の証明書が必要だが、どうせ形式的なものだから、所属部隊長や所轄憲兵隊長の発給する証明書で良いことにしてはどうか』というものです。行政機関自らが、拠って立つべき規則を破ることを進言したわけです。
高雄州知事(赤堀鉄吉)からの“お伺い”を受けた台湾総督府外事部長(千葉秦一)は、慰安婦連行は「急ヲ要スル」という理由で領事館警察署発給の証明書は不要で良いと9月2日付で高雄州知事に回答しています。
もっとも、台湾総督府外事部のみで決定することに不安があったのか、同日付で日本外務省アメリカ局第三課(真木薫)に、このやり取りを報告しています。しかしながら「貴官ヨリノ指示モ有ルニ付本件渡航者ニ対シテモ広東総領事館発給ノ渡支事由証明書ヲ提出セシムベキヲ妥当ト認ムルモ本件慰安所従業員ノ渡航ハ急ヲ要スルモノナルニ付特ニ本件ニ限リ許可」したという事後報告です。
本当は「広東総領事館発給ノ渡支事由証明書」が必要だけども、慰安婦連行は急を要するから無くてもいいことにした、という内容です。
関連史料
http://www.awf.or.jp/pdf/0051_1.pdf(8)-1 渡支事由証明書等ノ取寄不能ト認メラルル対岸地域ヘノ渡航者ノ取扱ニ関スル件[台湾総督府外事部長](昭15・9・2)
昭和十五年九月二日
台湾総督府外事部長 千葉秦一
外務省亜米利加局第三課長 真木薫 殿
外一第一、一六二号ノ一
渡支事由証明書等ノ取寄不能ト認メラルル対岸地域ヘノ渡航者ノ取扱ニ関スル件本件ニ関シ高雄州知事ヨリ別紙甲号写ノ通リ照会在リタル処斯種渡航者ノ取扱振ニ関シテハ陸海軍側ノ証明書ニ依リ最寄リノ領事館警察署ヨリ渡支事由証明書ヲ取付クル事ト致度キ趣貴官ヨリノ指示モ有ルニ付本件渡航者ニ対シテモ広東総領事館発給ノ渡支事由証明書ヲ提出セシムベキヲ妥当ト認ムルモ本件慰安所従業員ノ渡航ハ急ヲ要スルモノナルニ付特ニ本件ニ限リ許可スベキ旨別紙乙号写ノ通リ高雄州知事宛回答シ置クルニ付御了知相成度此段申進ス
http://www.awf.or.jp/pdf/0051_1.pdf(8)-2 渡支事由証明書等ノ取寄不能ト認メラルル対岸地域ヘノ渡航者ノ取扱ニ関スル件[高雄州知事](昭15・8・23)
甲号写
高警高秘外第五六九二号
秘 昭和十五年八月二十三日
高雄州知事 赤堀鉄吉外事部長 殿
渡支事由証明書等ノ取寄不能ト認メラルル対岸地域ヘノ渡航者ノ取扱ニ関スル件
本籍 ■■■■
住所 ■■■■
当二十二年右者名義人トナリ夫■■■ナル者ト共ニ広東省欽県ニ於テ南支派遣軍塩田部隊林部隊専属軍慰安所ヲ経営目下同軍ニ従ヒ広西省南寧付近ニ於テ就業中ノ処今回酌婦連行ノ目的ヲ以テ六月二十七日附右林部隊長発給証明書(別添第一号)及同日附同地憲兵分遣隊長発給ノ渡航証明書(右第二号)並ニ同月二十八日附酌婦呼寄証明書(同第三号)ヲ携帯帰台シ再渡航等ノ為本名等二名及連行スベキ酌婦六名ノ渡航証明書下付申請アリタルガ支那渡航ニ関シテハ本年五月一三日附総外第一一二号ニ「支那渡航邦人ノ取扱手続ニ関スル件」等ニ依リ普通人ハ一律ニ現地領事館警察署発給ノ渡支部由証明書ヲ必要トスルコトトナリ居レルモ本件営業者ノ如キハ領事館警察署トハ著シク遠隔ノ地ニアリ且ツ領事館ニ於テモ調査不能ノ地域ト思料セラルルモノニアリテ短時日ニ所定証明書ノ取寄可可能ト認メラレ例令所定証明書ノ発給アリタリトスルモ右ノ理由ヨリ単ニ形式的ナルモノト認メラルルニ於テハ渡航者ノ身元目的其他確実ニシテ渡支セシムルモ支障ナキ者ニシテ特ニ本件ノ如キ特種営業ニ就業シ居ルニ於テハ所属部隊長或ハ所轄憲兵隊長ノ発給スル証明書ニ依リ渡航セシムルハ尤モ実際的処理ト思考セラレ候ニ付テハ本件処理ニ関シ何分ノ御回答相煩度
右照会ス
追テ広東領事館ニ於テハ本年五月二十日以降ニ於テ管下在留者ノ帰台ニ際シ内地人ニハ身分証明書ニ代ヘントノ意向ナルカ如キモ何等連絡ナク右ハ上記総務長官通牒ノ趣旨並ニ取扱方針ニ悖ルモノト認メラレ取扱ニ関シ併セテ配慮相成度申添候
第三号
呼寄証明願
本籍 ■■■■
現住所 ■■■■
職業 芸者
氏名 ■■■■
■■■■
本籍 ■■■■
現住所 ■■■■
職業 酌婦
氏名 ■■■■
■■■■
本籍 ■■■■
現住所 ■■■■
職業 芸者
氏名 ■■■■
■■■■
本籍 ■■■■
現住所 ■■■■
職業 酌婦
氏名 ■■■■
■■■■
本籍 ■■■■
現住所 ■■■■
職業 酌婦
氏名 ■■■■
■■■■
本籍 ■■■■
現住所 ■■■■
職業 酌婦
氏名 ■■■■
■■■■
右者慰安所酌婦稼業ノ為メ呼寄致度願候也
昭和十五年六月二十八日
右願出人本籍 ■■■■
現住所 ■■■■
職業 ◆莱慰安所
氏名 ■■■■
当二十二才
欽州憲兵隊長足立茂一殿
欽憲警第四六八号
右証明ス
昭和十五年六月二十八日
欽州憲兵分遣隊長足立茂一[欽州憲兵分遣隊長印]
http://www.awf.or.jp/pdf/0051_1.pdf(8)-3 渡支事由証明書等ノ取寄不能ト認メラルル対岸地域ヘノ渡航者ノ取扱ニ関スル件-回答[台湾総督府外事部長](昭15・9・2)
乙号写
昭和十五年九月二日
台湾総督府外事部長 千葉秦一
高雄州知事殿
外一第一、一六二号
渡支事由証明書等ノ取寄不能ト認メラルル対岸地域ヘノ渡航者ノ取扱ニ関スル件本件ニ関シ本年八月二十三日附高警高秘外第五六九二号ヲ以テ御照会越ノ御了承、斯種渡航者ノ取扱振ニ関シテハ本年六月八日附外一第六六二号ノ三ヲ以テ申進置タルモ本件慰安所従業員ノ渡航ハ急ヲ要スルモノタルノミナラズ貴官御申越ノ次第御尤ト存ゼラルルニ付特ニ本件ニ限リ渡支事由証明書ヲ取付ケシムル事ナク林部隊長発給ニ係ル証明書ヲ以テ出願セシメ身許目的等調査ノ上確実ナルニ於テハ所定証明書発給相成差支無之ニ付此段回答ス
追而広東総領事館発給ニ係ル身分証明書ヲ所持シ再渡航セントスル内地人ニ対シテハ改メテ身分証明書ヲ取付シムル事ナク渡航セシメ本島人ニ対スル同館発給在留証明書ハ今回ノ渡支事由証明書ト同一効力ヲ有スルモノト看做シ御取計相成度申添フ