12月28日日韓政府間合意の共同発表内容を構成する要素について

2015年12月28日の「日韓両外相共同記者発表」ですが、外交的作文としては結構興味深いものです。
日韓両政府とも出来る限り新たな内容を認めたくない、という願望があるため、いずれも既存の公文書の表現に近い形を取っています。

日本政府側の履行義務部分

「当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」とか「慰安婦として数多の苦痛を経験され,心身にわたり癒しがたい傷を負われた全ての方々に対し,心からおわびと反省の気持ちを表明する」というのは「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話(1993年8月4日)」をベースとしていますし*1、「日本政府は責任を痛感している」というのは「元「慰安婦」の方への総理のおわびの手紙(1996年)」をベースとしています。
但し、「総理のおわびの手紙」では「わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ」という表現で「道義的な責任」と限定している上に何に対する責任かも明確ではなかったのですが、2015年12月28日日韓合意では「当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり,かかる観点から,日本政府は責任を痛感している」と「多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」の道義的に限定されない「責任」が明示されています。
法的責任と明示しなかったという批判もありますが、一般的な理解として「責任」とだけ書かれれば、当然に法的責任を含むと考えるべきだと思いますので、法的責任を明示しなかったことを批判するよりも、「責任」には当然に法的責任が含まれていると主張した方が良いと考えています。
逆に河野談話にあった「強制的」の表現が無いという指摘もありますが、「総理のおわびの手紙(1996年)」にも同様に含まれておりませんので、これをもって強制性を否定したと言うのは牽強付会でしょう。

韓国政府側の履行義務部分

「日本政府が在韓国日本大使館前の少女像に対し,公館の安寧・威厳の維持の観点から懸念していることを認知し,韓国政府としても,可能な対応方向について関連団体との協議を行う等を通じて,適切に解決されるよう努力」の部分ですが、これは「外交関係に関するウィーン条約」第22条2の「接受国は、侵入又は損壊に対し使節団の公館を保護するため及び公館の安寧の妨害又は公館の威厳の侵害を防止するため適当なすべての措置を執る特別の責務を有する」という表現を踏襲しています。
以前の記事でも取り上げましたが、なかなか巧みな表現です。
「日本政府が...懸念していること」を「認知」はしたものの、共有でも理解でもありません。共有・理解すればウィーン条約に従い「適当なすべての措置を執る」義務を韓国政府が負うことになるでしょうから、その表現は韓国政府としては認められません。「適切に解決されるよう努力」という努力義務に留め、かつその努力義務の履行方法についても「可能な対応方向について関連団体との協議を行う等」と限定しています。
素直に読めば、適切な解決とは「関連団体との協議」で示される「可能な対応方向」の範囲内であって日本政府の希望通りになるとは限らないとも解釈できます。「適切に解決」と言うのが、日本政府の懸念を払拭する上で適切なのか、関連団体との協議において適切なのか、あるいは第三者的に見て適切なのか、どうとでも取れる表現です。

「最終的かつ不可逆的に解決される」ための前提

日韓双方にある表現ですが、「最終的かつ不可逆的に解決される」ための前提として「日韓両政府が協力し,全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復,心の傷の癒やしのための事業を行うこと」が明示されています。
2015年12月28日日韓合意はあくまで日韓両政府間での合意であって民間団体などを拘束するものではありませんが、逆に日韓両政府は「最終的かつ不可逆的に解決される」ための前提条件である「全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復,心の傷の癒やしのための事業を行うこと」には拘束されます。
「名誉と尊厳の回復,心の傷の癒やしのための事業」として日韓両政府が提示した内容に対して「全ての元慰安婦」が納得できなければ、日韓両政府は「最終的かつ不可逆的に解決される」ための前提を満たさないことになるとも解釈できますから、韓国政府と元慰安婦らとの交渉に関しては、日本政府が高みの見物を決められるものでもありません。
「全ての元慰安婦の方々の名誉と尊厳の回復,心の傷の癒やしのための事業」が出来なければ、それを前提とした「最終的かつ不可逆的」な解決もまた無効になりかねません。

尤も当事者の納得などお構いなしに「名誉と尊厳の回復,心の傷の癒やしのための事業」だと言って押し付けることもありえますし、「全ての元慰安婦の方々」が亡くなるまで無視するという日本政府的やり方もありえますから、難しい話ではありますが。

*1:「総理のおわびの手紙」にも含まれる表現