朴裕河「帝国の慰安婦」裁判の時系列

備忘的にまとめておきます。
朴裕河「帝国の慰安婦」の韓国語原書が出版されたのは2013年8月です。その内容が韓国人の元慰安婦を侮辱する内容であったことから、2014年6月に訴訟を起こされることになります。

告訴から仮処分まで(2014年6月16日〜2015年2月27日)

鄭福寿氏ら元慰安婦9人が、朴裕河氏を名誉毀損で告訴したのは2014年6月16日です。名誉毀損は刑法事件ですのでソウル東部地検への告訴となり、同時に名誉毀損の媒体となっている「帝国の慰安婦」(韓国語原書)に対して出版・販売・広告等の差止め仮処分をソウル東部地裁に申し立てています*1
出版差止めの仮処分に関する初めての審理は2014年7月9日に行なわれ*2、何度かの審理を経た7ヵ月後の2015年2月17日、ソウル東部地裁は仮処分申請の一部を認めて、「帝国の慰安婦」(韓国語原書)の表現の一部削除・修正を命じる判断を下しています。

参考「『帝国の慰安婦』書籍の出版等禁止及び接近禁止の仮処分決定

この仮処分申請についての審理中である2014年11月に、「帝国の慰安婦」の日本語版が出版されています。

「帝国の慰安婦」(韓国語原書)の表現上の名誉毀損性をめぐって裁判所で審理されている最中に日本語版を出版するというのは、裁判当事者である朴裕河氏による裁判所に対する挑発であるとも言えます。裁判所の判断を待たずに自身の判断で勝手に日本語版の出版を認めているわけですから、審理している裁判所の心象を悪くしたことは容易に想像できますし、普通に考えれば朴裕河側の弁護士が止めそうなものです。
結果としては2015年2月17日の仮処分命令で34箇所の修正・削除を求められたわけですが、それでも修正すれば韓国語版の出版等は認められていましたので、日本語版出版が裁判所の判断に影響したとまでは言えないかも知れません。それでも裁判当事者が審理中に事件対象の書籍の外国語版を新たに出版するというのは、当事者心裡として理解しがたいものはあります。

仮処分以降(2015年2月17日〜)

仮処分はあくまで仮であって確定ではありませんが効力が発生する以上、確定判決も仮処分と同じ結果になることが見込まれるものです。したがって、仮処分の出た2015年2月の段階で、名誉毀損裁判においても朴裕河氏側が敗訴する可能性は極めて高かったと言えます。
この時点ではまだソウル東部地検は朴裕河氏を起訴していませんが、起訴に至れば仮処分に至ったのと同じ理路でほぼ確実に有罪になる状況だったわけです。
そのためであろうと思いますが、韓国の法制度上では検察が起訴する前に当事者間での和解を促す刑事調停を開くことがあり、朴裕河「帝国の慰安婦」裁判でも同様に2015年4月から10月にかけて刑事調停が開かれています*3

朴裕河氏本人によれば、刑事調停において原告に対する1.謝罪、2.削除形式の変更*4、3.海外版の同箇所の修正・削除、の三点を要求されたが、3番目の項目について拒絶し、調停不成立になったとのことです*5
しかしながら、原告側としては裁判中に朴裕河氏が勝手に出版した海外版(日本語版)についても修正・削除を求めるのは当然の話であって、これを受け入れがたいと拒絶する朴裕河氏の方がおかしいでしょう。
刑事調停が不成立になれば名誉毀損での有罪になる可能性が極めて高い状況で「帝国の慰安婦」(日本語版)の修正・削除を拒絶する合理的理由が考えにくく、強いて言えば宣伝目的くらいしかなさそうなんですよね。

他方の当事者である元慰安婦側によれば、以下のような経緯で調停不成立に至っています。

上記の調整手続きにおいて被害者ハルモニ側は (1)朴裕河の心のこもった謝罪 (2)歪曲された表現を韓国や第三国で使用しないこと。という2つの条件のみを要求し、朴ユハがこれらを受け入れるのであれば、進めている刑事事件と民事事件を全て取り消すと提案しました。
しかし、朴裕河は刑事調整手続きで様々な理由をつけ、法院が削除を命じたにもかかわらず、自分の使用した文句をそのまま使用すると言いました。検察はその後数回調整を提案しましたが、結局合意調整は成立しませんでした。韓国検察は朴裕河に充分な機会を与えました。

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20151129/1448812588#c1449732147

朴裕河氏側が削除・修正に関して韓国語原書と海外版で分けているのに対し、元慰安婦側は韓国語版も海外版も共に削除・修正を求めるという風にまとめています。名誉毀損という事件の性質を考慮すれば、韓国語版も海外版も同様に削除・修正を求めるのが筋でしょう。

いずれにせよ刑事調停不成立により、韓国検察としては起訴せざるを得なくなり、2015年11月19日に在宅起訴するに至ります*6

以上の経緯を考慮すれば、2016年1月13日に名誉毀損朴裕河氏に賠償を命ずる判決が出るのは至極当然の流れでしかありません。
この民事部分に関しては、今回朴裕河氏に賠償を命ずる判決が出たわけですが、原告1人当り1000万ウォン(98万円)で原告人数の9人分で9000万ウォンの賠償額となっています*7
ネット民の反応は、高すぎるだの言論弾圧だのと言ったものが多く見られますが、日本での名誉毀損による損害賠償でも数百万以上の額が出ることは珍しくなく、本件原告が9人であること及び1人当り100万円程度であることを考慮すれば、今回の判決での賠償額が格別に高いとは言えないでしょう。

ところで私は以前の記事で、「韓国の名誉毀損法制をちゃんと批判しないままでは、朴裕河事件をまともに批判はできません」と書きました。その理由として韓国における名誉毀損に関する刑事法は過剰に厳しいという指摘を挙げました。実際、韓国の名誉毀損法制には、韓国刑法第33章(307条〜312条)の他に情報通信網利用促進及び情報保護などに関する法律があり、出版物による名誉毀損は後者の法律での重い罰則が適用できるようになっています。
しかしながら、本事件において元慰安婦らは出版物による名誉毀損ではなく一般名誉毀損での告訴をしていました。

韓国の刑事法は出版物による名誉毀損と一般名誉毀損罪を区別しています。今回、韓国検察は朴裕河に対し、出版物による名誉毀損罪せず、一般名誉毀損罪の中で虚偽事実公表罪で起訴しました。つまり、朴裕河の研究結果に対して公訴権を行使したのではなく、朴ユハの本の中の一部の表現がハルモニたちの経験を歪曲して表現して、このような行為がハルモニたちを苦しめたという判断を下したのです。

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20151129/1448812588#c1449732147

刑事告訴部分に関して、告訴に際し元慰安婦らは抑制的な態度を取ったといえます。
起訴された内容が韓国刑法307条2によるものであれば、判決は2年以下の懲役か500万ウォン(49万円)以下の罰金若しくは拘留というもので*8、日本の刑法230条と比べても条文上大して違いはありません*9

*1:「元慰安婦 韓国人教授を名誉毀損で告訴「本の内容うそ」」(2014/06/16 16:34)http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2014/06/16/0200000000AJP20140616002300882.HTML

*2:慰安婦が売春婦? 被害者らが本の販売指し止め求める=韓国」(2014/07/09 19:25)http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2014/07/09/0200000000AJP20140709002700882.HTML

*3:http://kscykscy.exblog.jp/25144573/

*4:仮処分後の修正に際し、朴裕河氏はこれ見よがしな伏字を使い言論弾圧の犠牲者であるかのような記載をしたとのことです。http://kscykscy.exblog.jp/25144573/

*5:https://www.facebook.com/parkyuha/posts/1217953421564903

*6:「「帝国の慰安婦」著者を名誉毀損で在宅起訴=韓国検察」(2015/11/19 17:36)http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2015/11/19/0200000000AJP20151119002600882.HTML

*7:「「帝国の慰安婦」著者に賠償命令 名誉毀損認定=韓国地裁」(2016/01/13 16:29)http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2016/01/13/0200000000AJP20160113004200882.HTML

*8:改正されてなければ。https://ja.wikisource.org/wiki/%E5%88%91%E6%B3%95_(%E5%A4%A7%E9%9F%93%E6%B0%91%E5%9B%BD)#.E7.AC.AC33.E7.AB.A0.E3.80.80.E5.90.8D.E8.AA.89.E5.8F.8A.E3.81.B3.E4.BF.A1.E7.94.A8.E3.81.AB.E9.96.A2.E3.81.99.E3.82.8B.E7.BD.AA

*9:刑法230「公然と事実を摘示し、人の名誉を毀損した者は、その事実の有無にかかわらず、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五十万円以下の罰金に処する。」