「特攻隊の攻撃による米軍死者12300人」説の謎を追う

以前の「特攻隊の攻撃による米軍死者12300人ってどこソース?」のコメント欄に、id:edo04 さんから有用な情報をいただきました。ありがとうございます。

edo04 2016/06/28 12:24
いつも読ませていただいております。
さて、Wikipedia特別攻撃隊の項に、「連合軍全体では、戦死者12,260名 負傷者33,769名に達したという推計もある。[159][160]」とあり、[159][160]は、「^ 北影雄幸 『これだけは読んでおきたい特攻の本』 光人社 p.12 フランスの軍事評論家クロンステル著『空戦』からの引用 」及び 「^ "La Epopeya kamikaze"」なので、この辺がネタ元かと。
要するに「ソースはウィキ」かも。

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20160627/1467047940

調べる取っ掛かりも見つけていませんでしたので、この情報は非常に助かりました。ここから情報を探っていきました。


Wikipedia

Wikipediaの記述はこれです。

連合軍の人的損失については、特攻のみによる死傷者の公式統計は無い為、推計の域は出ないがアメリカ軍の公式記録等を調査したROBIN L. RIELLY著『KAMIKAZE ATTACKS of WORLD WAR II』では特攻によるアメリカ軍の戦死者6,805名負傷者9,923名合計16,728名、[157] Steven J Zaloga著『Kamikaze: Japanese Special Attack Weapons 1944-45』では戦死者7,000名超[158]と集計している。他にイギリス軍、オーストラリア軍、オランダ軍でも数百名の死傷者が出ている。
連合軍全体では、戦死者12,260名 負傷者33,769名に達したという推計もある。[159][160]

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%88%A5%E6%94%BB%E6%92%83%E9%9A%8A

[157]〜[160]の参照先はこれです。

157^ ROBIN L. RIELLY『KAMIKAZE ATTACKS of WORLD WAR II』Mcfarland p.318〜p.324
158^ Steven J Zaloga『Kamikaze: Japanese Special Attack Weapons 1944-45』Osprey Publishing p.12
159^ 北影雄幸 『これだけは読んでおきたい特攻の本』 光人社 p.12 フランスの軍事評論家クロンステル著『空戦』からの引用
160^ "La Epopeya kamikaze"

「La Epopeya kamikaze」はリンク切れでしたので、「フランスの軍事評論家クロンステル著『空戦』」を調べてみました。

フランスの軍事評論家クロンステル?

ですが、クロンステルなる人物がわかりません。どうも、Pierre Closterman「P.クロステルマン」のことのようで、1921年生まれのクロステルマンは自由フランス空軍のパイロットの経歴を持ち、1951年に“Feux du Ciel”なる著作を発表しています。この日本語訳が大月栄一氏から1952年に出され、その際に書名が「空戦」とされました。

でこのクロステルマン「空戦」には以下の記述があります。

(P271)
 日本本土侵攻前の最後の段階、沖縄島の戦略的重要性から、犠牲は容認されていた。しかし一九四五年二月、硫黄島――直系数キロメートルの取るにも足らない小島、それを攻略するために米海兵隊は二十四日間に二万六百十六人を失わねばならなかった――の打撃後は、アメリカの参謀部は何でもことを大仕掛けにやることに決定した。
 恐るべき無敵艦隊――三百十八隻の軍艦と五十四万八千人を運ぶ一千百十九隻の商船と――が四月一日早朝、セーヌ県よりも小さなこの島の前に現われ出でた。
 戦慄すべき残忍な戦闘八十二日の後、沖縄は陥落した。しかし、この間にカミカゼが与えた損害は次の通りである。
  航空母艦および巡洋艦各数隻を含む軍艦三十三隻沈没
  運輸船五十七隻喪失、
  損傷をこうむった艦船二百二十三隻、
  戦死者一万二千二百六十人、
  負傷者三万三千七百六十九人。

これがソースだとすると、産経文化人の井上和彦氏の以下の記載に近くなります(ただし、クロステルマン「空戦」では沖縄戦82日間でのカミカゼによる被害)。

 一方、特攻で撃沈・撃破された連合軍艦艇は、筆者の調べでは、278隻にも上り、300隻超とする資料もある。米軍だけをみても、日本陸海軍機の特攻攻撃によって、戦死者が約1万2300人、重傷者は約3万6000人に上り、あまりの恐怖から戦闘神経症の患者が続出した。

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20160627/dms1606270830001-n1.htm

では、このクロステルマン「空戦」がソースでしょうか?
しかし、沖縄戦で特攻攻撃だけで米軍が12,000人以上の戦死者を出したのでしょうか?

沖縄戦での米軍の損害

United States Army in World War II The War in the Pacific Okinawa: The Last Battleの表2には、1945年4月1日から6月30日までの沖縄戦での米軍戦死者が12281人(陸軍4582人、海兵隊2792人、海軍4907人)とあります(戦略爆撃調査団)。負傷者については表2にはないため、陸軍・海兵隊の損害を記載した表3を参照すると、1945年4月1日から6月30日までの沖縄戦での陸軍(第24軍団)・海兵隊(第3水陸両用軍団)の損害は戦死7374人(陸軍4412人、海兵隊2779人)、負傷者31807人(陸軍17689人、海兵隊13609人)とあります(第10軍作戦報告)。
つまり、沖縄戦全体で米軍は、陸軍・海兵隊・海軍合せて12300人程度の戦死者と海軍を除いて31800人程度の負傷者を出しているわけです。クロステルマン「空戦」の記載が正しいなら、これらの損害はほぼ全てカミカゼによることになり、地上戦での米軍の損害はほぼ皆無ということになってしまいます。

「Memorandum from Whitehead to Kenney, "Casualties of the Okinawan Campaign," July 2, 1945, Whitehead Papers.」

We Shall Return!: MacArthur's Commanders And The Defeat Of Japan, 1942-1945」に次のような記載があります。

We Shall Return!: MacArthur's Commanders And The Defeat Of Japan, 1942-1945,William M. Leary, 1988
(P203)
The Okinawa campaign lasted eighty-one days. The United States paid dearly for its victory. Thirty-three warships were sunk and 223 were damaged, most of them by the kamikaze planes. The total number of Americans killed was 11,260: 3,633 army and 7,627 navy and marines; 33,769 army, navy, and marines were wounded.(86)

ここで、参照されているのが「(86) Memorandum from Whitehead to Kenney, "Casualties of the Okinawan Campaign," July 2, 1945, Whitehead Papers.」です。
つまり、沖縄戦終結直後の1945年7月2日にWhitehead中将からKenney中将へのメモランダムに記載された内容が、陸軍3633人、海軍・海兵隊7627人の合計11260人の戦死、33769人の負傷者ということです。
この数字は、戦死者数がクロステルマン「空戦」の記載とちょうど1000人ずれていますが、負傷者数は一致します。また、軍艦沈没数33隻、損傷223隻も一致します。おそらく戦死者数はいずれかの誤記であり、クロステルマン「空戦」は、Whitehead Papers(1945/7/2)かそれを参照した文書を基に記載したものと考えられます。

だとすれば、「most of them by the kamikaze planes.」が指しているのは、艦船の損害についてであって人的損害にかかってはいないことになります。つまりクロステルマン「空戦」で「この間にカミカゼが与えた損害」としているのはあくまで艦船の損害についてであって、人的損害は別ということになりますし、艦船の損害にしても「most of them」であって、all of them ではありません。

GlobalSecurity の記載

GlobalSecurityにはこういう記載があります。

The battle of Okinawa proved to be the bloodiest battle of the Pacific War. Thirty-four allied ships and craft of all types had been sunk, mostly by kamikazes, and 368 ships and craft damaged. The fleet had lost 763 aircraft. Total American casualties in the operation numbered over 12,000 killed [including nearly 5,000 Navy dead and almost 8,000 Marine and Army dead] and 36,000 wounded. Navy casualties were tremendous, with a ratio of one killed for one wounded as compared to a one to five ratio for the Marine Corps.

http://www.globalsecurity.org/military/facility/okinawa-battle.htm

日本語訳がこれ。

 沖縄戦は太平洋戦争中で最も血みどろの戦いとなった。連合軍の艦船34隻が沈められ、そのほとんどが神風特攻によるものだった。また、368隻の艦船が破損した。艦隊は763機の航空機を失った。 この作戦におけるアメリカ兵の総死傷者数は1万2000人に達し(海軍の死者5000人、海兵隊と陸軍の死者8000人)、3万6000人が負傷した。また、海軍の死傷者数は物凄かった。1人に負傷者に対して5人の死者という海兵隊の比率に対して、海軍は1人の負傷者に対して1人の死者という比率だった。

http://okinawasen.nomaki.jp/

基本的に、Whitehead Papers(1945/7/2)、戦略爆撃調査団、第10軍作戦報告に依拠した記載になっています。
当然これも、カミカゼによる被害は艦船についてのみ記載されており、人的被害についてはカミカゼと関係なく沖縄戦全体ので被害として書かれています。

産経文化人・井上和彦説の検証

で、この記載に戻ります。

 一方、特攻で撃沈・撃破された連合軍艦艇は、筆者の調べでは、278隻にも上り、300隻超とする資料もある。米軍だけをみても、日本陸海軍機の特攻攻撃によって、戦死者が約1万2300人、重傷者は約3万6000人に上り、あまりの恐怖から戦闘神経症の患者が続出した。

http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20160627/dms1606270830001-n1.htm

ここでの人的損害「戦死者が約1万2300人、重傷者は約3万6000人」とは沖縄戦全体での米軍被害のことであって、「日本陸海軍機の特攻攻撃」による被害者数ではありません。
つまり、人的損害についてはやはり井上説は間違いですね。
井上氏は少なくともソースにあたる努力をすれば、「戦死者が約1万2300人、重傷者は約3万6000人」という数字が沖縄戦での数値であることには気づいたはずですが、まあ産経文化人にそんなことを期待しても無駄ですから、まあいいです。