改憲が争点の参院選投票直前に改憲のハードルを高く見せてミスリードさせようとするのはどういう意図なのかね。

この件。
参院選 「改憲勢力3分の2」が焦点? メディアが報じない5つのファクト、1つの視点(楊井人文 | 日本報道検証機構代表・弁護士、2016年7月8日 6時53分配信)

一体いつから、どんなファクトに基づいて、公明党が「安倍晋三首相が目指す憲法改正に賛同」したと報じているのだろうか。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20160708-00059681/

と楊井氏は言ってますが、改憲を主張している自民党と連立与党である公明党が、改憲発議可能な3分の2議席獲得目前の参院選中に明示的に改憲に反対していない、というその一点でそう報じられて当然ですし、それがおかしいとも思いません。当人の直接的な言及が無くとも、それ以外の言動や全体的な状況から当然に判断されることは別に珍しくはなく、中国や北朝鮮などの報道ではいくらでも行なわれていますが、楊井氏がそういった報道には一切異論を唱えず、公明党に対するこの件に対して“だけ”異論を唱えるというのはそれ自体がイデオロギーに満ちた偏見ですね。

それはともかく。

楊井氏が「ファクト」と称している内容にはいくつか誤りがあります。

2.国民投票法上、憲法の全面改正はできない

自民党憲法改正草案は、全面改正案である。明治憲法体制、戦後憲法体制に代わる、第3の新憲法体制を打ち立てようという発想(いわゆる自主憲法制定論)が基底にある。こころの改正草案も同様である。
ところが、2007年に制定された国民投票法は、改正項目ごとに賛否を問う個別投票方式を採用したため、事実上、全面改正が不可能になった。(*3)かつて「改憲vs護憲」の対立は「自主憲法制定(全面改正)vs自主憲法反対・現憲法護持」の対立だったが、この不毛な対立軸は、現行の国民投票法のもとでは無意味化している。つまり、「自主憲法制定」を前提とした自民党やこころの改正草案は、そのままでは現行法上「原案」となる資格がないのである。
もちろん一度の改正発議で複数の項目・条文を対象にすることは可能だが、個別に賛否を問わなければならない。一度に国民投票にかける項目数も事実上限定されている(国民投票法案の審議で、せいぜい3〜5項目とされている)。したがって、自民党憲法改正草案の一部分だけ取り出して「原案」として提出することは可能だが、草案全体をパッケージにして提案することはできない。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20160708-00059681/

サブタイトルでは「国民投票法上、憲法の全面改正はできない」と断言していますが、本文中では「事実上、全面改正が不可能になった」にトーンダウンしています。もっとも「事実上、全面改正が不可能になった」の説明もおかしいんですけどね。

個別発議・個別投票の原則

報道やブクマとかには「条文ごとの変更や新設を提案する「憲法改正原案」が国会に提出」され、「国民は条文ごとに賛否を判断する」*1という初歩的な誤解が見られますが、まずこれは誤りです。

国会法
第六十八条の三  前条の憲法改正原案の発議に当たつては、内容において関連する事項ごとに区分して行うものとする。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO079.html

条文を見てもわかるとおり、「内容において関連する事項」ごとであって「条文ごと」じゃありません。これは微妙な違いではなくて、例えば参議院を廃止して一院制にしようという改正案の場合、憲法の第四章 国会の部分(41条〜64条)のほとんど全ての条文*2を改正する必要が生じますから、41条と52条を除く22の条文変更(第四章以外も含めるともっと増える)の賛否が1枚の投票用紙で問われることになります。

まあ、それでも「内容において関連する事項ごとに区分」されるなら問題ないと言う人もいるでしょうし、少なくとも「国民投票法上、憲法の全面改正はできない」というのは正しいのではないかとも思えます。しかし、「内容において関連する事項ごとに区分」することが明示されているのは、憲法改正原案の発議に関する部分だけで、憲法改正案や投票に関しては明記がありません。

186 - 衆 - 予算委員会 - 4号 平成26年02月04日
○橘法制局参事 憲法改正国民投票法案の立案、審議の際にお手伝いさせていただきました事務方の立場から御答弁させていただきます。
 もう先生読み上げられましたように、個別発議の原則は、国会法において定められた実定法上の原則でございます。先生、象徴的に、逐条、条文ごとというふうにおっしゃいましたが、先生先ほど条文を読まれましたように、あくまでも、逐条ではなくて、内容において関連する事項ごとということでございます。
 この趣旨につきましては、当時、提出者でいらっしゃった公明党の斉藤鉄夫先生が、個別の憲法政策ごとに民意を正確に反映させるという要請、もう一つは相互に矛盾のない憲法体系を構築するという要請、この二つの要請を調和させたものであるというふうにおっしゃっておられます。何が内容において関連する事項であるかにつきましては、憲法改正の発議権を有する国会自身が個別具体的に判断するべきものともおっしゃっておられます。
 また、同じく法案提出者でいらっしゃった自由民主党の船田元先生は、この原則の適用場面について、次のような御答弁をされております。
 すなわち、例えば、第九条の改正と環境権の創設という全く別個の事項について、それを一括して国民投票に付するということは明らかに好ましくない、こう述べられた上で、では、憲法の全面改正の可否についてはどう考えるのだということについては、それが全て相互に密接不可分である、内容の上で分かちがたい、そのように国会が判断するのであれば、一括して発議される場面も論理的にはないことはないというふうに思うけれども、しかし、さまざまな内容の改正を含むということであれば、現実問題として、また政治論としても、一括して発議することは難しいと答えざるを得ないと御答弁もされています。
(略)

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/186/0018/main.html

橘法制局参事が言及している自民党・船田元議員の発言として、全面改正に否定的なトーンでありながら、「憲法の全面改正の可否についてはどう考えるのだということについては、それが全て相互に密接不可分である、内容の上で分かちがたい、そのように国会が判断するのであれば、一括して発議される場面も論理的にはないことはない」と述べています。
つまり、法律的には複数の憲法改正原案を一つの憲法改正案に一括して発議することが可能だということになり、国民投票法上、憲法の全面改正はできるということです。

楊井氏の注釈。

(*3) 正式な法律名は「日本国憲法の改正手続に関する法律」(通称、国民投票法)151条により改正(追加)された国会法68条の3。投票用紙は個別発議ごとに1枚だが、全面改正しようとすると数十項目(投票用紙数十枚)にわたると考えられ、事実上不可能。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20160708-00059681/

憲法改正案が一括されて一つにされると、当然投票用紙も1枚になります。
楊井氏の解釈はこのやり取りに基づくとは思いますが。

189 - 衆 - 憲法審査会 - 5号 平成27年09月25日
○保岡座長
 憲法改正原案は、内容において関連する事項ごとに区分して発議するものとされています。これが個別発議の原則です。
 憲法改正は、基本的に国家の基本ルールの変更ですから、これに当たっては民意を正確に反映させることが必要で、平成十八年十一月三十日の日本国憲法に関する調査特別委員会では、例えば、「第九条の改正と環境権の創設という全く別個の事項について、それを一括して国民投票に付するということは明らかに好ましくない」と答弁されています。このようにして、内容が異なる憲法改正案は、それぞれ別個に国民投票にかけられることになります。
(略)
 先ほど述べた個別発議の原則ですが、これに対応して、賛否の投票も、提案されている憲法改正案ごとに投票を行うこととなっています。これは個別投票の原則といいます。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/189/0250/main.html

憲法改正“原”案は内容において関連する事項ごとに区分して発議するのが個別発議の原則であってこれは国会法で定められていますが、憲法改正“原”案を国会で審議した後、国民に提示する憲法改正案については法律上の明記がありません。国会審議の過程で複数の憲法改正“原”案が一つにまとめられることは、当然に考えられることであって*3国民投票がその憲法改正案ごとに投票することを個別投票の原則と呼んでいますが、この国民投票での投票単位も特に法律上の明記はありません。
国会発議の条件である3分の2の賛成を得られるのであれば、全面改正案を一括した憲法改正案として発議し国民投票で1枚の投票用紙で判断させることも別に違法ではありません。

もちろん「明らかに好ましくない」ですし、「現実問題として、また政治論としても、一括して発議することは難しい」でしょうが、「現実問題」も「政治論」とその時の政治状況に依存するだけで法に抵触するわけじゃありませんし、「明らかに好ましくない」ことなど、安倍政権は国会開催要求の事実上の拒否とかでいくらでもやってますからねぇ。

あとですね、「全面改正しようとすると数十項目(投票用紙数十枚)にわたる」とか言ってますけど、自民党改憲案でも「内容において関連する事項ごとに区分」を章ごととみなせば、せいぜい12項目で、その気になれば4項目くらいになりますから*4、それをもって「事実上不可能」というのもミスリードでしょう。

憲法改正の4つのハードルのうち、1つも超えていない?

この部分。

4.憲法改正の4つのハードルのうち、1つも超えていない

憲法改正のハードルは、「各議院の総議員の3分の2以上の賛成による発議」と「国民投票での過半数の賛成」の2つある、と一般に解説されている。しかし、国民投票に付する「改正発議」に至るまで、少なくとも2つの大きなハードルがあることを押さえておかなければならない。「審議する改正項目の確定」と「改正案の作成、提出・発議」である。
現在は、このうち1つ目もクリアしていない。参院選後の憲法改正論議は、文字通り一からのスタートとなる。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20160708-00059681/

「審議する改正項目の確定」と「改正案の作成、提出・発議」が大きなハードルだと言ってるわけですが、自民党は既に改憲案を公表しているわけですから、全部出すならそのまま提示できますし、一部にするならその中から選ぶだけです。
「改正案の作成、提出・発議」のうち、「改正案の作成」は「審議する改正項目の確定」と分ける意味がよくわかりませんね。「提出・発議」は改憲原案を作成した政党が自民党であれば容易にできますね。衆院なら100人以上、参院なら50人以上の賛成という条件ですが、自民党は自党だけでその条件をクリアしていますから、ハードル扱いするほうがおかしいですね。
楊井氏の「このうち1つ目もクリアしていない。参院選後の憲法改正論議は、文字通り一からのスタート」というのは明らかにミスリードです。

なお、改憲プロセスを安倍政権が主導できるかのような印象を与える報道も目立つが、内閣は、憲法改正原案を提出できないなど実際に関与できる部分はほとんどない。(*4)
(*4) 内閣の憲法改正原案提出権は、内閣法制局の見解では憲法上否定されていないとしているが(参議院憲法調査会2001年6月6日)、国民投票法の審議過程で、内閣法などの改正が必要との答弁がある(衆議院憲法調査特別委員会2006年12月7日)。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20160708-00059681/

これも意味不明ですね。安倍首相は首相であると同時に自民党総裁でもありますよね。その自民党改憲原案発議に必要な衆院なら100人以上、参院なら50人以上の議席数を持っています。内閣から直接原案を出せないとしても、党を通じて発議させることは容易にできますから「改憲プロセスを安倍政権が主導できるかのような印象」は印象ではなく事実ですよ。

憲法改正の4つのハードル」?の1

(1) 改正項目の確定

まず、どの条文について改正発議の対象とするのか、を決めなければならない。各党や憲法審査会で議論が行われるとみられる。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20160708-00059681/

これ、ハードルですか?
改憲を党是として60年以上経つ政党がそんなことすら決めていないとか思ってるんですかね?改憲を主張している政党は皆そんなこと決めてるでしょうよ。

憲法改正の4つのハードル」?の2

(2) 改正原案の作成〜提出・発議(第一発議)

改正項目が決まれば、原案を作成し、審議入りのための発議が行われる。
具体的には、「合同審査会」の設立→改正原案「骨子」の作成→憲法審査会への勧告→原案の条文起草→憲法審査会長が原案提出→憲法審査会で審議入りというルートか、議員の原案提出→衆院100人以上または参院50人以上の賛成での発議→審議入りというルートが考えられる。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20160708-00059681/

自民党は既に原案を作成していますよね。多少の推敲はあるでしょうが、ハードルと呼べるようなものではありませんね。

国会法
第六十八条の二  議員が日本国憲法 の改正案(以下「憲法改正案」という。)の原案(以下「憲法改正原案」という。)を発議するには、第五十六条第一項の規定にかかわらず、衆議院においては議員百人以上、参議院においては議員五十人以上の賛成を要する。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO079.html

改憲原案の発議についても、自民党は余裕で国会法の条件を満たしますから、ハードルとは言えませんね。
合同審査会については別に義務じゃありませんから開かなくても構いません。

憲法改正の4つのハードル」?の3

(3) 改正原案の審議・修正を経て、国民への改正発議(第二発議)

原案は衆参の憲法審査会の審議を経て、本会議に上程される(衆参の同時審議はできない)。最終的に衆参それぞれの総議員の3分の2以上が改正案に賛成すれば、国民投票に付される。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20160708-00059681/

自民党は“楊井のハードル”のうち最初の2つは余裕でクリアできる状態です。「このうち1つ目もクリアしていない。」とか言ってますけど、さすがにミスリードが過ぎるでしょう。
実質的なハードルはここからですが、この憲法審査会の審議はつまるところ、自民・公明・お維・こころ・他の内部での妥協点の探りあいですから本会議での3分の2を確保する為の政党間の駆け引きと国民投票で賛成を見込めるかの判断が主題です。
改憲勢力各党の面子を立てつつ、国民を煙に巻ける改憲案を仕立て上げるのが、先議の憲法審査会でそこをクリアすれば、先議の本会議は儀式みたいなものです。後議の憲法審査会では、世論の反応を見ながら微調整があるでしょうが、よほど国民投票での反対が強く見込まれない限り大した修正も無く通過し、後議の本会議も同様にクリアするでしょうね。
これらにかかる時間ですが、安倍政権にごり押しする気があれば2ヶ月程度でも可能でしょう。
教育基本法改正が審議されたのは2006年4月から12月まで国会開会中の期間としては4ヶ月程度。特定秘密保護法は2013年10月から12月までの2ヶ月弱。戦争法は2015年5月から9月までの4ヶ月。どれも重大な法案でしたが、せいぜい4ヶ月、短ければ2ヶ月足らずでした。
改憲原案が発議されてから改憲案としての発議までは2〜4ヶ月程度と考えておくのが自然でしょう。

憲法改正の4つのハードル」?の4

(4) 国民投票

2〜6ヶ月間のキャンペーン期間を経て国民投票が行われる。有効投票の過半数が賛成すれば、改正となる。

http://bylines.news.yahoo.co.jp/yanaihitofumi/20160708-00059681/

「2〜6ヶ月間のキャンペーン期間」とはこのことです。

国民投票法
第二条  国民投票は、国会が憲法改正を発議した日(国会法 (昭和二十二年法律第七十九号)第六十八条の五第一項 の規定により国会が日本国憲法第九十六条第一項 に定める日本国憲法 の改正の発議をし、国民に提案したものとされる日をいう。第百条の二において同じ。)から起算して六十日以後百八十日以内において、国会の議決した期日に行う。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/H19/H19HO051.html

ただし、2〜6ヶ月のいつになるかは国会が決めれます。自民党はほぼ間違いなく衆参両院の過半数議席を握るわけですから、要するに国民投票をいつやるかは自民党が決めるということになります。
まともなメディア報道は既に期待できませんし、例えば、この参院選自民党に投票し中国脅威論にすっかり乗っているような人たちが、緊急事態条項と9条改正の抱き合わせ(形式的には“加憲”)での賛否を問う国民投票で反対票と投じるとは思えませんので、ほぼ間違いなく改憲は成立するでしょうね。

*1:http://www.asahi.com/articles/DA3S12446186.html

*2:41条と52条が対象外

*3:同一条文に関する別個の改正原案を一つにまとめることは、個々の改正の方向性が同じであればあって当然でしょう。

*4:国柄、安全保障、国民、統治制度の4つ