百団大戦での日本軍の毒ガス使用の記録

百団大戦は1940年8月20日から1941年1月24日まで続いた華北における中共八路軍(第18集団軍)による攻勢と日本軍による反撃、それに続く日本の掃蕩作戦と中共の反掃蕩作戦の総称です。
中国側は129師(劉伯承)、120師(賀竜)、晋察冀軍区(聶栄臻)等が参加し、日本軍は主として第一軍(篠塚義男)が参加していますが、百団大戦の一部である察南南境反撃作戦では、駐蒙軍(岡部直三郎)隷下の独立混成第2旅団(人見与一)が参加しています。

この察南南境反撃作戦に関して、独立混成第2旅団独立歩兵第4大隊第2中隊による挿箭嶺に於ける戦闘詳報が残っています。挿箭嶺は淶源攻防における要地です。

「独立混成第2旅団 独立歩兵第4大隊第2中隊戦闘詳報 昭和15年9月22日〜昭和15年9月29日」
(P8〜10)
三 彼我ノ兵力並ニ交戦セシ敵ノ隊号装備素質戦法及特発ノ効果
(略)
5 特種発煙筒ハ敵ノ夜間肉薄攻撃ニ極メテ有効ナリ 概ネ其夜ニ於ケル執拗ナル敵ノ反復攻撃ヲ断念セシメ得

http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/image_C11111497800

「特発」とは特種発煙筒、すなわち毒ガスのことです。

(二)戦闘第三日(九月二十四日)
(P24-25)
15 第四望楼ニアリテハ二十二時頃戦闘一日ト概ネ同方法ヲ以テ約二百肉迫シ来リシモ特種発煙筒ノ使用ト連隊砲 擲弾筒射撃ニ依リ敵ヲ五十米以内ニ近ヅケズ約二時間ニシテ撃退セリ

(三)戦闘第四日(九月二十五日)
(P26、31-33)
2 茲ニ於テ船岡伍長ハ第一望楼守兵ヲ良ク督励シ特種発煙筒ヲ併用シ四時過ギ辛シテ近迫セル敵ヲ撃退セリ 望楼内ニ投込マレシ手榴弾三、四十ニ及ベリ 敵ハ五時過更ニ第一望楼ニ肉迫セシモ特種発煙筒ヲ警戒シ望楼下迄肉迫セズ
(略)
16 毎夜ノ戦闘ニ依リ弾薬特ニ手榴弾擲弾筒榴弾等近接戦闘用弾薬欠乏セシヲ以テ之ガ節用ヲ徹底セシムルト共ニ万止ヲ得ザルノ外手榴弾擲弾筒ノ使用ヲ避ケ成ルベク照明材料ヲ利用シ小銃軽機機関銃射撃ニ依ル如クシ又風向ヲ考ヘ特種発煙筒ヲ使用スル如ク指導セリ
(略)
20 第一望楼ニアリテハ二十二時過ギ前夜ト同ジク約三百ヲ以テ望楼ヲ包囲近迫セリ 園原軍曹ハ充分敵ヲ引付ケ特種発煙筒ヲ使用シ亦照明材料手榴弾ヲ併用シ一挙ニ敵ヲ圧倒ス 本日夕刻驟雨アリ 北風順調ニシテ煙敵主力ヲ蔽フ 敵ハ周章狼狽シ多大ノ損害ヲ受ケ退却セリ
(略)
22 第四望楼ニ於テハ本夜モ概ネ昨夜ト同要領ニ依リ約二百ノ敵近迫シ来タレリ 然レ共陣前約百米ニ之ヲ発見シ連隊砲 機関銃 特種発煙筒ヲ併用シ又適切ナル照明材料ノ使用ニ依リ敵ニ損害ヲ与ヘ南方及東方ニ撃退セリ

(四)戦闘第五日(九月二十六日)
(P37)
17 二十一時三十分約二百ノ敵第一望楼ニ近接ス 園原軍曹以下守兵良ク団結シ昨夜ノ要領ニ依リ敵ヲ引付ケ特種発煙筒ヲ使用シ照明材料手榴弾ヲ併用シ一挙ニ敵ヲ撃退シ相当ノ損害ヲ与ヘタリ

(五)戦闘第六日(九月二十七日)
(P38〜41)
1 二時三十分頃ニ至リ第一望楼ニ一部ノ敵近迫セシモ第一次特種発煙筒ノ効果ニヨリ望楼下迄肉迫シ得ズ(略)
(略)
3 敵ハ我至厳ナル警戒ニ依リ特ニ特種発煙筒照明材料ノ使用ヲ恐レシモノノ如ク本夜ニ於ケル敵ノ行動ハ戦闘開始以来ニ比シ稍々消極的ナルモノノ如シ
(略)
13 日没ト共ニ至厳ナル警戒ヲ以テ敵ノ近接ヲ待ツ 敵ハ前日ト同ク暗夜ヲ利用シ各陣地ニ近迫セリ 然レ共各陣地頑トシテ陥ラズ 犠牲者続出スルノミニシテ且特種発煙筒 照明材料大ナル効果ヲ収メ得タルモノノ如ク一般ニ敵ノ行動消極的ナルガ如シ


最後にこのような所見が述べられ、そこでははっきりと特種発煙筒を「瓦斯」と書いています。

八 将来ノ参考トナルベキ事項並ニ所見
(P53)
6 敵ノ弱点
(略)
ハ 特種発煙筒
瓦斯ニ対スル敵ノ感受性ハ極メテ大ニシテ有効ニ之ヲ使用シ得タリ

独立歩兵第4大隊第2中隊は1940年9月22日から29日までの8日間で特種発煙筒18発を使用しています。