離婚後の親子関係に関する法整備について日本はアメリカより40年近く、親子交流の在り方に関する社会の認識はそれ以上に遅れている

フィアー・ザ・ウォーキング・デッド 」で主人公トラヴィスは離婚経験者で、前妻ライザが監護している息子クリスと面会交流を行っています。元夫婦・親子間、そして現在の恋人とその連れ子との関係が複雑に絡み合って物語が展開します。これは現在のアメリカにおける共同親権・共同監護の実態を物語の背景として用いているわけですが、アメリカも以前は現在の日本のように共同親権は認められず、離婚したら子どもは一方の親に引き取られ残された親はほとんど子どもとかかわることができませんでした。

1979年に公開された映画「クレイマー、クレイマー」は、そういった単独親権時代のアメリカが描かれています。
原題は「Kramer vs. Kramer」で、夫クレーマーと妻クレーマーの訴訟、つまり離婚裁判を意味するタイトルです。

ジョアンナ・クレーマーメリル・ストリープ)は家庭内で妻としてのみ生きることに疲れ、突如家出します。残された夫テッド・クレーマーダスティン・ホフマン)と息子ビリー(ジャスティン・ヘンリー)は母親不在の生活で混乱するものの、仕事人間だったテッドは家事・育児に慣れ、父子関係も円満になってくる。しかし、離婚も成立し父子家庭が軌道に乗ってきた頃に、自立してテッドよりも高給取りとなったジョアンナが帰ってくる。
母との再会に喜ぶビリー。一方でビリーの養育権を渡すように求められたテッドは拒否し、裁判となる。
子の養育権を巡って争う裁判は、互いの弁護士が相手の落ち度を追及する苛酷な内容となり、最終的に養育権はジョアンナに移ることになった。ビリーの引き渡しの日、ジョアンナは思い直し、養育権をあきらめることをテッドに伝えて物語が終る。

この映画が上映された1980年前後の時代背景として棚瀬一代氏が1989年に出版した「「クレイマー、クレイマー」以後―別れたあとの共同子育て」で以下のように述べています。

(P7-8)
 一九七七年。この本が出版された当時のアメリカでは、離婚に際して、親も子も、こうした悲しみを味わわねばならなかった。
 二組に一組近くが離婚に終るアメリカで、この映画の人気が沸騰して、映画館の前に行列ができ、観客が流す涙でクリネックス産業がおおもうけをしたといわれるのもうなずける。
 こんなにも子どもは両親を愛し、両親も、いずれ劣らず子を思い、子どもを引き取って世話したいと願っている。しかも二人とも近くに住んでいる。それならいっそ、両親が共同で子育てしたらどうだろう。そうすれば、子どもは両親を失わず、両親も子どもを失わずにすむというものだ。
 だが、この本が出版された一九七七年当時は、アメリカでも、こうした考え方をする人はごく少数だった。
 社会全体の意識としては、「そもそも、子どもとそんなに一緒にいたがる父親は、ちょっとおかしいんじゃないか」と疑いの目で見られた離、こうした父親の意向にそおうとする母親は、「あまり譲歩しない方がいい」と弁護士からアドヴァイスされたりしたものだ。母親自身もまた、子どもに対する全責任をとらずに、父親との共同子育てを望むことに対して心の奥深くで罪の意識を抱く者も多かった。つまり、子育ては母親の「聖域」というのが、当時の社会全体の一般的意識だったからだ。
 また、当時の大多数の精神科医やカウンセラー、裁判官や弁護士たちも、離婚後の共同子育ては、「うまくいきっこない」「戦いをエスカレートさせるだけだ」「子どもに必要なのは一本の歯ブラシと一個の家だ」と考えていた。
 一九七七年頃までには、シングル・マザーの六十パーセント以上が働いているという実態にもかかわらず、母親に単独で親権・監護権を、そして父親に隔週末ごとの訪問権(面接交渉権)と、という慣行が続いてきていたのだ。
 この慣行によれば、子どもは十二日間を母親と暮らし、二日間と父親と過ごすことになる。しかし、ほんとうは子どもたちは、「もっと父親に会いたい!」と思いつづけてきていたのだ。

映画「クレイマー、クレイマー」公開とほぼ同じころ(1980年)にカリフォルニアで共同子育て法が施行されています。この法律は、母性優位の時代に離婚により子と引き離された父親が中心となって法律制定の運動を起こし、1976年、1977年に続く1979年の三度目に提出した法案が可決され成立したものです*1

現代の日本

現在の日本には離婚後の親子交流について規定した法律がありません*2。そもそも、単独の家族法すら存在せず、民法の家族関係の規定だけです。
その意味では法律的な状況として、現在の日本は、1970年代以前のアメリカと同レベルと言えます。ざっと40年は遅れてるわけです。

その1970年代のアメリカでさえ面会交流は、今の日本より充実していました。
クレイマー、クレイマー」では、ビリーの養育権を奪われたテッドに二週間に一度の週末訪問権が与えられています。これに対して日本では現在でも、面会交流は月1回数時間程度というのが多く、ひどいのになると年に一度数時間の面会や、あるいは面会すら認められず写真の送付のみという場合すらあります。

2014年の裁判所の統計では、調停で成立した面会交流の頻度は成立7654件中週1回以上は168件(2%)、月2回以上は727件(11%)、月1回以上が3564件(45%)、2〜3か月に1回以上が1093件(15%)、4〜6か月に1回以上が290件(5%)となっています*3

1970年代のアメリカで認められていた面会交流の頻度と同程度の面会交流が現代の日本で認められるのは、調停成立件数全体のわずか2〜11%にすぎません。
法の運用、それを容認する社会という視点では、日本はアメリカより40年以上遅れていると言えるでしょうね。

*1:「「クレイマー、クレイマー」以後―別れたあとの共同子育て」P21-22

*2:強いて言えば、民法766条が挙げられますが、面会交流に対する実質的な機能はほとんどありませんので。

*3:http://www.courts.go.jp/app/files/toukei/736/008736.pdf この他、長期休暇中が111件、別途協議が738件、その他が936件