日中戦争開戦(1937年7月)時から太平洋戦争開戦(1941年12月)の日本陸軍師団数の推移

備忘用として。

1937年7月時点

17個師団(近衛師団、第1師団、第2師団、第3師団、第4師団、第5師団、第6師団、第7師団、第8師団、第9師団、第10師団、第11師団、第12師団、第14師団、第16師団、第19師団、第20師団)

近衛師団 (近歩1、近歩2、近歩3、近歩4)
第1師団 (歩1、歩3、歩49、歩57)
第2師団 (歩4、歩16、歩29、歩30)
第3師団 (歩6、歩18、歩34、歩68)
第4師団 (歩8、歩37、歩61、歩70)
第5師団 (歩11、歩21、歩41、歩42)
第6師団 (歩13、歩23、歩45、歩47)
第7師団 (歩25、歩26、歩27、歩28)
第8師団 (歩5、歩17、歩31、歩32)
第9師団 (歩7、歩19、歩35、歩36)
第10師団 (歩10、歩39、歩40、歩63)
第11師団 (歩12、歩22、歩43、歩44)
第12師団 (歩14、歩24、歩46、歩48)
第14師団 (歩2、歩15、歩50、歩59)
第16師団 (歩9、歩20、歩33、歩38)
第19師団 (歩73、歩74、歩75、歩76)
第20師団 (歩77、歩78、歩79、歩80)

1937年9月

23個師団。
(第26師団、第101師団、第108師団、第109師団)創設
(第13師団、第18師団)復活
第26師団(独歩11、独歩12、独歩13)は独立混成第11旅団(初代)を母体とした三単位師団*1
第26師団以外は既存の常設師団を母体とした特設師団で次のように対応しています。

常設(甲)師団 特設(乙)師団
第1師団 第101師団(歩101、歩103、歩149、歩157)
第2師団 第13師団(歩58、歩65、歩104、歩116)
第8師団 第108師団(歩52、歩105、歩117、歩132)
第9師団 第109師団(歩69、歩107、歩119、歩136)
第12師団 第18師団(歩55、歩56、歩114、歩124)

これらの特設師団は四単位師団で編成されています。

1937年10月

24個師団。
(第114師団)創設
第114師団(歩66、歩102、歩115、歩150)も第14師団を母体とした特設師団で四単位師団です。

1938年4月

29個師団
(第15師団、第17師団、第21師団、第22師団、第23師団)復活
第15師団、第17師団は特設師団ですが、これまでと異なり、三単位師団で編成されています。

常設(甲)師団 特設(乙)師団
第3師団 第15師団(歩51、歩61、歩67)
第10師団 第17師団(歩53、歩54、歩81)

第21師団(歩62、歩82、歩83)、第22師団(歩84、歩85、歩86)、第23師団(歩64、歩71、歩72)は新設の三単位師団。

1938年5月

31個師団。
(第106師団、第116師団)創設
第106師団、第116師団も特設師団ですが、こちらは四単位師団。

常設(甲)師団 特設(乙)師団
第6師団 第106師団(歩113、歩123、歩145、歩147)
第16師団 第116師団(歩109、歩120、歩133、歩138)

1938年6月

34個師団。
(第27師団、第104師団、第110師団)創設
第27師団(支歩1、支歩2、支歩3)は支那駐屯兵団を改編して編成。
第104師団、第110師団も四単位師団の特設師団。

常設(甲)師団 特設(乙)師団
第4師団 第104師団(歩108、歩137、歩161、歩170)
第10師団 第110師団(歩110、歩139、歩140、歩163)

この時点では、34個師団中7個*2が三単位師団で残り27個は四単位師団のままでした。

1939年2月

40個師団
(第32師団、第33師団、第34師団、第35師団、第36師団、第37師団)創設
いずれも治安師団として編成された三単位師団。

第32師団 (歩210、歩211、歩212)
第33師団 (歩213、歩214、歩215)
第34師団 (歩216、歩217、歩218)
第35師団 (歩219、歩220、歩221)
第36師団 (歩222、歩223、歩224)
第37師団 (歩225、歩226、歩227)

1939年6月

44個師団
(第38師団、第39師団、第40師団、第41師団)創設。
これらも治安師団として編成された三単位師団。

第38師団 (歩228、歩229、歩230)
第39師団 (歩231、歩232、歩233)
第40師団 (歩234、歩235、歩236)
第41師団 (歩237、歩238、歩239)

三単位師団17個、四単位師団27個となります。

1939年10月

44個師団
(第114師団(9月))廃止
(第24師団)創設
第24師団(歩22、歩32、歩89)は、第11師団から歩兵第22連隊を、第8師団から歩兵32連隊を編入し、新設の歩兵第89連隊を加えて編成。
特設師団の第114師団が9月に廃止し隷下の歩兵連隊(歩66、歩102、歩115、歩150)も廃止*3
近衛師団から近歩1、近歩2が近衛混成旅団として派兵、新たに近歩5が加わり、近衛師団も三単位師団に改編。
四単位師団は4個(11D、8D、114D、GD)減り、23個。
三単位師団は4個(11D、8D、24D、GD)増え、21個。

1940年7月

48個師団
(第109師団(1939年12月)、第108師団(1940年2月)、第101師団(1940年3月)、第106師団(1940年4月))廃止
(第25師団、第28師団、第51師団、第52師団、第54師団、第55師団、第56師団、第57師団)創設

特設師団の第109師団(歩69、歩107、歩119、歩136)、第108師団(歩52、歩105、歩117、歩132)、第101師団(歩101、歩103、歩149、歩157)、第106師団(歩113、歩123、歩145、歩147)が廃止。
第25師団(歩14、歩40、歩70)は、第12師団から歩兵第14連隊を、第10師団から歩兵第40連隊を、第4師団から歩兵第70連隊を編入して編成。
第28師団(歩3、歩30、歩36)は、第1師団から歩兵第3連隊を、第2師団から歩兵第30連隊を、第9師団から歩兵第36連隊を編入して編成。
第51師団(歩66、歩102、歩115)は元第114師団隷下の歩66、歩102、歩115を復活させて配属。
第52師団(歩69、歩107、歩150)は元第109師団隷下の歩69、歩107、及び元第114師団隷下の歩150を復活させて配属。
第54師団(歩111、歩121、歩154)は新設の歩兵第111連隊、歩兵第121連隊、歩兵第154連隊で編成。
第55師団(歩112、歩143、歩144)も新設の歩兵第112連隊、歩兵第143連隊、歩兵第144連隊で編成。
第56師団(歩113、歩146、歩148)も新設の歩兵第113連隊、歩兵第146連隊、歩兵第148連隊で編成。
第57師団(歩52、歩117、歩132)は元第108師団隷下の歩52、歩117、歩132を復活させて配属。

四単位師団は10個(109D、108D、101D、106D、12D、10D、4D、1D、2D、9D)減り、13個。
三単位師団は14個(25D、28D、51D、52D、54D、55D、56D、57D、12D、10D、4D、1D、2D、9D)増え、35個。

1940年11月

49個師団
(第48師団)創設
第48師団(台湾歩1、台湾歩2、歩47)は、台湾混成旅団と第6師団から編入した歩兵第47連隊で編成。

四単位師団は1個(6D)減り、12個。
三単位師団は2個(48D、6D)増え、37個。

1941年2月

50個師団
(第29師団)創設
第29師団(歩18、歩38、歩50)は、第3師団から歩兵第18連隊を、第16師団から歩兵第38連隊を、第14師団から歩兵第50連隊を編入して編成。
第104師団から歩170が独立混成第21旅団に改編(1941年1月)され、第104師団も三単位師団に改編。

四単位師団は4個(3D、16D、14D、104D)減り、8個。
三単位師団は5個(29D、3D、16D、14D、104D)増え、42個。

1941年9月

51個師団
(第53師団)創設
第53師団(歩119、歩128、歩151)は、元第109師団隷下の歩119を復活させ、新設の歩兵第128連隊と歩兵第151連隊を加えて編成。

四単位師団は8個。
三単位師団は1個(53D)増え、43個。

1941年11月

第18師団から歩124が歩兵第35旅団に編入され、第18師団も三単位師団に改編。

四単位師団は1個(18D)減り、7個。
三単位師団は1個(18D)増え、44個。

太平洋戦争開戦まで残った四単位師団

第5師団(歩11、歩21、歩41、歩42) 1943年に歩41が第30師団へ
第7師団(歩25、歩26、歩27、歩28) 1945年2月に歩25が第88師団へ
第19師団(歩73、歩74、歩75、歩76) 1942年9月に歩74が第30師団へ
第20師団(歩77、歩78、歩79、歩80) 1942年9月に歩77が第30師団へ
第13師団(歩58、歩65、歩104、歩116) 1942年12月に歩58が第31師団へ
第110師団(歩110、歩139、歩140、歩163) 1942年5月に歩140が第71師団へ
第116師団(歩109、歩120、歩133、歩138) 1942年に歩138が歩兵第26旅団を経て第31師団へ

最初の三単位師団である第26師団は1937年9月時点で出来ていますが、本格的に三単位師団が増えるのは1939年に治安師団である三十番台師団が出来てからで、1940年に四単位師団を三単位師団に改編した際に抽出された連隊を使って別の三単位師団を創設してほぼ移行が終了する感じです。
それでも7個師団は四単位師団のままで太平洋戦争を迎えています。

*1:歩兵3個連隊で編成される師団

*2:26D、15D、17D、21D、22D、23D、27D

*3:後、復活