日本政府の日ソ共同宣言解釈を適用すれば当然の見解だと思うんですけどね。

この件。

韓国大統領「徴用工、個人には請求権」就任100日会見

毎日新聞2017年8月17日 13時10分(最終更新 8月17日 16時00分)
 【ソウル大貫智子】韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は17日午前、就任100日を迎えた記者会見を開いた。日本の植民地時代の徴用工問題について文氏は「徴用者問題も、(日韓)両国間の合意が個々人の権利を侵害することはできない」と述べ、元徴用工の個人請求権は消滅していないとの立場を初めて示した。韓国政府はこれまで徴用工問題は1965年の日韓国交正常化時に解決済みとの立場を取り、個人請求権問題への言及を避けてきた。国家間で外交的に解決した後も問題は残るとして、日本政府に善処を促す狙いがありそうだ。
 文氏は会見で、慰安婦問題は国交正常化に向けた日韓会談で議論されなかったため未解決との従来の韓国政府の認識を追認。徴用工問題についても2012年、韓国最高裁が個人請求権は消滅していないとの判決を出したことに触れ「両国間の合意にもかかわらず、強制徴用者個々人が三菱(重工業)など(徴用された)企業を訴える権利はそのまま残っているというのが判例だ」と述べた。
(略)

https://mainichi.jp/articles/20170817/k00/00e/030/206000c

ここで言ってる「日韓国交正常化時に解決済み」というのは、以下の日韓請求権協定第2条(1965年)に基づく考え方です。

[文書名] 日韓請求権並びに経済協力協定(財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定)

第二条
1 両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。

http://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/JPKR/19650622.T9J.html

確かに、国民の請求権の問題もこの協定で解決されたはずだ、という読み方はできなくもありません。

ところが日韓請求権協定締結の9年前、1956年の日ソ共同宣言第6項にも以下のような文言があります。

[文書名] 日ソ共同宣言(日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言)

ソヴィエト社会主義共和国連邦は,日本国に対し一切の賠償請求権を放棄する。
日本国及びソヴィエト社会主義共和国連邦は,千九百四十五年八月九日以来の戦争の結果として生じたそれぞれの国,その団体及び国民のそれぞれ他方の国,その団体及び国民に対するすべての請求権を,相互に,放棄する。

http://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/docs/19561019.D1J.html

こちらも国民の請求権も含めて放棄されたと読めますね。しかし、この解釈について1997年の日本政府(小渕政権)は以下のように答弁しています。

衆議院議員相沢英之君提出シベリア抑留者に関する質問に対する答弁書

二について
 日ソ共同宣言の第六項の規定による請求権の放棄については、国家自身の請求権を除けば、いわゆる外交保護権の放棄であって、日本国民が個人として有する請求権を放棄したものではない。

http://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumona.nsf/html/shitsumon/b141009.htm

国民が個人として有する請求権は放棄されていないという解釈を日本政府として示しています。
これは「強制徴用者個々人が三菱(重工業)など(徴用された)企業を訴える権利はそのまま残っている」という文大統領の発言と同じ解釈と言えます。


さらに日ソ共同宣言の5年前、1951年のサンフランシスコ平和条約にも以下のような条文があります。

[文書名] サンフランシスコ平和条約(日本国との平和条約)

 第十九条
 (a) 日本国は、戦争から生じ、又は戦争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄し、且つ、この条約の効力発生の前に日本国領域におけるいずれかの連合国の軍隊又は当局の存在、職務遂行又は行動から生じたすべての請求権を放棄する。

http://worldjpn.grips.ac.jp/documents/texts/docs/19510908.T1J.html

日ソ共同宣言第6項に対する日本政府解釈を適用すれば、個人請求権はあるということになるでしょうが、現実問題としてアメリカ政府を訴えることは制度上できなくなっているようです*1
また、2009年の東京大空襲訴訟の東京地裁判決では、そもそも個人請求権も消滅したかのような見解が示されてもいます*2

A国とB国の紛争の際にB国によって生じたA国国民の損害は誰に賠償責任があるか?

単純に言うとこういう話です。
A国政府とB国政府が互いに請求権放棄で合意した場合、A国国民の損害賠償は誰に請求するべきか?

第一の問題としては、請求権というのは権利なわけですからA国政府とB国政府が合意したら自動的にA国国民の権利を消滅させることが出来るのか、という問題があります。もちろん、自動的には消滅しませんよね(東京地裁判決は受忍論で逃げていますが)。
すると第二の問題として、A国政府とB国政府のどちらに請求するべきかという問題が生じます。ここで、個人の請求権も含めて放棄したのか否かが問題になります。個人請求権も含めて放棄したと解釈した場合、当然に自国民の請求権を放棄する決定を下したA国政府がその責任を負うべきとなります。逆に個人請求権は放棄していないと解釈する場合は、請求先はB国政府です。

日ソ共同宣言の日本政府解釈と日韓請求権協定の韓国・文政権の解釈は共に後者ということがわかりますね。
逆に前者の事例としては、アメリカの戦争請求権法(1948年)などが挙げられます*3

日本政府は個人請求権を放棄した代わりとしての戦争被害者全般に対する支援は行っていませんので、その理屈からすればむしろ今回の韓国・文政権の見解には親近感を抱くべきだと思うんですけどね。