韓国併合方針は伊藤博文暗殺以前に閣議決定されているので、伊藤暗殺によって韓国併合が決まったと言うのはデマです。

呉智英氏の「伊藤博文暗殺 不可解な三発の銃弾と安重根に協力者が存在説(11/14(火) 16:00配信 NEWS ポストセブン)」という記事についてです。

ケント・ギルバート氏のようにヘイト満タンの記事ではありませんが、最後にこんな記載があるのがいただけません。

 次に、伊藤博文の韓国観である。伊藤は日韓併合消極論者だった。もともと朝鮮民族の自立自治の能力を信頼しており、国際情勢を考慮して韓国を保護領化するにとどめるべきだと考えていた。ところが、伊藤暗殺によって併合の勢いは一気に進み、翌年には日韓併合となった。安重根の行動は逆効果だった。しかも、安重根義士説が定着した以上、真犯人追及はできなくなり、永遠に真相は葬られる。大野芳は、軍部強硬派と右翼勢力が背後にあると推測している。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171114-00000020-pseven-kr&pos=1

伊藤博文韓国併合に対して消極的で保護国化方針をとっていたのは事実ですが、それ自体は帝国主義による植民地化の表面上の形態の違いに過ぎず、それをもって韓国人から感謝されるような代物ではありません。実際、伊藤博文が韓国統監として保護国・韓国を支配していた時代(1905~1909年)、日本の支配に反対する韓国人を厳しく弾圧しています。
では日本国内では、韓国併合派と保護国派の対立があり、伊藤が暗殺されるまで日本が韓国を併合する方針に確定しなかったのか、というとそれもありません。

1909年7月6日の閣議決定とそれに至るまでの伊藤の動向

伊藤博文が暗殺される3ヶ月前の1909年7月6日、日本政府は韓国併合を断行する方針を閣議決定*1しています。これが伊藤の意向を無視して進められたのか、というとそんなこともありません。閣議決定当時、伊藤は枢密院議長(在任:1909/6/14~10/26)でしたので、伊藤が断固反対していたら韓国併合閣議決定ができたとは考えにくいところです。
また、伊藤が韓国統監だった1909年4月の時点で既に、韓国併合方針を主張する桂太郎首相と小村寿太郎外相の両名に異存ないと言明し、併合方針を是認したと言われています。その直後の伊藤の演説では韓国併合への同意を示唆し、聴衆を驚かせたという話もあります。
桂・小村との会談の後1909年6月、伊藤は韓国統監を辞職していますが、これ自体、積極・消極いずれであれ保護国方針を放棄し併合方針を受け入れたことを示唆する行動とも取れます。そして、1909年7月の閣議決定へと至ります。

「適当ノ時期ニ於テ韓国ノ併合ヲ断行スル」という閣議決定がなされた3ヵ月後の1909年10月26日、伊藤博文安重根によって暗殺されました。

日本政府の韓国併合方針は伊藤暗殺事件以前に確定していますので、「伊藤暗殺によって併合の勢いは一気に進み」という呉氏の認識は、事実として間違っていると言えます。

まあ、既に確定していた併合方針を加速させた、という意味ならわからなくもありませんが、呉氏の文脈はそうなっていませんし、下記のケント・ギルバート記事に見られるようにネトウヨ文化人は“伊藤暗殺によって韓国併合が決まった”というデマを流布してまわっていますので、こういう指摘をしておく必要性はあるでしょう。

伊藤は韓国併合に最後まで反対していたのだが、安重根が暗殺したことによって併合賛成派が優勢になり、1910年の韓国併合につながったのだ。

https://www.news-postseven.com/archives/20170614_561999.html

もちろん「伊藤は韓国併合に最後まで反対していた」というのも、「安重根が暗殺したことによって併合賛成派が優勢になり」というのもデマです。



伊藤博文暗殺 不可解な三発の銃弾と安重根に協力者が存在説

11/14(火) 16:00配信 NEWS ポストセブン
 真相が明らかになっていない事件は少なくない。当事者がすべて死亡してしまっているために資料が散逸したり、証言が残っていなかったり、政治的な思惑で隠蔽されていることもある。評論家の呉智英氏が、1909年、初代内閣総理大臣伊藤博文がハルピン駅で暗殺された事件について、真相究明が難しくなっている理由と背景を考えた。
 * * *
 先月26日、1963年のケネディ米大統領暗殺事件に関する資料が公開された。これまで非公開だったが、1992年の法律でこの日までに公開するよう定められたからである。それでも一部の資料は情報提供者の保護などの名目で未公開のままだ。アメリカの世論調査によると、国民の六割が事件には裏があると思っている。
 それも無理はない。実行犯L.オズワルドは事件直後に逮捕され、わずか二日後、移送中にJ.ルビーによって射殺された。そのルビーも三年二ヶ月後、再審請求中の獄中で病死している。この二人にはともに不審な言動があり、周辺にも怪しげな人物の影がちらつく。真相解明を求める声はまだ二十年や三十年は続くだろう。
 一国のトップが暗殺された事件は日本にもある。1909年(明治42年)、内閣総理大臣を経て韓国統監であった伊藤博文がハルピン駅頭で韓国人安重根に射殺された事件である。
 この事件は、日本の韓国併合を控えた時期に起きたものでもあり、安重根の高潔な人物像が伝えられていることもあり、何より安が韓国の国民的英雄としてソウルの安重根義士記念館に祀られていることもあって、植民地主義頭目民族主義者が狙撃した事件だと思われている。日本の愛国系の論者の中には、一国のトップの暗殺者を顕彰することは決して許されない、と批判する人もあるが、では、ヒトラースターリンの暗殺ならどうなのか、という反論が予想されるだろう。私はそういった観点ではなく、事件に疑念を持つ。
 事件の闇を詳しく探った書に大野芳『伊藤博文暗殺事件』(新潮社、2003)がある。そこでも言及されている上垣外憲一『暗殺・伊藤博文』(ちくま新書、2000)、後の研究書である伊藤之雄伊藤博文をめぐる日韓関係』(ミネルヴァ書房、2011)などを読むと、ケネディ事件以上の暗黒が背後にあるようだ。巧妙に仕組まれた謀略らしい。
 まず、事件の状況そのものがかなり不可解である。ハルピン駅頭で伊藤博文に近づいてきた安重根はピストルで伊藤を撃った。周囲にいた人たちは数発の銃声を聞いている。事件の記録や解剖の所見などによれば、伊藤の体内から三発の銃弾が見つかっている。そのうち一発は拳銃弾ではなく小銃弾であり、体内への射入角が上方からのものである。安以外の協力者がいた可能性がある。
 次に、伊藤博文の韓国観である。伊藤は日韓併合消極論者だった。もともと朝鮮民族の自立自治の能力を信頼しており、国際情勢を考慮して韓国を保護領化するにとどめるべきだと考えていた。ところが、伊藤暗殺によって併合の勢いは一気に進み、翌年には日韓併合となった。安重根の行動は逆効果だった。しかも、安重根義士説が定着した以上、真犯人追及はできなくなり、永遠に真相は葬られる。大野芳は、軍部強硬派と右翼勢力が背後にあると推測している。
●くれ・ともふさ/1946年生まれ。日本マンガ学会前会長。著書に『バカにつける薬』『つぎはぎ仏教入門』など多数。
週刊ポスト2017年11月24日号

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20171114-00000020-pseven-kr&pos=1

韓国人は安重根を「義士」扱い 暗殺が愚挙だった事実知らず

2017.06.14 16:00
儒教の呪いを肌で感じた。日本はやっぱり、この国との付き合い方を根本的に考え直さなければいけないと思う」
 著書『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』が話題のケント・ギルバート氏は、2日間の緊急ソウル取材を終えて、そう感想を語った。大統領選が終わった直後の韓国に飛んだケント氏が見たものとは──。
 * * *
 街のシンボルであるNソウルタワー(旧名/南山タワー)の近くに、「安重根義士紀念館」がある。山の中腹にある紀念館前の広場からは、市内が一望できた。心地よい風が吹き、空は青く澄んでいた。
 だが、館内に入ると、雰囲気は一変する。
〈大韓獨立〉
 おどろおどろしい字体でそう書かれた太極旗の前で、巨大な安重根像が鎮座している。
 安重根は、1909年にハルビン伊藤博文を暗殺した人物だ。館内では安重根の生涯をパネルで説明するとともに、伊藤博文にピストルを向け暗殺に成功した場面の等身大模型などが置かれていた。安重根は同志とともに「断指同盟」を結成して薬指の第一関節を切り、その血で太極旗に〈大韓獨立〉と書き染めたのだ。
パネルの説明文言を一部抜き出してみよう。
ハルビン義挙計画」「日帝の侵略は露骨化して行った」「(伊藤博文が)東洋侵略を野合するために北満州を視察するという消息が伝えられた」「義挙を決行することにした」
 このように、安重根を英雄視する言葉で溢れていた。だが彼は明らかに「テロリスト」だ。この紀念館ではまた、引率付きの高校生が多数訪れていた。
 そもそも、安重根は日本の皇室に敬意を払っていた人物だった。彼の大いなる誤解は、伊藤が明治天皇の意向を無視して韓国併合を推進する「逆臣」だと考えていたことだ。伊藤は韓国併合に最後まで反対していたのだが、安重根が暗殺したことによって併合賛成派が優勢になり、1910年の韓国併合につながったのだ。
 安重根を「義士」として美化する韓国人は、暗殺が「義挙」どころか「愚挙」だった事実を知らないのだろう。ここからも、歴史を自分たちに都合よく解釈して日本を貶めようとする「儒教の呪い」が見て取れる。
 2日間のソウル取材で多くの韓国人と接し、前述した以外にも青瓦台周辺などを歩いて感じたのは、一般民衆は「落ち着いている」ということだった。
「歴史館」などを別にすれば、街中で反日ムードが高まっているという印象はなく、文在寅新大統領へ求める政策も「反日」より「経済」だという人が圧倒的だ。おそらく、朴槿恵退陣を求めた国民的デモとその後の政治空白に疲弊し、新大統領が決まってホッとしているというところではないか。
 ただし、油断はできない。反日的な教育は今も続いており、経済政策に失敗すれば民衆の不満の矛先は必ず日本に向くはずだ。日本は、「面倒な隣国」の機嫌を取る必要はない。淡々と、事務的に付き合っていけばいいと思う。
【PROFILE】1952年、アイダホ州生まれ。1971年、初来日。カリフォルニア州弁護士。1983年、テレビ番組「世界まるごとHOWマッチ」にレギュラー出演し、人気に。近著に『儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇』『日本人は「国際感覚」なんてゴミ箱へ捨てろ!』がある。
※SAPIO2017年7月号

https://www.news-postseven.com/archives/20170614_561999.html

*1:韓国併合100年/歴史認識共有なぜ必要か/崩れた「合法的植民地」論http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp/dspace/bitstream/10069/15410/1/kyoyoJ38_01_03_t.pdf 「対韓政策確定ノ件 第1、適当ノ時期二於テ韓国ノ併合ヲ断行スル事 韓国ヲ併合シ之ヲ帝国版図ノ一部トナス-半島二於ケル我実力ヲ確立スル為最確実ナル方法クリ帝国力内外ノ形勢二照ラシ適当ノ時期二於テ断然併合ヲ実行シ半島ヲ名実共二我統治ノ下二置キ且韓国卜諸外国トノ条約関係ヲ消滅セシムル-帝国百年ノ長計ナリトス」