死刑容認派が「「差別をなくす」ということは「差別者を排除する」ということではなくて、「差別する人を差別しない人に変える」ということ」などと主張しても説得力が無いと思う

こんなツイート。

モトケン‏ @motoken_tw
「差別をなくす」ということは「差別者を排除する」ということではなくて、「差別する人を差別しない人に変える」ということなんだけど、すぐ排除したがる人が多いね。それは差別者差別。差別者を排除しようとする人は、差別以外の理由でも自分の気に入らない人を排除しようとする。
16:54 - 2018年6月7日

https://twitter.com/motoken_tw/status/1004874297339412480

「「差別をなくす」ということは「差別者を排除する」ということではなくて、「差別する人を差別しない人に変える」ということ」という点については同感。同様に「犯罪をなくす」ということは「犯罪者を排除する」ということではなくて、「犯罪を犯す人を犯罪を犯さない人に変える」ということだと考えていて、それ故に、私は死刑に反対です。

ただ、モトケン‏(@motoken_tw)氏は、死刑容認派ですので、その氏がこのような発言をすることにはすごく違和感があります。

モトケン‏@motoken_tw
死刑制度というのは、他人の命を奪えば自分の命も奪われる、つまり他人の命は自分の命と同じく大事だ、という価値観の表明と見ることもできる。
16:50 - 2016年10月3日

https://twitter.com/motoken_tw/status/783091968196870144

このようなツイートをするモトケン氏ならば、“差別者を排除するというのは、他者を差別すれば自分も差別される、つまり他人の尊厳は自分の尊厳と同じく大事だ、という価値観の表明と見ることもできる”と擁護すべきでしょうにね。

私自身の考え

冒頭のツイートは杉田水脈氏の件を指してのものだと思いますので、その前提で。

繰り返しになりますが、私自身は「犯罪をなくす」ということは「犯罪者を排除する」ということではなくて、「犯罪を犯す人を犯罪を犯さない人に変える」ということだと考えています。
だからこそ「犯罪を犯す人を犯罪を犯さない人に変える」機会を奪う死刑制度には反対なわけですが、言うまでも無く「犯罪を犯す人」に対して罰を与えることまで否定しているわけではありません。懲役という形などで一定期間社会から隔離して「犯罪を犯す人を犯罪を犯さない人に変える」ように更生を促すことは必要だと考えています。
それはつまり、犯罪者のそれまでの社会的地位などが(少なくとも一定期間)失われることを意味しますが、それを排除だと言って問題視する人はモトケン氏を含めてもまずいないでしょう(自由刑そのものを否定するようなものですからね)。

差別発言を行った杉田水脈氏に対して議員辞職を迫るのも、犯した道義的罪過にふさわしい道義的責任を問うてるに過ぎず、これを「差別者を排除する」とか表現するのは的外れもいいところです。
ついでに言えば、表現の自由という擁護も的外れで、杉田氏による問題の差別煽動発言が国会議員としてふさわしいかどうかを有権者として考えるという話に過ぎず、私としては当然ふさわしくない発言で、撤回しないのならば議員辞職を迫るべきだと考えています*1
仮に、同様の発言を自民党以外の議員から出ても同じことで、これに党派性を見出す人は当人こそが党派性にとらわれていると自覚すべきでしょう。

大の大人にいちいち説明するような話でもありませんが、今の日本には大人がほとんどいないようですので、一応言っておきます。



*1:そもそも杉田氏は国会議員の身分に関係なく、差別メディアである産経新聞での連載など表現の場が一般人以上に与えられていましたしね。