婚活を優生思想呼ばわりするおかしな主張

御田寺圭氏の「「差別は許さないが、優生思想は見逃す」リベラル社会の矛盾(3/28(木) 13:00配信 現代ビジネス)」なる記事について。

まあ本来、アホか、の一言で済むような記事なんですけどね。

御田寺氏は、受精卵にゲノム編集することと出生前診断を受けた上での中絶と精子バンクによる選別を一緒くたに優生思想扱いした上で、「リベラル社会の矛盾」だと決め付けているわけですが、その時点で雑としか言いようがありません。

 「直接的に遺伝子をいじったり、特定の遺伝子をハネたりするのはNGだが、優れた遺伝子を持つ(と期待される)人との間で子孫をつくりたいと考えるのは自由」という区別の論理には、危うさを感じずにはいられない。前者(遺伝子編集など)は優生思想だが、後者(精子バンク)は優生思想ではない――こうした考えに明白な区別が可能なのだろうか。
 個人的にはかなり疑問に思うところだが、後者の自由(すぐれた人とパートナーになったり、あるいはその精子を得て子孫を残したいと願う「幸福の追求」)は非難されるどころか、むしろ「政治的ただしさ」の庇護のもとで、今後ますます勢いづくかもしれない。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190328-00063589-gendaibiz-bus_all

受精卵と精子の段階では全く違いますね。

だいたい不妊治療においては運動の良好な精子を選別*1しているわけですが、それを差別だとか優生思想だとか指摘している人なんていますか?いや探せばいるかもしれませんけど、御田寺氏は不妊治療については思いつきもしなかったんでしょうから少なくとも御田寺氏はそう思っていないんでしょう。

まして、不妊治療での精子選別以前の、誰の精子を選ぶかという段階で女性側が選択することのどこが問題なんでしょうかね?

いや、精子バンクの問題として、例えば生まれた子どもが実の父親を知る権利はどう守られるのか、とかそういった観点なら理解はできますが、「優生思想」呼ばわりは頭おかしいとしかいえません。
ちなみに、受精卵にゲノム編集することは子どもの命に関わる疾患を予防するなどの事情がない限り*2、親の好みで子どもの遺伝子を操作することは子どもの自己決定権を侵害すると考えますし、出生前診断を受けた上での中絶も出生後にその子を育てられないとする相当の理由がない限りはやはり子どもの権利を侵害するもので、いずれも優生思想につながるものといわざるを得ないところです。もっとも後者については、どこまでを相当の理由とするか等議論の余地がありますが。


さらに話が精子バンクから婚活にまで広がるともう意味不明です。

 もっともそれは精子バンクのような特殊事例だけではない。たとえば「婚活」の場面などで、年収や取得している資格や容姿や家族構成などで相手を選別する行為も、大なり小なり同じ延長線上にある。
 いまでこそ、医療やアカデミズムの領域では、関係者がプロとして高い人権意識や倫理観を維持することで、ネガティブな優生思想を遠ざけているのかもしれない。だが一方で、すでに市民社会レベルでは「誰しもすぐれた人間とのあいだに子どもをもうけたい」という「ポジティブな優生思想」が、自由の名の下で着実に浸透しているのではないだろうか。
 この「ポジティブな優生思想」は結局のところ、劣った男性の子孫を排除するという性淘汰と表裏一体である。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190328-00063589-gendaibiz-bus_all

婚活において女性が男性を「年収や取得している資格や容姿や家族構成などで相手を選別する行為」を「ポジティブな優生思想」だと言っているわけですが、これほど馬鹿げた話はありません。
個々人が自らのパートナーにどんな人物を選ぶかなどは極めて私的な領域であって誰かに指図されるものであってはなりません。それは男女ともにです。むしろ、外部から“あなたはこういう人をパートナーに選ぶべきだ”と圧力をかけることこそ優生思想というべきでしょう。

そもそも女性が男性を「年収や取得している資格や容姿や家族構成などで相手を選別する行為」は、男性が女性を年齢や家事の能力や容姿や家族構成などで選別する行為とどう違うんでしょうかね?

 男性が必ずしも求められなくなった社会において、それでも女性が男性をあえて選ぶのだとしたら、いわゆる「ハイスペック・エリート」と呼ばれるような社会的・経済的に上位の男性や、あるいは前述したような「遺伝的に優秀な男性の精子」に人気が集中するのは想像に難くない。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190328-00063589-gendaibiz-bus_all

と批判的に述べていますが、同じく男性も女性パートナーがいなくとも代理母などの協力で子どもが得られるようになるでしょうから、男性のみが選別されるわけではありません。
男女問わず、裕福な者はパートナーを選別したりパートナーなしで子どもを得ることができる社会になる一方で、貧しい者にはパートナーを選ぶ余裕が無い今まで通りの社会が続くというだけです。
それを「男性が「選別される」時代の到来」ととらえる時点で認識が歪んでいます。

そもそもの話

“きもくてカネのないおっさん”は割と深刻な問題だとは思っていますが*3、御田寺氏のような論説は的外れすぎです。

そもそも、女性が男性を「年収や取得している資格や容姿や家族構成などで相手を選別する行為」を嘆く男性は、そもそも女性を選別していないんですか、と。
婚活市場において、確かに女性は男性を年収や容姿で選んでいるでしょうが、同様に男性も女性を年齢や容姿で選んでいますよね?
つまり、男性こそがまず、年収や容姿で選別せずに自分を選んでほしい、ただし、自分の好みにあった年齢・容姿の女性に限る、という御田寺風にいうところの「ポジティブ優生思想」で選別しているわけですから、バカバカしいことこの上ない話です。



*1:https://www.jst.go.jp/pr/announce/20180320/index.htmlhttps://www.denentoshi-lady.com/ivf/flow_03.html

*2:http://www.sciencemag.jp/breakthrough/2018/gene-editing

*3:これ、単純なミソジニーとして扱うと見誤ると思っていて、確かに現時点において救済が必要なほどの貧困ではないにしても、人生の目的を見出せず、将来的な展望も暗い状況の男性貧困予備軍というのはかなりの規模で存在していると思われます。そしてミソジニー的発言をしているのは、その中でもごく一部であって、ミソジニー批判に際して発言していない人まで含めて侮辱するような言説は避けるべきだと思います。また、同様な状況の女性、いわば“きもくてカネのないおばさん”もかなり深刻な問題と思われます。