性暴力事件に関する2019年3月の4つの無罪判決と1つの有罪判決について

以下の無罪判決4つ。

2019年3月、性犯罪事件について、立て続けに4つの無罪判決があった。

福岡地裁久留米支部判決(3月12日/準強制性交=無罪)*1
静岡地裁浜松支部(3月19日/強制性交致傷=無罪)*2
静岡地裁判決(3月28日/強制性交、児童買春・児童ポルノ禁止法違反のうち、強制性交につき無罪、後者につき罰金10万円)*3
名古屋地裁岡崎支部判決(3月26日/準強制性交=無罪)※報道は4月5日*4

https://note.mu/hechimasokosoko/n/nf3c2a5513255

これらの無罪判決に関する報道をきっかけに司法に対する批判が行われました。
判決に対して、その判決が導き出されたロジックや証拠採用の妥当性を批判するのであれば、賛否はともかく批判の仕方としては適切であったろうとは思いますけどね。このうち判決が公表されているのは、名古屋地裁岡崎支部の2019年3月26日判決だけかと思います。
あるいはこれらの事件が公判中から注目されていて、大方の事実関係について報道を通じて熟知しているとかなら、判決そのものを見なくてもある程度の意見は言えるでしょう*5

さて、上記の判決に対してなしうる批判としては次の2種類でしょうか。

1 “裁判官が偏向しているから有罪になるべき事件が無罪になった。→裁判官を批判”
2 “有罪になるべき事件だが法律の要件を満たさないので無罪になった。→刑法の不備を批判”

今回の無罪判決批判で気になったのは、1のパターンですね。
はっきりいって初期報道だけでは、裁判官が偏向していたから無罪になったという判断はおろか、そもそも有罪になるべき事件だったのかすら判断が難しかった、というよりほぼ不可能だったはずです。

2のパターンでの批判であれば同意できるところも多いんですけどね。
何度か言及していますが、個人的には監護者性交罪の年齢要件の撤廃と不同意性交の処罰化は必要であろうと思っています*6。ただ、その方向で刑法改正されたとしても、同意の有無や任意性については裁判で争われるでしょうし、その結果、同意が無かったとはいえないとか同意を得たと誤信しうる状況にあったとして無罪になる可能性はあるでしょうけどね。
それはさておき。

2のパターンの無罪判決批判でもおかしなものは見受けられました。これらが有罪にならないのは現行刑法が不備だからだという主張です。しかし、名古屋地裁岡崎支部の2019年3月26日判決の事件では「被告人は、被害者A(実娘)が中学2年生の頃からAに対して性交等を行うようになり、それはAが高校を卒業するまでの間、週に1~2回の頻度で行われていた。」*7という事実認定がされています。

父親が中学2年生の娘と性交したという事実がある場合、現行刑法179条1項の監護者性交罪に問われます。名古屋地裁岡崎支部の2019年3月26日判決が無罪になったのは、監護者性交罪が新設・施行された2017年の時点で被害者が19歳であり、現行刑法の監護者性交罪が適用される18歳未満の条件を満たさず、被害者が18歳未満の時に受けていた被害に対しては、2017年施行の刑法を遡及適用することができないため、監護者性交罪で訴えることが出来なかったことによります。
ですから、岡崎の事件と同様の被害を監護者から現に受けている18歳未満の被害者(あるいは2017年以降の18歳未満であったときに被害を受けた被害者)がいる場合、それは現行刑法で有罪にできます。

例えば無罪判決批判の記事としてこんなものがありました。

父の性暴力、家族のために沈黙する娘「抵抗なんて無理」

中塚久美子 2019年5月5日10時40分
 父親から娘への性暴力をめぐる裁判で、無罪判決が続いている。「抵抗が著しく困難だったとは言えない」などの理由だ。被害経験がある女性らは、「親子の力関係は対等じゃない。怖くて抵抗なんかできるわけない」。実態と、司法の判断のギャップに打ちひしがれている。
 大阪府内の女性(19)は、「抵抗できる」ことを前提にした判決にショックを受けた。「抵抗したらいいって言うけど、そんなの無理。分かってほしい」
 小学2年の時だった。休日、昼寝中に義父から性暴力を受けた。「静かにしろ」。怖くて指示に従うしかなかった。「トイレに行きたいと、その場を離れるのが精いっぱいの勇気だった」
 トイレから出て、居間にいた母に泣きながら打ち明けた。味方になってもらえず、「3人の秘密だ」と口止めされた。
 その後、妹や姉も義父に「(体を)触られた」と口にしたことはあったが、詳しく聞けなかった。姉が義父に反抗するとハンガーで殴られ、真冬に家から閉め出されるのを見た。自分は率先して食器を洗うなど、親を怒らせないよう常に機嫌をうかがった。義父にされたことを話せば、家族がバラバラになると思って沈黙を守った。
 高校生になり、中学時代の担任と話す機会があった。妹が、義父に殴られるなど虐待を受けていることを相談する中で、自らの被害も明かした。児童相談所に通報され、保護施設に入った。学校や家庭での日常を失い、生きる意味が分からなくなって薬を大量に飲んだ。入院し、単位が足りなくなって高校を中退した。現在は家族と離れて暮らす。
(略)

https://www.asahi.com/articles/ASM4N7R9HM4NPTFC00C.html

冒頭無料部分に記載された被害は深刻なものですが、刑法上の要件から言えば、小学2年の時に受けた被害については、明らかに13歳未満ですから現行刑法176条や177条で暴行・脅迫が無くとも有罪にできる事件です。
被害者が13歳未満であれば抵抗の有無は関係ありませんから、「「抵抗できる」ことを前提にした判決にショックを受けた」という記載は誤解を招く恐れがあり、新聞記事として不適切であろうと思います。
また、13歳以上になってからの被害についても監護者からの加害であれば、抵抗の有無に関係なく刑法179条の監護者性交罪が適用できます。
なお、この朝日新聞記事ですが、有料部分も含め、監護者性交罪に関する言及は一切ありません。

現に監護者からの性的虐待に抵抗できず苦しむ18歳未満の被害者がこの朝日記事を読んだ場合、自分の受けている被害は法的に罪に問うことはできないと誤解する恐れがあり、非常に不適切だと言えます。
2017年以降かつ18歳未満の時に監護者から性交を強いられた被害者に、抵抗の有無に関係なく加害者を監護者性交罪に問うことができると伝えるのがメディアの役目ではないですかね。
その上で、現行の監護者性交罪には年齢要件があるため、18歳以上で監護者から性交を強いられている被害者*8は、暴行や脅迫、抗拒不能が立証されない限り加害者を罪に問うことが出来ないので、その点の刑法改正が必要だと訴えるべきでしょう。

ちなみに、2019年3月28日の静岡地裁判決の事件では、そもそも性交の事実が否定されていますので、刑法の要件とは関係がありません。その事実認定が正しいのかどうかという批判は可能ですが、それこそ判決や証拠などを調べないと何とも判断できないでしょう。

「10人の真犯人を逃すとも、1人の無辜を罰するなかれ」という法格言は、刑事手続において最も重視されなければならない言葉です。

https://www.nichibenren.or.jp/activity/criminal/deathpenalty/q12.html

この法格言*9を踏まえても尚、性交の事実があったといえるだけの証拠があったのか、そこが重要です。
なお、もし本件での性交が事実であったなら、被害者の年齢は12歳でしたから、監護者性交罪以前に暴行・脅迫要件を不要とする13歳未満に対する強姦に該当します。要するに事実であれば、現行刑法で十分処罰できる事件です。


さて、改めて4つの無罪判決を見てみると、なすべき批判としては、まず「① 福岡地裁久留米支部判決(3月12日/準強制性交=無罪)」と「② 静岡地裁浜松支部(3月19日/強制性交致傷=無罪)」については、いずれも拒絶していないと誤信する状況が問題でしたから、不同意性交を処罰できるように刑法改正すれば良いということになります。
「④ 名古屋地裁岡崎支部判決(3月26日/準強制性交=無罪)」については、監護者性交罪の年齢要件を見直すことで対応できるでしょう。
「③ 静岡地裁判決(3月28日/強制性交、児童買春・児童ポルノ禁止法違反のうち、強制性交につき無罪、後者につき罰金10万円)」については、刑法改正でどうにかできる問題じゃなく、批判するにしても詳細が不明で何ともいえません。

最後に別の事件を紹介します。

娘から性的虐待を告発された父が拘置所で病死、夫の無実を信じる妻の独白(5/29(水) 5:00配信 )」

2018年4月10日に、14歳の娘が父親に性的虐待されたと教師に訴え、即日児童相談所に保護され、5月2日に父親が監護者わいせつ罪で起訴された事件です。母親や兄弟など家族全員が否定したものの娘の証言が採用され、2019年3月29日に静岡地裁浜松支部で懲役9年の実刑判決が下されています。
判決以外は2019年3月28日の静岡地裁判決の事件と似たような構成です。

父親は控訴しましたがその準備中の2019年4月27日、拘置所内で急性心疾患により亡くなり、被告人死亡による公訴棄却とされました。

この事件も“藪の中”の一つです。
被害者である娘の証言が正しく、父親は娘に対して性的虐待を行っており、母親や2人の兄弟はその事実を知りながら口裏を合わせて否定したのか、あるいは実際に気づかなかったのかも知れません。
しかし、被害者の証言が誤っていたり誘導されたりしたもので、実際には性的虐待の事実は無かったかもしれません。

この記事だけで事実がどうだったかを判定することは出来ません。むしろ巻き込まれた家族の側の視点で書かれている分、冤罪だという認識を抱くことの方が多いでしょう。
同様に、2019年3月28日の静岡地裁判決の事件に関する報道記事だけで事実がどうだったかを判断することもできません。そしてその報道は無罪判決を批判する視点で書かれている分、不当判決だという認識を抱くことの方が多いでしょう。

もし、上記の容疑者である父親が拘置所で病死した事件について冤罪かも知れないと思えるのであれば、今回の無罪判決批判が同じような冤罪判決を増やす恐れがあることに想像をめぐらしてほしいものです。
性暴力被害者に寄り添い被害者証言を信じることは確かに重要なことです。しかし、もし冤罪だった場合、冤罪被害者にはどれほどの被害が生じるのか、性暴力被害当事者にはそれを考える余裕も義務も無いでしょうが、新聞記事程度の情報だけで事件を知った人たちにはそれを知っておいてほしいと思います。



*1:詳細は、https://note.mu/hechimasokosoko/n/nb21bc07eb6b8?magazine_key=mc875a594d4a3

*2:詳細は、https://note.mu/hechimasokosoko/n/n193a10c27071

*3:詳細は、https://note.mu/hechimasokosoko/n/n43ee78b62097

*4:判決内容は、http://okumuraosaka.hatenadiary.jp/entry/2019/05/09/071729

*5:それでも報道が偏っている可能性は否定できないのですが

*6:一部の粘着バカには、これでもミソジニー呼ばわりされるんですけどね。

*7:https://news.yahoo.co.jp/byline/sonodahisashi/20190515-00126022/

*8:特に2017年以前から継続的に性的虐待を受け続け抵抗の気力を失っている被害者の場合、刑法改正の陥穽に落ち込み救済されていないという不公平があります。

*9:冤罪問題などに一家言ある人でさえ、性犯罪やDV・虐待事案になるとこの原則を忘れ去ってしまうことがあるんですよね。