2018年10月30日大法院判決に「文大統領の意思も見え隠れ」してるのか?

ジャーナリストと称する安積明子氏によるこんな記事があります。
「徴用工の勝訴」は用意周到に準備されていた 判決の背後には文大統領の意思も見え隠れ

2018年10月31日9:50付けで出ていますので判決から半日程度で書かれたものですが、実際には2018年10月30日に判決が出ること、被告企業が敗訴するであろうことを事前に知っていて準備された記事と思われます。
被告企業はもちろん、日本政府も2018年10月30日に判決が出ること、被告企業が敗訴するであろうことは当然知っていたはずで、判決を機に嫌韓報道を煽ろうと画策することは可能でしたから、日本政府が主要メディアや政府寄りのジャーナリストに煽動記事を書かせるのも難しくはなかったでしょう。
安積氏がどうかまではわかりませんが。

記事の内容は、文大統領が実質的に司法に介入して徴用工勝訴の判決を出させたかのように誘導するもので、答え先にありきのこじつけになっています。

2018年10月の大法院判決は、2012年5月の大法院判断と同じ論理のため、そこに文大統領の影響を見出そうとすること自体に無理があります。
安積氏はそこを何とかこじつけようと、以下の理屈をひねり出しています。

なぜ司法の判断が変わったのか

なぜ2012年の大法院の判決以降に司法の判断が変わったのだろうか。それは2011年に憲法裁判所が慰安婦問題について、「韓国政府が日本政府と交渉しないのは人権侵害で違憲」と判断したことがきっかけになっているのではないだろうか。
実際、この少し前から、アメリカなどで韓国の民間団体による慰安婦の像や碑の建設が相次ぎ、反日感情が高まっていた。それに乗じて支持率を回復しようとしたのが、実兄が斡旋収賄で逮捕されたり土地不正購入疑惑が発覚したり、とスキャンダルに悩んでいた李明博大統領(当時)だ。
李大統領は2011年12月の日韓首脳会議で野田佳彦首相(当時)に慰安婦問題の解決を迫り、2012年8月には大統領として初めて竹島に上陸した。ちなみに李大統領の竹島上陸をきっかけに、政府関係者の竹島上陸は今日まで続き、10月22日には13名の超党派の国会議員が行政監察のために上陸している。
こうした政治背景の中で、出たのが2012年5月の大法院判決である。韓国の司法は政治の影響を受けることが多いとされる。今年10月27日に韓国検察が林鍾憲前法院行政処次長を逮捕したのは、大法院が朴槿恵政権の意向を汲んで徴用工の民事訴訟の進行を遅らせた容疑があったためだ。実際にその3日後の10月30日まで、5年以上にわたって大法院の判決は出されていなかった。
政権の影響を受けやすいという事情をよく認識し、しかもその影響力を積極的に行使しているのが、現在の文在寅大統領かもしれない。文大統領は2017年9月に金命洙前春川地方裁判所長を大法院長に任命したが、大法院判事を経験したことのない裁判官を長官に抜擢するのは前例がないことだった。
しかも人事聴聞会の報告書には、反日反米の裁判官の集団である「ウリ法研究会」の会長を務めた金氏の政治的信条から「司法の中立性」について疑問視する意見も付されていた。

https://toyokeizai.net/articles/-/246541?page=2

2012年5月当時は李明博政権でしたが、安積氏は何の根拠もなく、2012年5月の大法院判断が政権の影響を受けたかのように印象操作しています。根拠と言えそうなのは、朴槿恵政権時代に大法院が「朴槿恵政権の意向を汲んで徴用工の民事訴訟の進行を遅らせた容疑があった」という記述で、それだけで「韓国の司法は政治の影響を受けることが多いとされる」と決め付け、李政権でも文政権でもそうに違いないと大幅に飛躍した発想でこじつけています。
そもそも、朴政権で大法院が「朴槿恵政権の意向を汲んで徴用工の民事訴訟の進行を遅らせた」ことについては、まさに訴追の対象になっているわけで、それを根拠として使う神経はちょっと理解できません。

「「韓国政府もそのように望んでいる」と述べた」?

そして、記事タイトルの「判決の背後には文大統領の意思も見え隠れ」の根拠らしい部分で、こんなことを書いています。

さらに文大統領は金氏を指名した2017年8月の記者会見で、2012年の大法院の判決を引用しつつ「韓国政府もそのように望んでいる」と述べた。

https://toyokeizai.net/articles/-/246541?page=3

普通に読めば、文大統領が大法院長を指名するにあたって、現在進行している訴訟に関連する2012年5月の大法院判断を引用して「韓国政府もそのように望んでいる」と述べたのであれば、司法に対してそのような判決を出すように介入したと解釈できる部分です。

ですが、これは、ほぼ100%間違いです。

金命洙氏の指名はその後議会に承認されるまで1ヵ月ほどかかっています。野党が抵抗したからですが、指名の際にそのような司法介入とも取れる発言をしていたら、それだけで問題になったでしょう。

どうも実際にはこう発言したようです。

韓国最高裁長官に人権派の金命洙氏 徴用工裁判へ影響も

人事案承認、政権は安堵
2017/9/21 23:33
(略)
金氏を指名した文大統領は8月の記者会見で、最高裁の判断を引用し「韓国政府もそのような立場で臨んでいる」と発言。日本との間で徴用工問題は解決済み、との歴代政権の認識を覆した。その後の安倍晋三首相との電話で「国家間では解決済みという、これまでの韓国政府と同じ立場だ」と述べ、問題の沈静化に動いたが、最高裁の判断を尊重する姿勢は崩していない。
(略)

https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM21H4M_R20C17A9FF1000/

「韓国政府もそのような立場で臨んでいる」です。
安積氏の言うような「韓国政府もそのように望んでいる」ではありません。
最高裁の判断を引用し「韓国政府もそのような立場で臨んでいる」と発言」であれば、単に政府は司法判断を尊重するという意に過ぎず、司法介入と解する余地はありません。

安積氏は、2017年9月の日経報道では「韓国政府もそのような立場で臨んでいる」と報じられていた内容を何故か「韓国政府もそのように望んでいる」という記述に改竄しています。
まあ、何故かも何も、そこまで改竄しないと、大法院判決に文政権の意思をこじつけることが出来なかったからでしょうけど。

「故盧武鉉元大統領は2005年、「徴用工問題は日韓請求権協定に含まれ、韓国政府が賠償を含めた責任を持つべきだ」という政府見解をまとめている」

安積記事には、こういう記載もあります。

なお文大統領の“政治的師匠”である故盧武鉉元大統領は2005年、「徴用工問題は日韓請求権協定に含まれ、韓国政府が賠償を含めた責任を持つべきだ」という政府見解をまとめている。盧大統領の側近として2004年から大統領府に勤務していた文大統領が、それを知らないはずはない。

https://toyokeizai.net/articles/-/246541?page=3

これも嘘ですね。
盧武鉉政権の政府見解というのは、要するに2005年8月26日付けで発表された民官共同委員会見解のことでしょうが、この日本語訳は日弁連で公開されています*1
国務調整室 報道資料 仮訳

この日の委員会では、この間、民官共同委法理分科において会談文書の内容等をもとにして検討してきた韓日請求権協定の法的効力範囲等について論議し、次のように整理した。
○韓日請求権協定は基本的に日本の植民地支配賠償を請求するためのものではなく、サンフランシスコ条約第4条に基づく韓日両国間の財政的・民事的債権債務関係を解決するためのものであった。
○日本軍慰安婦問題等、日本政府・軍・国家権力が関与した反人道的不法行為については、請求権協定により解決されたとみることはできず、日本政府の法的責任が残っている。

  • サハリン同胞、原爆被害者問題も韓日請求権協定の対象に含まれていない。
https://www.nichibenren.or.jp/library/ja/kokusai/humanrights_library/sengohosho/sonota_01.pdf

その上で「政府は受領した無償資金中相当金額を強制動員被害者の救済に使用すべき道義的責任があると判断される」と記載されていますが、安積記事のように「韓国政府が賠償を含めた責任を持つべきだ」などという記載はどこにもありません。
これも安積氏による改竄あるいは捏造と見ていいでしょうね。

2018年10月30日大法院判決当時の大法官

韓国の大法官定員は14名です。
2018年10月30日の判決文にはそのうち13名が名を連ねています。外れているのは安哲相大法官ですが、安哲相大法官は文政権による任命です。
2018年10月30日大法院判決には、4人の大法官が個別意見をつけ、2人の大法官が反対意見をつけています。

反対意見をつけた1人である権純一大法官は朴政権での任命ですが、もう1人の趙載淵大法官は文政権での任命です。
覊束力に関する個別意見をつけた李起宅大法官は朴政権での任命で、損害賠償が請求権協定の範囲内であるという個別意見をつけた3人のうちの1人である金昭英大法官は李政権での任命ですが、残る2人である李東遠大法官と盧貞姫大法官は文政権での任命です。
文政権で任命された大法官が全て賛成したわけでも、反対した大法官が李・朴政権で任命された大法官ばかりでもありません。
多数意見を支持する補充意見を書いた2人のうちの1人である金哉衡大法官は朴政権での任命で、もう1人の金善洙大法官は文政権での任命です。
このように任命した政権によって賛否が分かれたわけでもありません。

この点からも大法院判決に文大統領の意思を見出すのは困難ですね。