紙屋高雪氏の韓国教科書に関する記事についてちょっとした補足のようなこと

紙屋高雪 (id:kamiyakenkyujo) 氏が、韓国の教科書に関する記事を書いていました。

『まんが朝鮮の歴史』『韓国の小学校歴史教科書』 - 紙屋研究所
『まんが朝鮮の歴史』を読み終えて - 紙屋研究所
『韓国の小学校歴史教科書』を読了してぼんやり思うこと - 紙屋研究所

ご存知なのかも知れませんが特段言及されていないようでしたので、ちょこっと付け加えておきたいと思います。

この部分。

 『まんが朝鮮の歴史』の方は、苦しめられる朝鮮の庶民の生活がこれでもかと描かれているのだが、教科書の方は「これは……?」と思うほどに植民地支配被害の具体的叙述が少ない。いや、もちろんあるよ。あるけど、抵抗の動きと比較してみるとホント少ないんだわ。これは副読本『社会科探求』の方も同じ、というかいっそう顕著。
(略)
 『まんが朝鮮の歴史』は1992年ごろの教科書をもとにしている。これに対して、『韓国の小学校歴史教科書』は2005年である。この十数年の間に、韓国政府の国定教科書に対する方針転換が起きたのだろうと考えるのが自然だ。
 なんか、被害に苦しむ弱々しい存在じゃなくて、こう、抵抗し、自国文化に誇りを持ったエネルギッシュな民族、みたいな。そういう描き方。

https://kamiyakenkyujo.hatenablog.com/entry/2019/10/08/235738

「1992年ごろの教科書をもとに」した『まんが朝鮮の歴史』には「苦しめられる朝鮮の庶民の生活」の記載が多いのに対して、2005年の『韓国の小学校歴史教科書』では「抵抗し、自国文化に誇りを持ったエネルギッシュな民族」といった記載になっているという指摘です。

私自身は現物を確認したわけではありませんので、時代背景に基づく推測となります。念のため。
1992年ごろは保守派の盧泰愚(노태우 )政権で、2005年は進歩派の盧武鉉(노무현)政権です。

すっごく大雑把に言うと、韓国の保守派は植民地時代に日本の支配に協力して利益を得、独立後は米国に協力し軍事政権を維持し日韓国交正常化後は日本との協力関係をも深めてきた勢力です。
そのため、韓国保守派にとっては植民地時代に日本に協力していたというのが市民の心象を悪くするウィークポイントなわけです。

それを正当化するロジックが、“日本による支配があまりにも苛酷だったため、抵抗することもできず、やむなく協力した”というものです。
日本に協力したけれど、そうするかない時代だった、と言う論理です。
「1992年ごろの教科書をもとに」した『まんが朝鮮の歴史』に「苦しめられる朝鮮の庶民の生活」の記載が多いのは、おそらくそういう意図があるかと思います。

この保守派の自己正当化に対する反論として、“いかに苛酷な支配であっても抵抗した人たちがいた”という韓国進歩派の主張が対置されます。そのため、進歩派政権では「抵抗し、自国文化に誇りを持ったエネルギッシュな民族」といった記載が増える傾向があるのだと思われます。


国保守派には(1)植民地支配の苛酷さを強調する、(2)軍事政権時代の圧政を軽視する傾向があり、韓国進歩派には(1)植民地時代の抵抗を強調する、(2)軍事政権時代の圧政を強調する傾向があるという性質を踏まえて、こういった教科書の類を読むと、色々と理解しやすいのではないでしょうか。

日本の場合と比較すると

韓国は国定教科書であり、日本は検定教科書ですので、日本のほうがある程度自由度を有していると言えます。
一方で、保守派政権と進歩派政権がそれなりに政権交代してきた韓国では時の政権による記載傾向の違いが生じますが、政権交代がほぼ皆無の日本では記載傾向はほぼ自民党政権の意向に沿った方向性で一貫しています。
政権交代がほぼ皆無の日本で教科書が自民党の思想傾向に大きく傾かなかった理由としては、家永教科書裁判に見られるような市民団体による監視と批判がそれなりに機能し政府の検定方針の偏向化をある程度抑止していたからでしょう。
もっとも、そのような市民団体の監視能力は既に大きく弱体化していますので、これからはそのような歯止めのない中で、検定官は“どこまでなら市民の反発を生じさせずにできるか”を探りつつ、自民党の思想方向に沿った検定を進めていくでしょうね。

実際、2015年には既に「「従軍慰安婦の強制連行」を削除したんじゃなくて「労務動員の強制連行」を削除したということの重要性」に書いたように、慰安婦どころか労務動員の強制連行まで教科書から消されつつありますからねぇ。

ちなみに

檀君神話に対する韓国国内のとらえ方も色々複雑で面白いんですよね。

朝鮮建国の神話であることから植民地時代には独立運動での象徴的な意味で好意的にとらえられており、進歩派も檀君神話には好意的です。保守派にとっても檀君神話そのものにはイデオロギー的に対立しないので保守派政権下では、檀君神話を含む古代史の記述を増やして近現代史を減らそうという動きもあったようです*1

植民地時代の日本に協力した歴史や軍事政権時代の圧政に協力した歴史を深掘りしたくない保守派としては、進歩派が反対しにくい檀君神話を含む古代史記述の充実と言う手段で不都合な近現代史記述を減らそうとしたという、そんな感じのことがあったそうですよ。