雑感2

ゴーン氏の件。

日本の司法制度に問題があることは確かだし、悪法も法なりと毒杯を呷るべきとも思いませんので自力救済すること自体を否定するつもりはありません。
ですが、ゴーン氏の逃亡手段というのは、15億円の保釈金を棄ててプライベート・ジェットを使いその道のプロフェッショナルを雇うという飛びぬけた富裕層でなければ出来ない手段であって、結局のところ富裕層特権で裁きを免れたという側面も否定できず、もろ手を挙げて賛同する気にも賞賛する気にもならないんですよね。



雑感1

この件。
「スマホ平日60分」県条例素案(01月10日 17時25分)

まあ、アホな条例案だなと。
「素案には依存症に対する適切な医療が受けられるよう県が体制を整備することや依存症の知識をもつ人材を県が養成することなども盛り込まれています」という点については賛成ですけどね。

喫煙やら飲酒やらと置き換えればわかりやすいと思う。

タバコを一日10本に制限する条例とか飲酒を一日ビール中ジョッキ1杯に制限する条例とか、そもそも条例で制限できる効果が期待できない上に、そんなことにまで公権力に介入することが適切だとも思えない。
これが禁煙やアルコール依存症治療を支援する体制やそれらの知識を持つ人材を公的機関が養成するということであれば、それには賛成できるけどね。

子どものスマホの利用に対して指導するというのは、日常的に監護・養育している親(保護者)の責任であって公権力に依存するようなことではない。



確かに「合流」という言葉を使ってはいないが

12月6日に立憲民主党代表の枝野幸男議員が、共同会派代表者会談で以下のような申し入れを行っています。

 立憲民主党は、これまで、理念政策をともにする方が個人として入党いただけるなら歓迎するとの立場でした。
 しかし、この間、共同会派結成にあたっての合意に基づき、一体となった国会対応で成果をあげることができたことは、会派を共にする皆さんが、それぞれ寛容な心でご尽力をいただいた結果だと感謝しています。このことを通じて、私は、会派を共にする皆さんとは、十分、理念政策の共有をしていただいていると考えます。
 以上のことを踏まえ、今般、私は、より強力に安倍政権と対峙し、次の総選挙で政権を奪取して『まっとうな政治』を取り戻し、国民生活と公平公正な社会を守るため、会派結成にあたって合意した考え方に基づき、共同会派を共にしていただいている政党、グループの皆さんに幅広く立憲民主党とともに行動していただきたいと思うに至りました。
 安倍政権に代わって政権を担いうる政党を築き上げ、次期総選挙での政権交代を現実のものとするため、会派を共にする、国民民主党社会民主党社会保障を立て直す国民会議、無所属フォーラムの皆さんに立憲民主党とともに闘っていただけるようお呼びかけいたします。

https://cdp-japan.jp/news/20191206_2409

質疑で枝野氏は「今日私の文章に「合流」という日本語は含まれておりません」と言っている通り、確かに「合流」という文言は含まれていません。

“野党合流”だと報じているメディアはその意味では不正確と言えるかもしれませんが、さりとて、既に共同会派を結成している上で、個人としての入党を歓迎する立場以外での「立憲民主党とともに行動していただきたい」「立憲民主党とともに闘っていただけるよう」という呼びかけの含意するところとして「合流」以外に何があるのかが明らかにされているわけでもありません。

少なくとも呼びかけられた対象の一つである国民民主党は「政党合流」だと認識しているようです。
「地方の声を大事にする」 全国幹事会・自治体議員団等役員合同会議を開催 - 国民民主党

国民民主党現有議席数(衆院38、参院22)と資金力で優れていますが支持率は低迷していますので、はっきり言って立憲民主党にとって国民民主党と合流するメリットがそれほどあるとは思えないんですけどね。ただ、地方組織あたりでのしがらみがあるでしょうから、党レベルでの合流を求める声もそのあたりではあるのかも知れませんが。
国民民主党は枝野代表の呼びかけに対して「(1)衆参一体での対応(2)対等な立場で協議交渉(3)参議院での信頼醸成、という3点を枝野代表に申し上げたとの説明」*1したとのことですが、その通りに対等合併となったら、枝野代表にとっても自殺行為としか思えません。

もともと小池・希望の党と前原・民進党の策謀によって排除され殲滅される寸前だった枝野氏が、政党の対等合併というリスク要因を好んで抱え込みたいとも思えませんしね。小池・希望の党と前原・民進党の流れをくむ国民民主党に対して、組織の血統からの嫌悪感を覚えるようなことは無いかもしれませんが、民主党政権時代の経験からも多頭制に対する懸念はあるでしょうし、党内を確実に掌握し求心力を維持する方が重要だと思ってそうな気はします。

とは言ってもお金の問題もあるわけですが。
参照:枝野氏への個人献金7割減 「ブーム去った」の声も(斉藤太郎 2019年11月29日18時00分)

ま、結党した2017年に個人献金が多かったのは判官びいきの影響でしょうから、それが長期に続くわけもないのは驚くところではありませんけどね。
政党交付金の制度上の問題に振り回されているのは民主主義の理念からは外れた話で、これはこれで何とかすべき問題です。

個人献金政党交付金以外では企業・団体献金がありますが、これに期待するとなると連合の意向としての国民民主党との合流という圧力が強まるわけですからねぇ。

交付金依存度、4割台変わらず=18年の政党収入

 2018年の政治資金収支報告書によると、(略)
 今年4月に解散した自由党を除き、年間収入に対する政党交付金の割合が最も高いのは国民民主党(84.8%)で、立憲民主党(75.8%)が続いた。自民党は66.5%、共産以外で最も低いのは公明党の19.8%だった。
 国民、立憲両党は機関紙発行による事業収入がそれぞれ188万円、961万円で、自前の集金力が課題となっている。自民は政治資金団体国民政治協会」からの寄付24億3000万円や党費9億3560万円など、幅広く資金を得ている。
 政党交付金の額でみると、自民が174億8990万円でトップ。国民55億7350万円、公明29億4840万円、立憲27億6430万円の順だった。
 各党は、衆参両院から会派に支給される立法事務費も収入として扱っている。同費を含む税金依存度も立憲が90.9%、国民が90.7%と高く、日本維新の会は81.3%、自民は76.8%だった。 

https://www.jiji.com/jc/graphics?p=ve_pol_politics-seijishikin-seitou

事業収入が1000万円にも満たないわけですから、普通に考えるならそれなりの議席数を確保しつつ時間を稼いで政党交付金を増やすというのが順当な感じがします。ブームに頼らず、目先の利益に釣られず、時期を待つという感じで。



養育費算定表の増額や強制力強化が離婚後母子家庭の貧困の解消にあまり役に立たないと思われる理由

最初に言っておきますが、主体となるのが裁判所であるべきかどうかは別として養育費算定表を更新すること自体には賛成です。むしろ、毎年更新とか、せめて2~3年に1回くらいの頻度で更新して、現行の取決めの履行状況を把握するのと共に社会情勢に合わせた額に変更していくべきだと思っています。
養育費取り立ての強制力強化も、当事者の経済状況を適切に踏まえた上でならやるべきだとは思っています。

ただ、それらの施策が離婚後母子家庭の貧困の解消にはあまり役には立たないであろうとも思います。

理由1.算定表も強制力も「取決め」をしていることが前提

巷間よく言われるのが、“養育費をちゃんと支払っているのは全体の4分の1に過ぎない”という主張です。

確かに「平成28年度全国ひとり親世帯等調査結果」に照らしても間違ってはいないのですが、より正確に言うなら、養育費の取決めをしているのは全体の半分(42.8%)で、現在も支払っているのはそのまた半分(53.3%)で、結果として全体の4分の1(24.3%)、となります*1

算定表増額も強制力強化も取決めをしているが支払が滞っている4分の1(19.4%)の母子家庭には役に立ちますが、それ以外の取決めをしていない母子家庭(54.8%)には役に立ちません。

4分の1(19.4%)の母子家庭であっても役に立つなら貧困の解消に貢献するはずだと思うかもしれませんが、そう単純ではありません。

理由2.母親の最終学歴が低いほど取決め率が低い

平成28年度全国ひとり親世帯等調査結果」から母親の最終学歴別の養育費取決め率を以下に示します。

最終学歴 総数 養育費の取決めあり 取決め率
中学校 215 47 21.9%
高校 794 300 37.8%
高等専門学校 87 38 43.7%
専修学校各種学校 266 137 51.5%
短大 237 129 54.4%
大学・大学院 160 102 63.8%

中卒母の母子家庭での取決め率が21.9%に過ぎないのに対し、大卒・院卒母の母子家庭での取決め率は63.8%と大きな開きがあり、学歴が上がるほど取決め率が高くなる傾向がわかります。
母親の最終学歴は父親の最終学歴と強い相関があり、最終学歴と収入にも強い相関があることを考慮すると、自らの年収も少なく元夫に期待できる養育費も少ないであろう中卒や高卒母の母子家庭では取決め率が低く、逆に自らの年収もそれなりにあり元夫に期待できる養育費も高額であろう大卒・院卒母の母子家庭では取決め率が高いと見なせます。

母子家庭の貧困は主に養育費取決め率の低い低学歴の層で生じています。
この低学歴層はそもそも養育費取決め率が低いために養育費算定表の増額や取り立て強制力の強化による恩恵をほとんど受けられず、数少ない取決めをしている母子家庭も元夫の年収も低い可能性が高く、結果として得られる養育費だけでは貧困の解消が期待できません。
ちなみに、中卒母の母子家庭での養育費取決め率は21.9%、養育費受給率*2は10.7%ですから、8割近くの母子家庭にとっては算定表も強制力も貧困解消に無意味であり、算定表と強制力で多少なりとも貧困状態の緩和につながるであろう世帯は1割程度に過ぎません。
高卒母の母子家庭の場合でも、養育費取決め率は37.8%、養育費受給率21.4%ですから、6割の世帯にとっては無意味であり、16%程度の世帯にとっては多少の改善が期待できる程度です。

養育費算定表の増額や強制力強化の恩恵を一番受けるのは?

養育費の取決めをしている母子家庭は算定表増額の恩恵を当然受けられますし、取決めがあるのに受給できない場合でも強制力強化による恩恵があります。恩恵が受けられないのは取決めのないの母子家庭です。
したがって、一番恩恵を受けるのは最終学歴の高い層になります。
ところが、その最終学歴が高い層は元々自身の就労収入も高く、平均的には貧困ラインよりも上にいます。

最終学歴 年間就労収入平均値 養育費取決め率(再掲) 養育費受給率
全体 201万円 42.8% 24.5%
中学校 117万円 21.9% 10.7%
高校 171万円 37.8% 21.4%
高等専門学校 254万円 43.7% 26.4%
専修学校各種学校 257万円 51.5% 29.3%
短大 205万円 54.4% 30.0%
大学・大学院 303万円 63.8% 40.6%

(母子家庭の母自身の年間就労収入の最終学歴別平均値*3

もちろん、平均的に貧困ラインより上だからといって決して高収入とは言えませんから、養育費算定表の増額や強制力強化の施策そのものが悪いわけではありません。問題なのは、その施策の恩恵が、より貧困のひどい状態の家庭に十分に届いていないという点です。

“養育費をちゃんと支払っているのは全体の4分の1に過ぎない”という状況に寄与しているのは、中卒母・高卒母の母子家庭での養育費受給率の低さだと言えますが、その主張を受けて実施される養育費算定表の増額や強制力強化といった施策の恩恵を主に受けるのが大卒母の母子家庭だというのは、いささか欺瞞的要素を感じざるを得ないところでもあります。
言うなれば、貧困層の窮状を訴えて引き出した支援を主に貧困層ではない者が受け取っているかのような印象です。

もちろん、取決め率を上げようという動きもあるにはありますが、中卒母・高卒母の元夫も中卒・高卒である可能性が高いことから算定表通りの取決めをしたとしても貧困状態の解消につながるのは難しく、結局のところ児童扶養手当等の公的支援をいかに拡充するかというのが重要でしょうね。実際、母子世帯の母の養育費の取決めをしていない理由として「相手に支払う能力がないと思った」を最も大きな理由として挙げたのが取決め無し世帯985件中205件(20.8%)と結構います*4

児童扶養手当の拡充に関しては国会でも多く議論されています。保育園の無償化よりも児童扶養手当の方に予算を回すべきという意見もありますね。確かに高所得者層の保育料を無償化するより、低所得者層の子育て支援に予算を回す方が、最大多数の最大幸福にはなりそうに思えますしね。

国としては予算を必要としない養育費算定表の増額や強制力強化の方が都合がいいのかも知れませんが、貧困対策の本筋から言えば児童扶養手当等の公的支援拡充こそが必須であろうと思いますね。



安倍政権も有馬哲夫氏も共に歴史修正主義者なんじゃない?

この件。
青木理氏が批判する「歴史修正主義」って何が問題?(9/30(月) 7:31配信 デイリー新潮)
有馬哲夫氏に「歴史修正主義」を解説させるというのが既に人選ミスだと思いますが・・・。

内容的には「歴史修正主義」という用語に対するまぜっかえしと、それを利用した安倍政権の歴史修正主義の擁護にすぎません。

用語に対するまぜっかえしという部分については「粛清」には言語的にはいい意味もあると主張するようなものでナンセンスでしかありません。
有馬氏は自分も「歴史修正主義」だと非難されたことに対して「私は新資料の発掘によってそれまでに確立していた定説や見方を覆しますが、それは日本および自分のイデオロギーを正当化することを目的としたものではないので『歴史修正主義者』ではありません。」と自己弁護しています。
まあ、それ自体は別に構いません。
少なくとも有馬氏自身の自己評価はそうなのでしょうから。

問題なのは、安倍政権に対する歴史修正主義という非難を有馬氏自身に対する非難と同様のレッテル貼りだと主張している点です。

 テレビのコメンテーターとしてお馴染みの青木理氏は、しばしば安倍政権に対してそうした言葉を用いて批判を展開している。青木氏によれば日韓関係の悪化も「歴史修正主義者」が政権を担っていることが原因なのだという。
 また、9月11日に発足した第4次安倍改造内閣について論評した韓国のハンギョレ新聞社説もまた「歴史修正主義」という言葉を用いて懸念を示している。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190930-00584989-shincho-kr

 開戦の経緯、虐殺事件の人数や経緯、慰安婦の人数や採用の経緯といった細部についての検証・議論をしようとすると、感情的になる人が現れて、「歴史修正主義を許すな」となることが多い。
 青木氏やハンギョレ新聞もそのスタンスに近いと言えるだろう。問題は、この言葉が安易なレッテル貼りに使われやすい性質を持っているということかもしれない。彼らが「歴史修正主義」という言葉を用いる場合は、「大日本帝国の罪を認めないトンデモない奴ら」という意味である。そして、少しでも彼らが認める歴史とは異なる認識を述べると、この言葉を用いて激しく非難をしてくるというわけだ。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190930-00584989-shincho-kr

つまり、有馬氏は安倍政権の歴史認識歴史修正主義ではないと擁護しているわけですね。

慰安婦問題を認めず、労務動員の強制連行を認めず、侵略戦争も植民地支配も認めない安倍政権が歴史修正主義ではないというのは、おおよそ地球は丸いということを否定するに等しいと思うんですけどね。



家裁は面会交流を“ゴリ押し”しているとは言えない。

と実質的な離婚後共同親権反対派の千田有紀氏は述べています。最近のツイートとあわせるとどうも民法766条改正を機に家裁が面会交流をゴリ推しするようになったと主張しているようです。
(というか、そもそも「会わせたくないなんてふんわりした御託なんてとても通らない」のは当たり前だと思いますけどね)
ですが、司法統計を見る限り、家裁が面会交流をゴリ推ししているとはちょっと言えません。
家裁の関わる調停離婚・審判離婚での面会交流の取り決めに関する統計は2013年からとられています(民法766条改正施行は2012年4月から)。

2013年から2018年までの統計を通じて、成立した離婚調停事件または審判事件で未成年の子の処置をすべき件数は年間約2万件で推移しています。このうち、何らかの面会交流の取りめが為されたのは約1.3~1.4万件程度(約65~70%)です。この取り決めの中には別途協議することも含まれていますので、定期的に面会交流するという取り決めがなされたものに絞ると、約8000件程度(約40%)にまで減ります。
さらに、月1回以上の頻度で面会交流すると取り決められた件数となると約7000件程度(約35%)にまで減ります。

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2013年から2018年までの成立した離婚調停事件および審判事件における面会交流の取決め状況

改正された民法766条では「父又は母と子との面会及びその他の交流」について「協議で定める」か家裁が定めることになっていますが、実態としては月1回以上の面会交流が定められること自体が事件の3分の1程度に過ぎないわけです。

第七百六十六条 父母が協議上の離婚をするときは、子の監護をすべき者、父又は母と子との面会及びその他の交流、子の監護に要する費用の分担その他の子の監護について必要な事項は、その協議で定める。この場合においては、子の利益を最も優先して考慮しなければならない。
2 前項の協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、家庭裁判所が、同項の事項を定める。

https://elaws.e-gov.go.jp/search/elawsSearch/elaws_search/lsg0500/detail?lawId=129AC0000000089#2777

ちなみに離婚事件とは別個に起こされる面会交流事件の統計でも傾向は変わりません。
面会交流事件の件数は2001年には2699件でしたが、増加の一途を辿り、2018年には11866件にまで増えています。調停・審判で面会交流の取り決めが成立したと見られる認容・調停成立率で見るとこれも徐々に増加傾向にはあるものの、2001年に約50%だったものが2018年に約70%になっている程度です。なお、2012年の民法改正の前後で特に傾向に変化は見られません。
これも、定期的に面会交流するという取り決めがなされたものに絞ると、2001年に約40%だったものが2018年に約50%に増加した程度になります。
さらに、月1回以上の頻度で面会交流すると取り決められた件数となると、2001年に30%弱だったものが2018年になっても約40%に増加したに留まります。

f:id:scopedog:20191207010118p:plain
2001年から2018年までの面会交流事件での取決め状況

面会交流の具体的な内容が決められる離婚事件は離婚事件全体の半分以下の約40%。面会交流事件でも半分程度(2018年は52.1%)。

これらの司法統計を見る限り、家裁は面会交流を“ゴリ押し”しているとは到底言えそうにありませんね。



韓国では民法で面会交流権を認めているのに、日本では憲法で保障された権利ではないという司法判断が出た件

この件。
「面会交流」立法不作為訴訟 原告の請求棄却 東京地裁(毎日新聞2019年11月22日 19時42分(最終更新 11月22日 19時42分))

まあ、地裁レベルで面会交流を憲法上保障された権利と認めるのは難しいでしょうから、判決自体は驚くようなものでもありません。「前沢達朗裁判長は「別居している親の面会交流権が憲法上保障された権利であるということはできない」などと述べた」と記事にありますが、裁判官が明言したという意味では少し驚きではありますが。

実際問題として、これまで裁判所が面会交流を認めなかった事例は軽く数十万件は超えるでしょうから、今さら面会交流を憲法上保障された権利と認めたら司法は大混乱でしょうからね。
とは言え、高裁判例http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail3?id=21639:title-昭和30年(ラ)第198号 親権者変更請求抗告事件」では“血縁関係に基く親の未成年の子を養育するという人類の本能的生活関係”という表現が使われていて、面会交流を子の監護の一内容とみなした最高裁判例平成12年(許)第5号  面接交渉の審判に対する原審判変更決定に対する許可抗告事件」を踏まえ、養育と監護は同一の意味を有するとすると、面会交流もまた“血縁関係に基く親の未成年の子を養育するという人類の本能的生活関係”の一内容とも解釈でき、そうであるなら、面会交流権は憲法13条にいう幸福追求権の一つとしてみなされるべきと思います。

なお、面会交流を認めない裁判所の決定に対して憲法13条に違反すると主張した裁判は過去にもあって、その時の最高裁は面会交流の権利性に対する憲法判断を回避し、民法766条の解釈適用の誤りをいうものにすぎず抗告の理由にあたらないとして却下しています(昭和58年(ク)第103号 面接交渉申立棄却審判に対する抗告棄却の決定に対する抗告 昭和59年7月6日)。この判例、高裁判決がどうだったのかがよくわからないので、「解釈適用の誤りをいうものにすぎず」という最高裁の判断自体、ホントかよ?と疑いたくなるところではありますが。
ともあれ、1984年の最高裁は面会交流の権利性に関する憲法判断を回避し、その後2011年に民法改正で766条が変わり「面会交流」という文言が入りました。
木村草太氏は面会交流権が認められていると主張していますが、民法上に権利として明記されてはいません。「面会交流」という文言が入っただけで、それが権利なのかどうかは曖昧なままです。

第七百六十六条 父母が協議上の離婚をするときは、子の監護をすべき者、父又は母と子との面会及びその他の交流、子の監護に要する費用の分担その他の子の監護について必要な事項は、その協議で定める。この場合においては、子の利益を最も優先して考慮しなければならない。
2 前項の協議が調わないとき、又は協議をすることができないときは、家庭裁判所が、同項の事項を定める。
3 家庭裁判所は、必要があると認めるときは、前二項の規定による定めを変更し、その他子の監護について相当な処分を命ずることができる。
4 前三項の規定によっては、監護の範囲外では、父母の権利義務に変更を生じない。


それに対して韓国民法の場合はこうなっています。

제837조의2(면접교섭권) ① 자(子)를 직접 양육하지 아니하는 부모의 일방과 자(子)는 상호 면접교섭할 수 있는 권리를 가진다.
②가정법원은 자의 복리를 위하여 필요한 때에는 당사자의 청구 또는 직권에 의하여 면접교섭을 제한하거나 배제할 수 있다.

第 837 条の 2(面会交流権) ①子を直接養育しない父母の一方と子は、互いに面会交流をする権利を有する。
②家庭法院は、子の福利のために必要なときは、当事者の請求により又は職権で、面会交流を制限し又排除することができる。
(※上記日本語訳は、下記で引用している金亮完氏の論文から)

http://www.law.go.kr/법령/민법/(11300,20120210)

韓国では非親権者(別居親)と子どもは共に面会交流を権利を有すると民法上にはっきりと明記されているため、親権者(同居親)が面会交流を妨害すると非親権者(別居親)と子どもの権利を侵害したとみなされ、親権者や養育権者が変更されることもあるようです。
もちろん、非親権者(別居親)が暴力を振るうなどの理由があって面会交流を避けたい場合は、家裁が面会交流を制限することができるようになっています。
韓国民法が面会交流を権利として明記したのは2007年ですが、日本では766条を改正した2011年の民法改正においても権利として明記することができず「面会交流」という文言が入るに留まりました。

冒頭の地裁判決は、面会交流が憲法上保障された権利ではないとしたわけですが、では憲法以外の法律上の権利であるかというと、そのような明文規定が存在しないため、やはり面会交流の権利があるとは言えないという判断になると思われます。
仮に現行民法が面会交流を権利として認めていると解釈するのであれば、その権利はどの時点から発生するのか、どのような要件を満たせば制限されるのか、など複雑な問題がいろいろ発生しそうに思えます。面会交流を認めない司法判断によって権利が侵害されたと訴えたとしても、ありそうな裁判所的な見解としては、“面会交流を実施するという合意がある場合は同居親にその合意を誠実に履行する義務があり、合意が無い場合は調停を申し立てることが出来るので現在の制度が別居親の権利を侵害しているとは言えない”といった感じでしょうかね。

ところで、離婚後共同親権のあり方として、欧米では原則共同親権という運用が多いようですが、韓国の場合は原則単独親権で父母双方とも養育の意欲・能力がある場合には共同親権を認めるといった運用のようです。日本民法は韓国民法と非常に似ていますから、日本が実際に離婚後共同親権を導入するなら韓国型の共同親権の方がやりやすいでしょう。
ですが、その場合、共同親権を認めるだけで非協力的な同居親の拒否権行使が温存されると、別居親と子どもが引き離されるという状況はほとんど改善されないと思われます。何故なら、現行制度下で面会交流を拒否する同居親は、間違いなく合意に基づく共同親権も拒否すると思われるからです。

ですから、もし韓国型の養育の意欲・能力がある双方の親の合意に基づく共同親権という制度にするのであれば、同時に面会交流は別居親と子どもの権利であると明記する必要が生じるでしょうね。

ちなみに韓国の場合だと双方の親に養育の意欲・能力がある場合、一方が共同親権に否定的であっても他方を誹謗するやり方で共同養育を拒否すると、親権者・養育権者として不適切とみなされ、逆に自身が非親権者となる単独親権になる可能性があります。そのため、DVや虐待など明確な理由がない限り、子どもと引き離されたくなければ相手側に対しても友好的な態度をとるインセンティブが働くようになっています。
継続性の原則を漫然と採用する日本の場合は全く逆で、単独親権者になりたければ子どもを確保した上で相手親を徹底的に誹謗する方向にインセンティブが働くようになっています。要するに日本の現行制度は、子どもの両親の仲がより悪くなるように仕向ける仕組みになっているわけで、そういう観点でも改善すべきなのは間違いないんですよね。



(5)面会交流権
第 837 条の 2(面会交流権) ①子を直接養育しない父母の一方と子は、互いに面会交流をする権利を有する。<本項改正 2007.12.21>
②家庭法院は、子の福利のために必要なときは、当事者の請求により又は職権で、面会交流を制限し又排除することができる。<本項改正 2005.3.31>
[本条新設 1990.1.13]

韓国において、面会交流権とは、「親権者または養育者でないために現に子を保護・養育しない父または母が、その子と直裁に面会・書信の交換または接触する権利」であると定義されている。
第 837 条の 2 が明文化されたのは、1990 年の民法改正のときであり、その後、2007 年の民法改正により、面会交流権が非養育親の権利であるとともに子の権利であることが明文化された。しかしながら、子が面会交流権を行使するための手続は規定されておらず(家訴訟規則第 99 条第 1 項参照)、また、条文上、第三者の面会交流権も認められていないが、当事者間の合意がある場合には、子と祖父母との面会交流を認めた事例がある。
また、居所の変更により、面会交流の実施が実質的に制限され、または排除される可能性がある。これについては、子の居所変更の場合には、単に移動距離の増加あるいは面会交流が不便になったという理由だけで面会交流の変更を認めることはできず、子と非養育親との関係の継続が必要であるが、遠距離化により従来の面会交流事項を守ることができなくなったときに限って、その変更を認めるべきであるとする見解がある 。
面会交流の履行確保のための手段として、履行命令および 1000 万ウォン以下の過料が用意されている。ただし、同法第 68 条による拘留については、監護親の拘留により子の養育の空白が発生することから、面会交流の違反については同条の適用がないと解されている。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000487640.pdf
事件番号  昭和30(ラ)198
事件名  親権者変更請求抗告事件
裁判年月日  昭和30年9月6日
裁判所名・部  東京高等裁判所  第四民事部
高裁判例集登載巻・号・頁  第8巻7号467頁
判示事項  親権者の変更を相当とする一事例
裁判要旨  離婚にあたつて未成年の子の親権者となつた父が未だ曾つて子を養育したことがなく、子を第三者夫婦に養育せしめ、将来子と第三者夫婦とが養子縁組をなすことを期待しているのに反し、母はみずから子の養育をなすことを切望し、かつ、子の監護教育の能力を十分に有するときは、子の利益のため、親権者を母に変更するのが相当である。

 <要旨>元来親権は、血縁関係(養親子にあつては血縁関係が擬制されている)に基く親の未成年の子を養育するという人類の本能的生活関係を社会規範として承認し、これを法律関係として保護することを本質とするものである。

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/639/021639_hanrei.pdf
http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail3?id=21639