「兵士2万人に慰安婦15人」説の疑問と慰安婦の比率を示すいくつかの事例の提示

以前の記事にTBいただいたので。
id:bumble_crawlさんの説明は「キム・ワンソプ氏の著書『新親日派のための弁明(日本版:親日派のための弁明2)』」から引いたとする説ですが、原型は「『SAPIO』2002 8/21・9/4合併号 9/25号」あたりで掲載されたらしく、WEB上では以下の記事を見つけました。

7:スパイク
だが実際には、大部分で部隊で慰安婦が不足していた。2万人規模の師団慰安所が、たった15人の慰安婦で運営されていた事例も報告されている。この師団で設定された基準「軍人100人あたり慰安婦1人」を満たすためには200人以上の慰安婦が必要だ。そうした事実を勘定すると、実際の従軍慰安婦は理論上最大人員の10分の1から2分の1程度だったものと推定される。すなわち従軍慰安婦の数が最小9000人、最大でも4万5000人であったという結論になるのである。
(PC)
2003/6/14 21:22

http://e.z-z.jp/thbbs.cgi?id=spikejazz&th=26&p3=

「2万人規模の師団慰安所が、たった15人の慰安婦で運営されていた事例」というのが、どこの事例か詳細不明なのですが、おそらくは東部ニューギニアあたりの状況ではないかと思います。そうだとすると飢餓で全滅に近い損害を出したかなり特殊な事例であって一般的とは言えず、これを敷衍して「大部分で部隊で慰安婦が不足していた」と、あたかも2万人分の15人が一般的であったかのように印象操作するのは説としていただけません。

キム・ワンソプ氏は「実際の従軍慰安婦は理論上最大人員の10分の1から2分の1程度だったものと推定される。」としており、「軍人100人あたり慰安婦1人」のパラメーターを「軍人200人〜1000人あたり慰安婦1人」とみなしています。ではこの推定は妥当でしょうか?

慰安婦の比率を示すいくつかの事例

1942年8月のビルマの事例

アメリカ軍作成の日本人捕虜尋問報告49号では、1942年8月に700〜800人の慰安婦がラングーンに上陸したと書かれています。この当時ビルマに展開していた第15軍は第18、第33、第55、第56師団の四個師団で兵数は8万人程度と見られます。
すると兵士8万人に対し、慰安婦は700〜800人となりますので、比率としては兵士100〜114人に慰安婦1人となります。

ソース:日本人捕虜尋問報告49号

1940年6月の南寧の事例

1940年6月、南寧付近に展開した第21軍のうちの第5、第18師団及び近衛、台湾旅団の二個師団二個旅団約5万人に対して、約360人の慰安婦が配分されています。
比率としては兵士138人に慰安婦1人となります。

ソース:「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13031898700、鉄寧派憲警445号 軍慰安所に関する件報告(通牒) 森川史料(防衛省防衛研究所)」*1

拉孟守備隊・騰越守備隊の事例

雲南ビルマ国境地帯に展開した拉孟守備隊*2は兵力約1300人に対し20人の慰安婦がいました。比率としては兵士65人に慰安婦1人となります(慰安婦が24人だったという説もあり)。
騰越守備隊の場合は第148連隊の兵士2025人に対して、慰安婦は18〜30人いました。兵士68〜113人に慰安婦1人の割合になります。

ソース:「北ビルマ雲南戦線における日本軍の作戦展開と「慰安婦」たち」浅野豊美(「日中戦争再論」軍事史学会編、P296-322)

ビルマ・ミチナの事例

ミチナを拠点としたのは歩兵第114連隊で兵数は3000人程度。ここには朝鮮人・中国人慰安婦が計63人いました。比率として兵士47人に慰安婦1人です。ただし、浅野氏は第55連隊、第56連隊と共用だったのではないかと推定しています。三個連隊共用だとすると、兵士160人に慰安婦1人という比率になります。

ソース:「北ビルマ雲南戦線における日本軍の作戦展開と「慰安婦」たち」浅野豊美(「日中戦争再論」軍事史学会編、P296-322)

マレーシアの歩兵第11連隊第7中隊の事例

ネグリセンビラン州のクアラピラでは、歩兵第一一連隊第七中隊が地元の住民組織の幹部に女性を集めるように指示し、一八人の中国人女性を連れてこさせ、将校用と兵士用の二つの慰安所を開設した(7)。」*3という事例があります。中隊規模が220人程度としても兵12人に慰安婦1人という状況すらあったことになります。

ソース:(7)林博史前掲論文「マレー半島の日本軍慰安所」『世界』1993年3月二七六〜二七八頁。 http://www.geocities.jp/hhhirofumi/paper22.htm

立山砲兵第2連隊第2大隊の事例

1940年6月から華中薫市附近に駐留した独立山砲兵第2連隊第2大隊は、8月19日に現地調達の慰安所を開設しています。現地中国人女性14人を慰安婦としていましたが、後10月になって朝鮮人慰安婦7人を通訳が連れてきて計21人となっています。開設した第2大隊は12月に移動し、通訳が連れてきた朝鮮人慰安所は後続部隊のために残されますが、中国人慰安所がどうなったかについては言及されていません。
さて、一個大隊を1000人としても中国人慰安婦14人、朝鮮人慰安婦7人ですから、兵士48〜71人に慰安婦1人という比率になります。

ソース:「独山二一もう一つの戦争」溝部一人、P54〜65

中国華北の第12軍第35師団の規定から

第35師団に属する歩兵第219連隊第7中隊史料の営外施設規定で、慰安所の設立条件が書かれています。

第一九条 中隊以上ノ駐屯地ニシテ該地ノ情況ニ依リ之ヲ必要トスル場合ニ於ケル衛生的且廉価ナル慰安ノ為軍人軍属専用ノ特殊慰安所ヲ開設スルコトヲ得ルモノトス

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20130314/1363275892

これを見ると中隊以上の規模であれば慰安所を開設して構わないという規定になっています。慰安所一軒に所属する慰安婦は少ない場合でも4〜5人とみなして良いでしょうから、中隊定員220人に対して慰安婦4〜5人という比率を第35師団では許容していたと考えられます。これは兵士44〜55人に慰安婦1人という比率になります。

ソース:「JACAR(アジア歴史資料センター)Ref.C13010769700、諸規定綴 歩兵219連隊警備隊第7中隊 昭和18年(防衛省防衛研究所)」

まとめ

以上の事例から、キム・ワンソプ氏による「軍人200人〜1000人あたり慰安婦1人」説はかなり眉唾だと言わざるを得ません。兵士と慰安婦の比率は概ね兵士50人〜150人につき慰安婦1人と考えるのが妥当かと思います。もちろん、歩兵第11連隊第7中隊の事例(兵士12人に慰安婦1人)や東部ニューギニアなどのほとんど慰安婦が配分されなかった事例もあるでしょうが、全体像を推定する上で妥当なのは兵士50人〜150人につき慰安婦1人くらいではないでしょうか。

*1:ちなみにこの史料は、360人の慰安婦の1ヶ月売上が14.8万円とあり、慰安婦1人1日平均接客数約10人であることを示すと同時に、5万の兵士が6月中に平均2回は慰安所を利用したことを示しています。

*2:第56師団の一部、第113連隊第2大隊400人、野砲兵第56連隊第3大隊380人など。

*3:http://www.geocities.jp/hhhirofumi/paper22.htm