柳条湖事件当時、日本国民は「暴戻支那」に怒り、熱狂して戦争を煽った

昭和日本の国策を歪め破滅へと突き進むきっかけの一つとなった事件に、満州某重大事件と呼ばれる張作霖爆殺事件(1928年6月4日)と満州事変の発火点となる柳条湖事件(1931年9月18日)があります。いずれも関東軍による謀略事件ですが、当時、張作霖爆殺事件は蒋介石国民政府の仕業として、柳条湖事件は張学良軍の謀略として公表し、関東軍の陰謀であるとの真相は日本国民に対して隠蔽されました。
もちろん、双方の事件とも日本軍の陰謀であるとの噂が事件直後から広がっていましたが、大日本帝国政府は隠蔽を続け、敗戦で国家と軍が崩壊するまで真相が公表されることはありませんでした。日本国民が真相を知ったのは戦後になってからです。
出先軍の暴走、それを制止できず追認を繰り返した政府・天皇が日本の国策を狂わせ、300万人の日本人と数千万人の諸外国民の命を奪う人災を招いたわけですが、事件直後に関東軍の謀略であることを隠蔽せずに真相公表と同時に粛軍を行っていればあるいは莫大な人命を損なう戦災を避けられたかもしれません。

さて。

先ごろ安倍政権が強行採決した秘密隠蔽法ですが、もちろん、張作霖爆殺事件や柳条湖事件のような謀略を自衛隊が行ったとしても特定秘密とされ公表されることはないでしょうし、公式発表に疑義を抱いて調べるジャーナリストがいれば同法を適用して懲役10年を食らわせることができます。
80年前に日中が対峙した満州と似たような状況にあるのが、現在の尖閣諸島東シナ海ガス田であると言えます。緊張が高まっている同地域ですが、そこで日中間の武力衝突が発生した場合、安倍政権はもちろん「中国側から一方的に攻撃された」と公式発表するでしょうが、それは果たして信用できるものでしょうかね?