池田信夫氏、また虚偽証言

元慰安婦の「証言」は弁護士に誘導された作り話」という記事でまたも池田信夫氏が虚偽証言を行っています。

チョン・オクスン証言と李福汝証言は同一?

これは秦郁彦氏がコメントしているように、1992年に北朝鮮の労働新聞が伝えた李福汝(リ・ポクニョ)という元慰安婦の証言と同一だ。同じ作り話を北朝鮮労働党がコピーして複数の人物に証言させているものと思われる。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51911071.html

池田氏は言っていますが、李福汝証言は1919年生まれの李福汝氏が数え17歳の夏に連行され満州北部の慰安所で売春強要される内容で1935年頃〜1944年頃ですが、チョン・オクスン証言は1920年生まれのチョン・オクスン氏が13歳の時に連行され朝鮮北部の恵山慰安所に入れられる内容で1932年頃〜1938年頃の話です。時期も場所もかなり違います。
秦郁彦氏が言っているのは、両者の証言の中に同じような内容がある*1という指摘に過ぎず、連行され売春強要されたという証言そのものの信憑性には何ら関係ない部分です。
複数の性暴力被害者の証言に似通った部分があるという、ただそれだけの理由で、性暴力被害者の証言を作り話扱いしているわけで、セカンドレイプ以外の何者でもありません。

「当時の朝鮮半島には軍は駐留していなかった」?

10日ほどして私は恵山市の日本陸軍の守備隊に連れて行かれました。そこには私のような朝鮮人の女の子が400人ぐらいいて、毎日、5000人を超える日本兵のために性奴隷として働かされました。一日に40人も相手にしたのです。抗議するとその度に殴られたりぼろ切れを口に突っ込まれたりしました。

(略)
これが当事者の話ではないことがわかるのは、当時の朝鮮半島には軍は駐留していなかったからだ。朝鮮半島は戦地ではないのだから、「守備隊」がいるはずがない。その兵舎に「400人の女の子」がいたというのも荒唐無稽だ。慰安所は兵営の外にあり、たかだか数十人だった。400人の慰安婦が「1日40人」も相手にしたら、毎日1万6000人。5000人の兵士は毎日3回以上もセックスしていたことになる。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51911071.html

言うまでもない話ですが1930年代の朝鮮半島には第19師団、第20師団の二個師団が司令部を駐留していました。池田氏は「朝鮮半島は戦地ではない」とか言っていますが、1920年生まれのチョン・オクスン氏が連行されたのは13歳の時ということから1932年〜1933年頃とすると、当時満州事変の真っ只中で朝鮮半島は最前線と言っていい情況です。まして、恵山は中朝国境の拠点であり、当時第19師団管下の国境守備隊(歩兵第74連隊所属)が駐留していましたから、池田氏の「当時の朝鮮半島には軍は駐留していなかった」というのは全くのデマです。

「「400人の女の子」がいたというのも荒唐無稽」?

5000人の守備隊のためだけに400人の慰安婦がずっといたというなら、確かに疑問に思えなくもありません。
しかし、1932年〜1933年頃の中朝国境付近であることを踏まえると、満州に侵攻展開したばかりの日本軍向けの慰安婦の中継地として恵山が利用されていたという解釈が可能です。恵山からは鴨緑江を渡り陸路で満州奥地へ向かうことも、鴨緑江を船で下り新義州から満州入りすることもできます。
池田氏は虫食いだらけの知識で理解しようとしているから、事実が事実に見えないだけです。

史実を知らないくせに「話の中身が史実と合わない」とのたまう池田氏

クマラスワミ委員会が採用した元慰安婦の証言は、すべてこういう作り話だ。委員会のガイドをつとめたのは高木健一弁護士なので、この証言の内容も彼らが書いたのだろう。裁判でいえば、原告側の主張だけを反対尋問もなしに採用したもので、証拠能力はない。
河野談話ヒアリングで出てきたのもこういう話で、話の中身が史実と合わない上に、同じ元慰安婦の話が二転三転している。それを裏づける資料もない。そもそも元慰安婦が軍命の存在を証明できないのだから、いくら彼女たちの話を聞いても「強制連行」は立証できないのだ。

http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51911071.html

「当時の朝鮮半島には軍は駐留していなかった」とか平気で嘘を述べる池田氏の記事にこそ、証拠能力はもちろん、言論の価値もありませんね。
池田氏は「委員会のガイドをつとめたのは高木健一弁護士なので、この証言の内容も彼らが書いたのだろう」と高木弁護士に対する名誉毀損行為を行っていますが、仮に高木弁護士らが「この証言の内容」を書いたのだとしたら、恵山に5000人規模の国境守備隊がいたことなど、“池田信夫氏ですら知らない”事実を知っていたということになりますね。

おまけ1.恵山に日本軍が駐留していたのは割りと有名

鴨緑江節  その1

☆朝鮮恵山鎮守備隊差出→山形県西置賜郡宛☆櫛型印/恵山鎮/11.1.7/后4-12
☆内容国境守備隊入営所感と挨拶状「。。。11月29日沼津駅お別れ後元気ですからご安心ください。。。ラッパの音で起きる仕事するのも又かくべつですね。。。。」

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おまけ2.チョン・オクスン証言と李福汝証言の類似部分

秦郁彦氏が指摘するチョン・オクスン証言と李福汝証言の類似点です。

(チョン・オクスン証言)
最後に、彼らは彼女の首を切りました。別の日本人ヤマモトは、「お前たちみんなを殺すのは簡単だ。犬を殺すよりもっと簡単だ」と語りました。彼はまた「こいつら朝鮮人少女は食べ物がないといって泣いているから、この人肉を煮て食べさせてやれ」とも言いました。

http://space.geocities.jp/japanwarres/center/library/cwara.HTM#hist-bg-b

(李福汝証言(孫引き))
鬼のような軍人たちは、2人の慰安婦の首を切り取り、それを、かまゆでにして、その煮汁を私たちに飲めと強要した。しかし、それを拒否すれば、私たちも殺される。殺されては生き延びる手立てもない。仕方なしに私たちは、それを飲んだ。

http://sikoken.blog.shinobi.jp/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6%E8%A8%BC%E8%A8%80/%E6%9D%8E%E7%A6%8F%E6%B1%9D%EF%BC%88%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%82%AF%E3%83%8B%E3%83%A7%EF%BC%89

別々の被害者から同様の証言が出てきた場合、同じようなことがそれぞれに起きた可能性がまずありますから、それだけで証言そのものを否定することはできません。もっとも、過酷な体験を語るにあたって被害者が誇張することや他の証言と同様の表現を使うこともよくある話ではあります。

例えば、通州事件の体験談として流布されている「Sさんの体験談」ですが、内容はほぼ間違いなく誇張されています。体験談に対する疑問点について以前書きました
その1その2その3

虐殺の目撃証言に関しては、ほぼ間違いなく事件後の報道や噂話から自分が体験したように偽装していると言えるでしょう。主要な虐殺現場全てに、まさに虐殺が行われている時間帯に、効率よく巡って目撃するなど偶然では説明がつきません。

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20110813/1313252419

「竹林はるか遠く」についても同様に誇張ないし他者の体験談や噂話を自身の体験に偽装したとみられる記載があります。だからと言って、通州事件が無かったことにもならなければ、敗戦前後の引揚の苦労が嘘だということにもなりません。
一部の不整合、誇張、他者体験の拝借などで全体の信憑性が揺るぐとは限らないわけです。

*1:殺された慰安婦の人肉を食わされるという内容。