「朝日「誤報」で日本が「誤解」されたという誤解」の読解

冷泉氏の記事に書かれている誤解のうち「第5の誤解」を除く部分について。
朝日「誤報」で日本が「誤解」されたという誤解 - 冷泉彰彦 プリンストン発 日本/アメリカ 新時代

一点目

 一点目は、80年代末にこの「従軍慰安婦」問題が知られるようになって以降、たとえ偽りの証言や、誤報によって「狭義の強制」があったという伝わり方をしたとしても「現在の日本国の名誉や評判」はまったく傷付かなかったということです。
 ですから「国際社会における日本の評価に悪影響があった」という印象、あるいは加藤官房副長官の言う「誤報による影響」というのは、そうした理解の全体が「誤解」です。
 理由は簡単です。国際社会では、サンフランシスコ講和を受け入れ、やがて国連に加盟した「日本国」は、「枢軸国日本」つまり、常任理事国でありながら国際連盟を脱退し、更にナチス・ドイツファシスト党のイタリアと組んで第二次世界大戦を起こした「枢軸国日本」とは「全く別」であることを認識しており、そこに一点の疑念もないからです。
 それは、講和を受け入れたという法的な理由だけではありません。戦後の日本政府、日本企業、日本人が国際社会で活動するにあたって、国際法や各国法を遵守し、多くの国や地域の中で際立った国際貢献を行い、例えば国連安保理非常任理事国にも再三選出されているように、戦後の日本および日本人の行動が国際社会から信頼されているからです。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140918-00134630-newsweek-int

やや違和感の残る表現です。
そもそも旧日本に関しては、全世界が第二次世界大戦の元凶の一つという認識であって、従軍慰安婦問題によってその評価が変わったわけでもなく、旧日本のような侵略国であればさもありなん、としか思わないのが海外の普通の市民の感覚でしょう。
戦後日本に対する評価に影響したとすれば、戦前戦中の侵略や戦争犯罪行為を否定しようとする日本政府や右翼の試みに対する不快感として現われたくらいでしょうね。
「国際社会では、(略)「日本国」は、(略)「枢軸国日本」とは「全く別」であることを認識して」というのは、別に戦後日本が“優等生”だったからではなく、戦後50年近く経っていた1990年代において、戦前日本と同一視するような感覚を抱く人が少なくなっていたという要因の方が大きいでしょう。無論、大きな戦争をしていないが故に悪目立ちしなかった、という意味では、平和国家としての歩みが日本のイメージを改善させたとも言えるでしょうけど。

 現在の日本国と枢軸国日本が別である以上、第二次大戦の戦中に枢軸国日本が起こした非人道的な行為に関しては、現在の日本国が、現在の世代として政府の正式謝罪を行ったり、現在の世代の納税した国庫金から補償をしたりする必要はありません。
 補償に関しては「講和条約で解決済み」だというのは、別に責任から逃げているわけではなく、「講和によって枢軸国日本から日本国への移行が相手国により承認された」、つまり「現在の日本国は枢軸国日本ではない」ことが相手国から承認されたことを意味するからです。これは、サンフランシスコ講和の対象外であった、日中、日ソの各講和や日韓条約でも全く同様です。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140918-00134630-newsweek-int

この部分は相当に乱暴な意見です。今の日本人の民度と精神年齢を考慮すれば、こういう言い方をしないと拗ねてしまうのかもしれませんが、旧日本と戦後日本を、責任回避のために別の国扱いするのは果たしてどうでしょうか。
シベリア抑留で苦労した人たちは、旧ソ連とロシアは違うと言ってロシアには謝罪する必要がないとか思ってますかね?ロシアでシベリア抑留を正当化する主張が蔓延してても気にもならないのでしょうか?そんなことはないと思うのですがね。
軍事政権韓国と民主韓国では別の国だから、ベトナムに謝罪する必要はないとか言う人も見たことありませんしね。
補償に関して「講和条約で解決済み」だというのは、まさに責任逃れの建前に利用しているわけで、それを否定するのはどうかと思います。法律上の義務はない=法律上できない、ではありませんから、「講和条約で解決済み」という立場をとったとしても、やろうと思えば対応できるわけです。やらないのはやりたくないからで、まさに「責任から逃げている」わけです。
講和条約で解決済み」という主張は、少女を強姦した相手が強姦の時効成立後に現われて「法律上、責任をとる義務はありません」と言っているようなものです。
そういう主張自体、日本の対外イメージを損なうでしょうね。

二点目

 第2の誤解は、したがって「枢軸国日本」の行動への批判がされると、まるで自分たちが批判されたように感じて、反論や名誉回復を行わなくてはならないという心情になる、そのこと自体が「誤解」であるということです。
 もちろん、「国のかたち」はサンフランシスコ講和によって変わったけれども、民族や文化の上で一貫性はあるし、その延長で、戦場で亡くなった多くの兵士も自分たちと同じ日本人であり、そうした犠牲者に「枢軸国の不名誉」を押し付けることはしたくない、それは自然な心情としてあると思います。
 ですが、この問題に関しても、個々の兵士に至る日本軍の「全員が戦争犯罪人」であるという考え方は「講和」の精神にはありません。あくまで誤った方針へと指導した責任者のみの罪を問うという「講和条件」で和平を実現したのであって、個々の兵士や戦没者の全員の名誉まで否定しているわけではありません。
 ですから、偽証言や誤報に基づく問題があったからといって「慰安所を設置した軍隊」としてまるで日本軍全体や個々の戦没者までが不名誉な印象で固定化されているわけではありません。批判の対象としては、そのような「慰安所を設けなければ士気が保てない」ような作戦を続けて、実際に「慰安所設置」に関わった軍の上層部へのものであると理解すべきです。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140918-00134630-newsweek-int

まあ、これはその通りでしょうね。
靖国参拝に対する海外の反応を見れば、このあたりは当然の理解ですし、冷泉氏の靖国参拝に対する意見もこのようなものだったはずですね。

三点目

 第3の誤解は、それでも軍の方針や軍の上層部の名誉を回復したいとして、これはこの欄でも再三申し上げてきたことですが、「狭義の強制」つまり銃剣を突きつけて「人さらいのように」女性を集めたというのは「事実でない」と主張することに「効果はない」ということです。
 つまり「強制連行ではなかったが人身売買だった」、または「軍や警察が女性の身柄を拘束した事例があるが、それは業者の財産権という社会秩序維持のためだった」、「脱走を取り締まったが、それは戦地での危険から保護をするためだった」、「一晩に大勢の相手をさせたが、少なくとも対価として金銭の支払いはあった」という「事実の訂正」をしたからといって、国際社会の評価は変わらないと考えるべきです。
 というよりも、「事実関係の訂正キャンペーン」を強化すれば「日本軍の従軍慰安婦という問題を初めて知ることになる」人を増やしてしまうだけです。そうした人々が「なるほど人身売買であって民間主導の経済行為だったのだ」と「理解」を示して「ポジティブな印象」を持つ可能性はゼロだと思います。
 この論点に関しては、「現在の価値観で過去の問題を断罪している」とか「19世紀まで奴隷制を実施していたアメリカに言われたくない」などという反論があるようですが、こうした言い方も日本を一歩外に出れば現実論として全く説得力は持ちません。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140918-00134630-newsweek-int

これもまあ、その通りでしょうが、「「事実関係の訂正キャンペーン」を強化すれば「日本軍の従軍慰安婦という問題を初めて知ることになる」人を増やしてしまうだけ」という助言は、できれば隠しておけ、という願望がにじみ出ていてどうかと思います。

四点目

 第4の誤解は、「狭義の強制はなかった」という点など、「枢軸国日本の名誉回復」を進めることが、国際社会での日本の立場を強化するという考え方です。これは大変に危険な誤解です。というのは、この考え方で押し切れば、中国や韓国は「現在の日本政府や日本人は枢軸国日本の名誉にこだわる存在」つまり「枢軸国の延長」だというプロパガンダを国内外で展開することが可能になります。
 そうしたプロパガンダがあるレベルを越えていくようですと、国際社会における日本の政治活動や経済活動に支障を来すばかりか、特に中国の場合は日本を仮想敵とした軍拡の口実にもなっていきかねません。そのように対立を激化させた責任が日本にあるとなれば、アメリカなど同盟国の心証も悪化させることになります。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140918-00134630-newsweek-int

これもその通りですね。もっとも「「現在の日本政府や日本人は枢軸国日本の名誉にこだわる存在」つまり「枢軸国の延長」だというプロパガンダ」に一番貢献しているのは安倍首相でしょうけど。