解釈改憲で集団的自衛権が容認されると現実味を持って予想したのはいつですか?

インタビュー:「強くて優しい」新しいリベラルが必要 NPO代表理事、駒崎弘樹さん」の記事で思ったことです。
駒崎氏のインタビュー内容にはそれなりに納得できるところもあるんですが、違和感を覚えたのがこの部分です。

 駒崎さん 今のリベラル勢力の退潮とある種の腐敗について胸を痛めています。リベラルはいろんな課題−−例えば集団的自衛権原発問題−−に対して、反対はしますが、ではどうしたらいいかの答えを持っていない。それゆえに説得力ある対案を示せませんでした。例えば、集団的自衛権にしても一足飛びに「明日にも戦争、徴兵制がやってくる」といった形で危機感をあおる。もちろん、その可能性が将来的にないとは思いませんが、今すぐにでもやってくるというような物言いで動員しようとしているように見えます。「俺の正義」をぶつけるだけでは共感が広がりませんし、何より議論が成立しません。

http://mainichi.jp/feature/news/20141006mog00m040005000c.html

駒崎氏は戦争や徴兵制の「可能性が将来的にないとは思いませんが」とは述べているものの、現実的に近い将来に起こりうるとは思っていないようです。

私自身の経験ですが、大規模な原発事故なんてそうそう起こらないだろうと思ってましたよ、2011年3月までは。でも、そうではありませんでした。
集団的自衛権解釈改憲で容認されるというのも、現実味をもって懸念できたのは参院選頃の2013年7月くらいになってからです。

皆さんは違うんですかね?
2011年3月の遥か以前から、福島第一のような原発事故は起こりうることと理解していたんでしょうか。
2009年の政権交代前から、5年程度で集団的自衛権行使が容認されうると予想できていたんでしょうか。
皆さん、すごいですね。

私は、近い将来のうちには戦争も徴兵制も起こりえない、と断言できるほど自分の予想を信じられないんですけどね。
なので、そういう危機感を煽るような論調に対しても「今すぐにでもやってくるというような物言いで動員しようとしているように」は見えないんですよ。たった5年先のことすら予想もできませんでしたから。