「日本軍慰安所管理人の日記」に関する安秉直氏の結言

日本軍慰安所管理人の日記は、発見された時は慰安婦問題否認論者が狂喜した史料です。
しかし、それをまとめた安秉直氏はこの史料について以下のような結言を述べています。

結言

 日本軍慰安婦問題において最も大きな点とされる のは、第一に動員における強制連行の有無、第二に慰安所における慰安婦らの生活が性奴隷的なものであったか否かに絞ることができるだろう。従来の研究によると、南京事件以後、華中地域およびインドネシアのジャワ島中部の州都、スマランなど戦闘地域に日本軍慰安所を設置する時、日本軍憲兵が現地の女性らに対して拉致と同様の方法で強制連行したことがあると言われる。特に、西洋人抑留所にいたオランダ人の女性らを強制的に徴収してスマラン慰安所に抑留し、強姦と変わらない慰安行為を強いた事件は、強制連行の代表例として有名である。それでは、非戦闘地域の日本や日本の植民地における慰安婦の動員は、どのようになっていたであろか。従来の研究によれば、非戦闘地域では社会が上手く組織されていて、慰安婦の動員が容易であったため、拉致のような強制動員は基本的に必要なかったとされる。つまり、非戦闘地域では、既存の慰安婦らを動員するか、あるいは「誘拐と同様の」人身売買や詐欺による貧しい階層の動員を行っていた。研究者によっては、前者を「狭義の強制動員」後者を「広い意味での強制動員」と呼んでいる。
 前述したように、第4次慰安団の場合は、日本軍部が朝鮮に依頼人を派遣し、朝鮮軍司令部の協力を得て、慰安所業者を募集した。慰安婦として集められた人々の中には、既に慰安婦の経験を持っている者もいたが、そのほとんどはただ貧しい階層であるに過ぎない女性であったという。彼女らは、自らが就かなければならない仕事の性格も分からないまま、前借金や高い収入という囮にかかって、「誘拐と同様の」人身売買や詐欺に遭った可能性が高い。このような慰安婦の動員方法については、「広い意味での強制動員」と呼んでも問題ないだろう。しかし第4次慰安団の場合においてより重要なのは、それが徴用、徴兵および挺身隊のような戦時動員であった、という点にあるのではないかと思われる。日中戦争から太平洋戦争に至るまで、朝鮮人女性が日本軍の慰安婦としてどれほど動員されたかについて、正確には把握できないが、彼女らが日本の国家政策により計画的に動員されたのであれば、その事実が持つ歴史的意味は決して軽いと言えないものであろう。今回の日記資料が明らかにしている、朝鮮における日本軍慰安婦問題の実態は 、「日本軍慰安婦の動員が戦時動員体制の一環として行われた」との事実にあるのではないかと思われる。
 第二に指摘されるべき重要な問題は、動員された慰安婦らが戦地で「性的奴隷の状態」であったか否という点である。日記では、後方のシンガポール慰安所の事例ではあるが、慰安婦らが慰安所で働く一連の過程において、当局から就業と廃業の許可を受けていた。この中で、就業許可については、様々な状況から見て、慰安婦慰安婦として従事できない障害要因が無い限りは、問題なく下りたものと思われる。問題となるのは、廃業許可の方である。廃業許可について最も重要なのは、慰安婦に動員されるときの契約条件であったが、それは主に前借金に関わる内容であった。捕虜審問報告もこのことを強調していた。問題は、前借金を返済した場合も廃業が容易でなかったという点にある。事例の性格として多少曖昧なところはあるものの、ラングーンでは、兵站司令部が「夫婦生活をすることになって慰安所を出た」一富士楼の慰安婦に再就業するよう命令を出している。前述したように、戦地のビルマでは軍から廃業の許可が下りたとしても、再就業するよう容易に説得されたことが記されているのである。このように廃業に厳しかった理由は数多くあったと思われるものの、慰安所が軍編制の末端組織として編入されており、軍部隊と共に移動するしかなかったためではないだろうか。それにも拘らず、慰安婦らはいつも「醜業婦」として蔑視されていたのである。
 このような軍慰安婦らの置かれていた上のような境遇を、「性的奴隷状態」と捉えても差し支えはないのではなかろうか。

http://www.naksung.re.kr/xe/index.php?mid=sepdate&document_srl=181713

日本の右翼等が“日本には何の責任もない”と主張する詐欺や人身売買による慰安婦動員を「「誘拐と同様の」人身売買や詐欺による貧しい階層の動員」と呼び、「このような慰安婦の動員方法については、「広い意味での強制動員」と呼んでも問題ないだろう」と論じています。さらに一歩進んで、日記は「朝鮮における日本軍慰安婦問題の実態は 、「日本軍慰安婦の動員が戦時動員体制の一環として行われた」との事実」と主張します。

慰安婦が性奴隷だという事実を認められない極右論者は認めたくないでしょうが、安秉直氏は「廃業許可について最も重要なのは、慰安婦に動員されるときの契約条件であったが、それは主に前借金に関わる内容であった。捕虜審問報告もこのことを強調していた。問題は、前借金を返済した場合も廃業が容易でなかったという点にある。」と、慰安婦制度の性奴隷的性格を指摘しています。
「このような軍慰安婦らの置かれていた上のような境遇を、「性的奴隷状態」と捉えても差し支えはないのではなかろうか。」という結語は安秉直氏が、日記の内容をどのように捉えたかを如実に物語っています。

ちなみに、安秉直氏も問題視している「兵站司令部が「夫婦生活をすることになって慰安所を出た」一富士楼の慰安婦に再就業するよう命令を出している」件ですが、ここで言う「夫婦生活」とは、おそらく日本国内でも有効な実際の正式な結婚ではなく、現地妻のような形式だったと思います。
実際、当時は日本国内に妻子がいながら、現地で愛人をつくることが少なくありませんでした。吉沢南氏の「私たちの中のアジアの戦争―仏領インドシナの「日本人」 (朝日選書)」には、そういった事例が出てきます(P24など)。
日記の記載は、気に入った慰安婦を自分の愛人として囲ったものの、慰安婦の不足から再び慰安所に戻す、という行為が行なわれていたのだと思われます。