社会制度の陥穽によって被害を受けた被害者達の“多様性”の追及が被害事実の矮小化に利用されることも知っておくべき

はっきり言えば、この手の言及は差別の正当化に使われるリスクが十分に予想されるわけで、追及する際には慎重な配慮が必要なわけです。
2010年、イギリスは児童移民の被害者達に公式に謝罪しました。

イギリス ゴードン・ブラウン首相の謝罪(2010年2月24日)

1960年代の後半まで、イギリス政府は、長期間にわたって児童移民のスキームをサポートし続けていた。すべての元児童移民および彼らの家族の皆さん、我々は真に謝罪する。彼らは苦しんだ。彼らを保護する代わりに、この国が彼らに背信的であったことを謝罪する。彼らの声に耳を傾けなかったこと、助けを求める彼らの叫びに気づかなかったことを謝罪する。そして、正当な完全かつ無条件の謝罪を行うこの重要な日を迎えるまでに、長い時間が費やされたことを我々は謝罪する。

http://d.hatena.ne.jp/scopedog/20130114/1358150083

しかし児童移民にも“多様性”はあります。移民先がオーストラリアかニュージーランドジンバブエだったかで、児童移民の運命はかなり異なっています。ニュージーランドでは多くは里親に預けられ“家族”として暮らすことができましたし、ジンバブエでは白人家族の一員として育てられある面では黒人差別の加害者となった言える状況もあります。オーストラリアでは多くは孤児院に入れられ、家族の愛情も満足な教育も受けられず苦しめられましたが、それが全ての児童移民に当てはまるわけではありません。
しかし、そのような“多様性”が児童移民政策を行なったイギリスの責任を軽減するかと言えば、それはノーでしょう。

It is estimated that child migration programmes were responsible for the removal of over 130,000 children from the UK to Canada, New Zealand, South Africa, Zimbabwe (formerly Rhodesia) and Australia.

https://www.gov.uk/government/news/child-migrant-family-restoration-fund-extended

上記のようにイギリス政府は、児童移民の犠牲者が13万人以上であることに言及し、その上で、次のように述べています。

Health Minister Dr Dan Poulter said:

“We can never forget the hardship and heartache experienced by children and their families as a result of misguided child migration schemes.
“The Family Restoration Fund has already reunited so many former child migrants with their relatives. We can’t undo the past. But we can help to reunite families that were torn apart so unjustly and completely. I’m pleased to announce the fund will run until 2017.”

https://www.gov.uk/government/news/child-migrant-family-restoration-fund-extended

この問題で殊更“多様性”に言及する主張は見当たりません*1
“多様性”は問題の実態を知る上では回避できない問題ではありますが、それは問題と問題として当然に認識できる社会であることが前提でしょう。少なくともイギリスは児童移民問題において、それを十分に踏まえた対応を取っているように見えます。

慰安婦の“多様性”を殊更主張し、20万人という推定値を与党に近い言論人らが執拗にあげつらい、アジア女性基金をさっさと解散させ嘲笑した日本とは雲泥の差に見えますね。

アジア女性基金派」とでも言うべき大沼氏や熊谷氏、朴氏らは、慰安婦の“多様性”を殊更主張しているようですが、慰安婦問題を問題として当然に認識できていない日本社会であることを踏まえた慎重な配慮が為されているようにはとても見えません。


朝日新聞慰安婦問題を捏造したことによって、日本は不当な批判を受けている”という否認論が猛威を振るっている現状で、慰安婦の“多様性”を殊更主張すれば、その都合の良い部分をつまみ食いされ、“慰安婦問題で日本は非難されることは何もしていない”と言う否認論が日本社会の公式見解になるでしょうね。
それは、耐え難い性暴力を受けて苦しんだ元慰安婦らを「アジア女性基金派」が主張している“多様性”から切り捨てることになり、彼ら自ら主張している“多様性”を自己否定する行為になるでしょう。

現在の慰安婦問題を問題として当然に認識できていない状況で主張する“多様性”とは結局、矮小化の言い換えにしかなりません。

*1:まあ、どっかにはあるかもしれませんが