安倍と橋下、共通点と相違点

市民の間に線を引き、線の向こう側は敵だと煽って攻撃する手法。
これが安倍首相と橋下市長の共通点です。

安倍首相は、国際的には中国とそれ以外の国の間に線を引いて中国は敵だと煽り、国内的には“朝日”と“ニッキョーソ”を敵だと煽っています。
橋下市長は、市役所職員と市民の間に線を引いて敵だと煽ったりしていました。
この手法の特徴は、線を引くことで市民同士の連帯を分断すること、分断された者同士の敵対心を煽りその一方に自身が加担することで支持を得ること、分断された勢力はある程度の規模でないと敵対心をうまく煽れないが規模が大きすぎると自身の側が負ける場合もあること、です。
都構想で、橋下市長側が破れたのは3つ目の理由によります。

では、安倍首相と橋下市長の相違点は何でしょうか。
それはイデオロギーの有無です。

橋下市長にはイデオロギーとか理念とかいったものはありません。あるとすれば大衆迎合主義のみです。橋下市長は、大衆に自分を魅力的に見せて支持を得ようとするだけのナルシストであって、そこにイデオロギーはありません。
政治家として悲願だと騙った都構想ですが、橋下市長にとってはそんなものはどうでもよかったことは住民投票否決後の会見から明らかです。
橋下市長は1960年代の中国にいれば、毛沢東語録を持って紅衛兵の先頭にたって目立つ老政治家を糾弾していたでしょうし、戦中日本にいれば大政翼賛会で聖戦遂行を熱く主張していたでしょう。右も左もリベラルもコンサバも関係なく、ただ自分が脚光を浴びる位置に立てればそれで良いだけの人です。

これに対して安倍首相の場合はイデオロギーの塊です。安倍首相の反共・反中感情は彼自身のイデオロギーと固く結びついています。安倍首相も支持率を重視しますが、反共・反中政策を進めるために必要だからであって、支持率そのものが目的の橋下市長とはその点で異なります。
中国を敵視し、自衛隊の軍隊化を望むだけではなく、「大東亜戦争」の正当化という歴史修正主義も見逃せません。中国との対決姿勢を強めるだけなら、外交政策として理解は出来ます。しかし、それなら靖国参拝にこだわったり、従軍慰安婦問題を否認したりして韓国との関係を悪化させる意味がありません。
冷静でリアリズムに基づいた判断のできる政治家なら、靖国問題慰安婦問題で譲歩することで、中韓を分断し、中国包囲網を強化する方を選ぶでしょう。
でも、安倍首相にはそれが出来ない。彼にとっては「大東亜戦争」は聖戦であって、大日本帝国は正義の国ですから、それを否定するくらいなら外交的なリアリズムを放棄することを選ぶわけです。