強行採決はなぜ問題か「決定した政策を強制する正統性は、強制される側が十分な討議に参加可能であり、かつ、そこで利害調整が図られる可能性があることに求められる」

強行採決を言葉遊びとしか捉えられない人もいるようで、ここまで日本の民度は低下したのか、マスコミの逆張りしてれば幸せってレベルのネット民が蔓延してるのか、いずれにしても困ったものです。

強行採決」は何が問題なのか 〜 特定秘密保護法の成立に寄せて

佐藤 信行/中央大学法科大学院教授

強行採決の問題

 上に見たように、日本の国会では強行採決は、実務上・量的に例外であり、そこから、「憲政の常道に反する」「話し合い自体を拒否する非民主的方法」という批判がなされることになる。たとえば、日本新聞労働組合連合は「特定秘密保護法案(秘密保護法案)は12月6日深夜、自民党公明党によって強行可決された。憲法に明らかに違反し、根本的な欠陥があるにもかかわらず、十分な審議もなく強引に可決された。『良識の府』であるはずの参議院強行採決は憲政史上に残る暴挙だ。」との声明を発表しているが、これは、上記の系譜に属する批判の典型的なものである。
 他方こうした批判について、そもそも民主主義は多数決で決定するものであり、かつ、政党制と党議拘束を伴う議会では、「意見の相違点」が明らかになれば、それを質問や討論で埋めることはできないのであるから、その段階で採決を行うことに問題はないという反論がなされることになる。
 この反論には、確かに一定の説得力があるが、なおいくつもの問題が残るといわざるを得ない。ここでは、字数の関係もあり、2点のみを指摘しておきたい。

 第1は、そもそも「多数決」と「討議」の関係をどのように理解するか、という点にかかわる。確かに、政党制を伴う代議制民主主義は、多数決意思決定とならざるを得ないが、ならば「討議」には意味はないのだろうか? それならば、ICTを利用して、あらゆる法案を「国民の直接投票」で決めてしまえばよいことにならないのか? 実は、これに対する解答として有力に主張されているのが、「十分な討議を伴う民主主義(deliberative democracy)」という考え方である。しばしばこの議論は、「いつまでもダラダラと議論する民主主義」や「変形直接民主主義」と誤解されるが、そうした理解は皮相的なものであって、その核心には、決定した政策を強制する正統性は、強制される側が十分な討議に参加可能であり、かつ、そこで利害調整が図られる可能性があることに求められるという考え方があることを理解すべきであろう。この意味で「対決法案である以上、強行採決は当然。むしろ審議自体無駄。」というアプローチは、あまりに素朴な議論であり、とりわけICT時代においては、代議制民主主義自体の危機を招きかねないものなのである。

 第2は、この「十分な討議を伴う民主主義」の点から、今回の法案審議をどのように評価すべきか、という問題である。実をいえば、本件のような対決法案が「最終的に強行採決」になることは、やむを得ない。しかし上の視点からすると、強行採決に至るにも「期が熟した」といえるかが問われるのであり、今回の審議経過については大きな問題が残る。問題は多岐に亘るが、ここでは特に、国会とりわけ委員会における審議は、法執行に際しての「立法者意思」を判断する重要資料であることを指摘しておきたい。この点からみると、今回の法案審議においては、秘密指定や監視のための組織設置という重要な争点について、参議院委員会採決直前になって政府から口頭で提案がなされるに留まったこと、また、秘密の定義や刑事罰をめぐる具体的な条文解釈・当てはめについて、政府側答弁者の回答が安定を欠くといった事態が最後まで続いたこと等、大きな問題が残るのである。

http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/opinion/20131224.html

議席を多数持っているのだから採決して何が悪い”は、審議(討議)というものの重要性を理解していないので問題外ですが、ネット上ではこんなゴミみたいな主張でさえ大手を振って蔓延してるので情けない限りです*1
こういうのもあります。

実際には、全ては定められた手順に則って行われているわけで、国民多数に選ばれた与党が数週間の審議の後に今回の採決に至っている時点で、民主主義なんでこんなことで死んでまうのん?と思わざるを得ません。ひょっとすると、現状の「民主主義」というもの自体どうなの、という話に落ちるのかも知れないですが。

http://mubou.seesaa.net/article/422406200.html

手順通り審議しているから問題ない、という主張です。
これの間違っている点は、審議ってただ時間を消化することではないという基本的な認識が欠落している点です。法案上の曖昧な部分や問題点のすり合わせなどを行うのが審議であって、短時間でできる場合もあれば長時間かけねばできない場合もあり、一概に審議時間が何時間を超えたから十分審議されたと言えるわけではありません。

今回の戦争法案が十分審議されたと主張するなら、法案の疑問点に対してそれを解消できる十分な説明できなければならない

政府説明では自衛隊員のリスクが増えるのか変わらないのか、すらブレまくってましたが、十分審議したと考えてる人は自衛隊員のリスクについてもどう思っているんでしょうか。
「政府が総合的に判断する」を安倍首相は連発していましたが、それに何の疑問も抱いていないってことでしょうか。

「民主主義なんでこんなことで死んでまうのん?と思わざるを得ません。」

これもよく聞くフレーズですね。
民主主義などの危機を訴える声に対する冷笑として用いられる典型的な侮蔑表現ですが。

こういう態度を取る人たちって、例えばワクチン行政に対してどう思ってるのでしょうか。A類疾病の予防接種には努力義務規定があります*2が、例えば今年から予防接種の努力義務規定を廃止し、国による摂取勧奨をやめてしまっても、来年から即座に感染症が蔓延しパンデミックを引き起こしたりもしないでしょう。日本では公衆衛生の概念が浸透していますし、衛生状態自体も世界的に優れていますから、国が何もしなくても、受ける人は自発的に予防接種を受けるでしょう。しかし、実際にもし、厚労省が予防接種の勧奨を一切やめると宣言すれば、公衆衛生の危機だという声が上がるでしょうね。
あるいは航空機などの安全対策はどうでしょうか。無駄とも思えるチェックは山ほどあるでしょうし、そもそも航空機事故の確率は自動車事故より低いと言われていますから、多少安全チェックを省略したって構わないとも言えます。でも、実際にそうしますと言えば、事故の危険が高まるという批判が多くあがるでしょう。「飛行機なんでこんなことで落ちてまうのん?と思わざるを得ません。」などと冷笑する人はおそらくいないでしょう。

しかし、民主主義に対しては、こうやって冷笑する人が後を絶たないんですよね。

平和ボケというか、棚ボタ民主主義というか、とにかく情けない話です。

*1:これを是とするなら、両院過半数衆院3分の2以上の議席を持つ与党は一切審議しないまま採決して構わないということになります。これは野党による法案のチェックという重要な機能が制限されるわけです。

*2:http://www.mhlw.go.jp/stf/shingi/2r98520000033079-att/2r985200000330hr_1.pdf