第一大邦丸事件とその周辺の話題

第一大邦丸事件とは、1953年2月4日、大韓民国済州島付近において日本の漁船、第一大邦丸と第二大邦丸が韓国官憲に拿捕され、その際の銃撃によって日本側漁船員一名が死亡した事件です。
基本的に独島(竹島)とは関係のない事件ですが、李承晩ラインつながりという理由で、独島(竹島)問題関連で日本国内の反韓感情を煽る目的で利用されることの多い事件です。
島根県竹島問題研究会委員である藤井賢二氏でさえ、「注釈10「例えば2006年4月20日付『朝日新聞』社説「お互いに頭を冷やせ」。また、「竹島はなぜ韓国に実効支配されてしまったのか」(『週刊ポスト』42-40 小学館2010年20月 東京)では、1953年前後から韓国は「竹島近海で操業している日本漁船に対して、銃撃や拿捕を繰り返すようになった」とし、その例として1954年2月4日に済州島西方でおきた第一大邦丸への銃撃および同船の漁労長射殺事件を取り上げている(52頁)。竹島問題のために日本人が殺害されたとする、事実とは異なるこの記事のような論調は好ましくない。」*1と、独島(竹島)問題で第一大邦丸事件を取り上げることに対して苦言を呈しています。

事件現場

拿捕された漁船側の証言では、事件現場は北緯33度33分、東経125度55分とされています。とは言え、GPSによるわけではなく、「操業当時の水深及び底質」と拿捕後に入港した翰林面までの針路と速力から逆算した推測によっています。
それを踏まえて、北緯33度33分、東経125度55分を地図で示すと以下のようになります。

これを見てもかなり韓国に近い海域で操業していたことがわかります。ちなみに以下に李承晩ラインの範囲*2と現在の韓国領海(12海里)*3を示しておきます。

第一大邦丸事件事件現場が李承晩ラインが横暴だとか言う以前に、現在の韓国領海(12海里)ギリギリであることがわかりますね。

韓国側の主張(国会審議より)

ちなみに事件場所に関して、韓国側の主張では(済州島から?)9海里となっています。

○証人(浜行治君) 向う側の証言では九マイルであります。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/015/1076/01502231076001c.html

また、銃撃の経緯についても、日本側漁船が逃走し、それを停止するための発砲だとされています。

○松浦清一君 これは二十二日の朝日新聞、読売新聞等で、金韓国公使の談話として発表されたものなんですが、これが正確であるかどうかということは後ほど政府に質したいと思つておりますけれども、この際の金公使は、「韓国警察艇が発砲したのは、日本船が韓国当局の合法的な検問を無視した際、同船を停止させるだけの目的のためであつた。」とこういうことで表現をしておるわけであります。

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/015/1076/01502231076001c.html

国際法的な背景

日本では李承晩ラインは不法だという有無をいわさない主張が基本ですが、1953年当時は領海に関する海洋法は成文法としてはほぼ未確立でしたから、それこそ“当時の価値観”を踏まえない主張でしょう。もちろん、慣習法として領海3海里だったという主張もありますが、時代背景を考慮すれば、それらが海洋先進国に有利な一方的なものであることがわかります。
領海を3海里という狭い範囲に限定することは、「領海の幅はすべての国民にとって海洋使用の自由と両立するように狭く定められなければならないという主張」*4で美化されていたわけですが、実態としては大漁船団や進んだ技術を持った海洋先進国が「共有の資産」を独占するための口実だったとも言えるわけです。
こういった海洋先進国有利の法体系に対し、第二次大戦前にはソ連が領海幅を12海里にすることを主張し、戦後には多くの途上国が同様の主張を始めるようになります。李承晩ラインも基本的にはそれらの主張の一つに過ぎません。ちなみにアメリカも1945年のトルーマン宣言で領海を越える公海における海洋資源に対する排他的権利を主張していますし、1953年にはオーストラリアも主権的権利を主張する大陸棚宣言を出しています。1965年にはニュージーランドも漁業水域を12海里に拡張しています。

もちろん、海洋先進国であった日本は戦前から一貫して領海拡張の主張に強硬に反対しています。

またこの頃(引用者註:1911年ごろ)、3海里の領海外に隣接する9海里を越えない範囲で、要するに距岸12海里以内の水域の中で、関税、衛生、警察、漁業、国防、航海安全といった事項につきまして、沿岸国が特定の規制を行うことができる水域を接続水域としてみなす傾向があらわれ始めておりました。先ほど述べました1930年のハーグ会議では、日本は、最大幅12海里までの接続水域について各国が必要に応じて相互に適当な取り決めを締結するのは自由であるけれども、一般国際法としては沿岸国が領海外に特殊の権利を行使することを認めないという立場でありまして、とりわけこの水域での漁業に関しては沿岸国の独占権を認めようとする見解に強硬に反対したのであります。

https://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2000/00005/contents/013.htm

戦後も日本は領海幅の諸国の拡張提案に対して執拗に妨害を繰り返し、1982年の海洋法条約によって止めを刺されるまで強硬に領海3海里を主張し続けたわけです*5

ともあれ、1953年当時は領海3海里に対する批判が高まっていて、3海里より外側の権利を主張する沿岸国が現われつつあったわけです。李承晩ラインはその一つですし、李承晩ラインを無視するとしても、済州島から10〜20海里での操業が韓国官憲の取締りの対象になるのは当時の情勢として理解できないわけではありません。
操業場所は、李承晩ラインを基準にすればライン内奥深くに入り込んでいることになりますし、領海12海里としてもギリギリで、韓国側主張の拿捕位置はそれをすら侵犯しているわけですから。

もっとも銃撃や射殺が正当化されるわけではありません。取締りならば殺傷行為は論外ですし、武器での威嚇すら基本的に避けるべきです。しかしながら、それがなかなか難しいのも、2013年ですら、台湾とフィリピンのEEZが重なる海域においてフィリピン側が台湾漁船民を射殺するという事件*6が起こることからもわかるわけですが。