「父親が自分の子どもと接触し続けることが困難な理由」(スザンネ・シュトロバッハ)

Susanne Strobach(スザンネ・シュトロバッハ)*1離婚家庭の子どもの援助」(日本語版2007年)の記載。

(P14-15)

父親が自分の子どもと接触し続けることが困難な理由

  • 「日常的な父親は、子どもと一緒に医者に行く。日曜日だけの父親は、お菓子を買いに行く」。
  • とりわけ別居/離婚を望む父親の多くは、自分の子どもに対して、負い目を感じ、子どもたちに拒絶されるのではないかと恐れる。
  • 母親の多くは、父親の面会権の受け入れを拒否する。とりわけ、相手に新しい恋人やパートナーができた場合に、拒否し始める。母親に新しい恋人やパートナーができた時、彼女は、温かい家庭への新しい願望を強く抱き、実の父親をその阻害要因と見なす。反対に、父親に新しい女性のパートナーができた場合、しばしば母親は強い嫉妬を示し、彼らに子どもを取られるのではないかいという不安を抱く。
  • 離婚後の両親の関係がかんばしくない場合、面会の調整の詳細は、しばしば、養育権を持つ母親に対する「武力」と取られてしまう。
  • とりわけ子どもを引き渡してもらう場面は、しばしば、相手とのコミュニケーション不足や打ち合わせ不足によって、負担に感じられる。
  • 多くの父親は、母親との接触を拒絶する。
  • 多くの父親は、子どもとの接触を母親に申し出なければならないことを屈辱と捉える。
  • 多くの父親は、子どもを養育する責任を負えないことに胸を痛めている。そして、子どもを相手に返さなければならない痛みを感じるくらいなら、子どもの世話はしたくない、と思っている。

 実践の中で、私がいつも実感するのは、父親は、自分一人で子どもと一緒に何かを始める術を知らないし、そういうことを考えていない、ということである。父親は突然、自分の子どもと、毎週末のアウトドアに出かけなければならなくなる。しかし、実際のところ、ちっとも楽しくない。子どもの方も、父親の相手はしんどいもので、「お父さんは気持ちが入っていない。僕たちは、(以前のように)日中、パパと一緒にソファーで並んでテレビを見たいだけなのに・・・」、と感じてしまう。どうしたら楽しい週末を実現することができるのか、その方法を見つけだすのには時間がかかる。子どもに必要なのは、父親であって、楽しい休日ではない。
 たいていの場合、短い時間の中で、これまで以上に子どもとよい関係をつくるには、母親のサポートと理解がどうしても必要である。重要なのは、子どもが抵抗しても父親のところへ行かせることである。子どもはみな自分の両親を愛している。虐待された子どもでさえ、自分の両親を愛しており、別の親など望んでいない―彼らが望むのは、自分の親が変わることである。また、普通の夫婦は、子どもが、親の双方を愛し、親の双方の望むように振る舞うことを期待している。離婚のケースでも、この点では変わらない。もし子どもたちが一方の親を望まず、拒否するならば、それはまずもって、どちらの親に忠誠心を向けるかという葛藤(Loyalitäskonflikte)に原因がある(当然、精神的・身体的暴力は除外する!)。つまり、子どもは、一方の親と面会することを、他方の親への裏切り行為だと感じる。あるいは、一方の親を面会している間に、他方の親が何をしているのかが気になってしまうのである。もし母親が離婚に苦しんでいるならば、子どもは、しばしば「ママは独りにされてしまったのではないか」という不安を抱くだろうし、たとえ母親が子どもに、父親のところへ行けと要求したとしても、そういう不安を抱いてしまう。その根拠の一つとして、例えば、子どもは、帰宅時にパパ/ママがもう家にいないのではないか、と心配するのである。家族の安定性と現状を子どもにしっかり示してはじめて、子どもは再び安定性と信頼を取り戻すのである。
 母親である私は、息子の父親を変えることはできない。だが、私は、息子の父親に対する見方を変えることはできる。そうすることで、すべての当事者にとっても、実に多くのことが変わるのである。
 わたしたちは、「自分たちは、いろいろな状況の中で、いろいろなことを感じたり、いろいろな態度を取ったりする」、ということを知っている。やることなすことすべて、わたしたちをカンカンに怒らせてしまう人もいれば、わたしたちをクタクタに疲れさせる人もいる。エネルギーを奪い取ってしまう人もいる。同様に、何度も自分を奮い立たせてくれる人もいれば、人生の喜びを与えてくれる人もいる。さらに自信を与えてくれる人もいれば、自尊心を与えてくれる人もいる。わたしたちは、自分と共にいる人に合わせて、自分自身をそのつど変えているのである。
 また、元パートナーも、離婚後に、あるいは本人にとって辛い状況から離れた後に、全くこれまでと違った振る舞いができるようになる。これまでとは違う環境や別のパートナーが、わたしたちを積極的に変えてくれるのである。
 母親である私は、元パートナーである父親の振る舞いに影響を与えることはできない。しかし、父親が、新しい状況に置かれ、不安定であり、多くのことで苦労している、ということは理解している。また、自分の見方を、「彼も、状況の変化に適応するために、多くの時間を要している」、「彼も数々の過ちから学ぶ」、「彼もまた傷ついており、しばらくの間、子どもと会いたいがために私に迫ってくるのであり、また、離婚はしたものの、まだ私が彼に依存していると思いたいのだ」、というように変えることもできる。もし私が父親に、新たな復讐心の代わりに、彼に対して理解を寄せ、そして、再び互いの信頼を築く時間を得るならば、それと共に、わたしたちは、私と子どもの関係や、父親と子どもの関係を持続できるよい人間関係のための最高の条件を手に入れるだろう。

こういったことを最低限理解した上で、離婚後の親子関係について(養育費取り立て以外は)公的支援なしで放置して構わない、と考えるなら、それはもうドグマ化しているとしか思えないね。
(「当然、精神的・身体的暴力は除外する!」と書いてあるように、DV・虐待がある場合は別だと書いてあります。それでもDV被害を軽視しているとか主張して、それ以外のDV・虐待がない場合の記載を無視する人はいるんでしょうけどね。)