色んな意味で難しい問題

この件。
性的被害を受けた女性が実名告白 子供たちを「性的虐待」から守れ(AbemaTIMES 11/13(日) 16:32配信 )
子どもに対する性的虐待が許しがたい犯罪であることは大前提です。

難しい点1・被害が顕在化しにくい

性暴力特有の問題として、被害が顕在化しにくい、という点がまずあります。被害者が被害の事実を認識していても二次被害を恐れて泣き寝入りするパターンです。
これに関連し、かつ子どもが被害者の場合に特有なのが、被害者が被害を受けたこと自体を認識していないパターンで、上記記事中でも「被害という認識を持てなかった」と言及されています。

難しい点2・文化的な背景の相違

例えば、男親が女児と一緒に入浴するような場合です。アジア圏では女児が10歳過ぎても男親と一緒に入浴することが文化的に受容される傾向がありますが、欧米だと性的虐待とみなされることがあります。
外国人が絶句する日本の家族習慣〜父親が幼い娘と一緒に風呂に入るなんてアリエナイ!(鴻上 尚史)

文化的に許容されていたとしても女児に対する性的欲求に基づくものであれば虐待と言えますが、明確に性的虐待とみなしうる行為が伴わない限り、客観的に性的虐待とは指摘しにくいという問題があります。
「パパとお風呂」で10歳娘の養育権剥奪、ナイフ振り回し抵抗の中国人男性、射殺される―米国(2013年10月24日)
女児との入浴を性的虐待とみなすか否かはアジア圏と欧米で大きく異なっているように思えますが、同じアジア圏、日本であっても、何歳まで親と一緒にお風呂に入っていたか、などは家族によってまちまちです。
元々、家庭という閉鎖空間内での“常識”はガラパゴス化しやすくもあり、社会との適切な交流を通じて、家庭内の“常識”と社会的な常識とのすり合わせを必要とするわけですが、家族外に話しやすい話題では社会とのすり合わせが容易である一方、家族外には話しにくい話題ではすりあわせが行われにくいという性質があります。
特に性的な話題となると家族外だけでなく、家族内でも特定の相手としか話さないという傾向が強いという問題があります。

難しい点3・偽の記憶

児童に対する性的虐待事案で注意すべき点として忘れてはならないのが、偽の記憶です。
以下のような事例があります。

1980年代後半から90年代前半、全米各地で、成人女性が父親に対する刑事告発民事訴訟を起こすという出来事が相次ぎました。女性達が訴えていたのは、幼い頃に父親から虐待や近親姦の被害を受けたという衝撃的な内容でした。
(略)
心理学者のロフタス(※)は、そのようなセラピーによって「回復」された記憶の信憑性に疑問を持ち、自身の著作や法廷での証言で「記憶回復セラピー」を科学的に批判しました(Loftus & Ketcham 1994)。

http://www.itsuwarinokioku.jp/?page_id=406

実際には虐待を受けていなかったにも関わらず、「記憶回復セラピー」によって虐待を受けたという経験を“思い出さされた”わけです。そのセラピーは以下のように行われました。

セラピストは、抑うつや性的な機能不全といった精神症状を訴える女性に対して、「あなたの症状は私が診ている性的虐待を受けた被害者と似ている」などと告げた上で、患者に性的虐待を受けたことがないかを尋ねます。患者がそれを否定しても「それは記憶が抑圧されているからだ」と説明し、「記憶を取り戻すことが回復への道です」と励まします。更に、セラピストは、女性達に子供の頃の出来事をイメージさせ、夢に出てきた物語を日記に書かせるなどしました。週1回1〜2時間程度、このようなセラピーを受け続けた女性達は、数ヶ月ないし数年後には鮮明な虐待の記憶を「回復」しました。そして、それが抑圧されていた幼児期の自分の記憶であると理解して受け入れるようになったのです。

http://www.itsuwarinokioku.jp/?page_id=406

これは実際に虐待を受けている場合もありえるため、難しい問題です。また、これが前述した文化的背景の相違と絡むとさらに難しくなります。
幼少の頃に男親と一緒に入浴していた事実を成人してから虐待として再認識した場合、これを被害とみなしうるか否かという問題が生じます。

被害者を疑うべきではないが、加害者を糾弾するならば慎重でなければならない

仮に偽の記憶であったとしても被害者が苦しんでいることに変わりありません。被害者を支援する立場にある人は、被害者の苦しみを受け止め寄り添うことが必要です。
しかしながら、その被害の責任を他者に問う場合には被害事実の判定に慎重でなければなりません。もし仮に偽の記憶であった場合、冤罪で他者の権利を侵害することになるからです。
当然ながら偽の記憶か否かは一般的に判断できることではなく、個別の事案を専門的な知識を持った人が丁寧に見て判断する他ありません。ニュース記事だけで判断できることはありません。
ニュース記事にしかアクセスできない人たちは基本的には被害者に寄り添いつつもその内容をもって加害者を糾弾するには慎重であるべきでしょうね。

性的被害を受けた女性が実名告白 子供たちを「性的虐待」から守れ

AbemaTIMES 11/13(日) 16:32配信
性的虐待」は児童虐待の中でも、その実態が表にでることが少なく、対応が難しいと言われている。児童虐待事件の検挙件数で見ても身体的虐待につづき、2番目に多く「性的虐待」は日本において少数派の事件ではない。
現在、性暴力やDVなど、虐待問題にとりくむ「おやこひろば桜梅桃李」の代表を務める柳谷和美さんは、5歳の時に隣に住んでいた友達の父親から、7歳の時に当時16歳の従兄弟から性的虐待を受けたという経験がある。
柳谷さんは5歳の時に受けた性的虐待を振り返る。当時5歳だった柳谷さんは友人のお父さんから「お医者さんごっこをするから全部脱いで」と言われ、腹部に体液をかけられるという性的虐待を受けた。柳谷さんは「親にも言わなかったし、『気持ち悪い』や『汚い』という思いもあったが、殴る蹴るされたわけではなかったので、被害という認識がなかった」と話す。「性的虐待」は被害を受けてもなかなか言い出せなかったり、被害という認識を持てなかったり、自分を責めてしまったりするため、実態が表になることが難しいと言われている。
虐待を受けた子どもたちのシェルターを運営する社会福祉法人「カリヨン子どもセンター」理事の川村百合氏 は「性的虐待に限らず、虐待を受けた子どもたちは非行に走ったり、情緒が不安定になったり、変化がでる」と話す。まずは周りの大人がしっかり子どもたちの異常に気づいてあげることが大切だ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161113-00010013-abema-soci

「パパとお風呂」で10歳娘の養育権剥奪、ナイフ振り回し抵抗の中国人男性、射殺される―米国

2013年10月24日
米華字メディア、僑報の報道によれば、米国では習慣の違いなどから誤解を受け、中国系住民が子どもの養育権を剥奪されるケースが後を絶たない。注意を促すため、中華系団体の調停員、李江華氏がこのほど、数年前に起きたある悲劇について紹介した。中新網が23日伝えた。
その悲劇とは、10歳の少女が学校で教師から「お風呂は誰と入っているか?」と尋ねられ、素直に「パパ」と答えたために通報された中国人男性が、娘の養育権を剥奪されて逆上、ナイフを振り回して暴れたため、警察官に射殺されたというものだ。
この男性は男手ひとつで娘を育て、小さいころから娘を風呂に入れていたため、その習慣が10歳になっても続いていた。こうしたことは中国人社会では珍しくないというが、米国では6歳を過ぎると異性の親が娘や息子と風呂に入ることは性的虐待の疑いがあると判断されてしまう。
(編集翻訳 恩田有紀)

http://www.focus-asia.com/socioeconomy/photonews/363509/